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ブックマーク / wi-wi-wi.hatenadiary.org (6)

  • ウェブ上で「沈黙のうちに語る」のって難しい。 - 陽だまりで眠る猫のように

    相手に否定的なことを言うとき、「沈黙のうちに語ら」なければならないことが、往々にしてある。 例えば、 ・口に出すとツンデレちゃんになっちゃう場合 気に入らなければ無視しろ、言及した時点で興味ありってことじゃないか、ってなる。 亀田問題とか。 ・自己言及にはまる場合 例が思いつかないので略。 沈黙って言うのは何も言わ「ない」こと、そして「ない」ものは「ない」のだから、示せない。言葉では。 リアル世界においては、言葉の代わりに表情とか仕草とか態度とか普段からの発言とか、そういった無意識的なものを媒体にして、相手に異議を唱えることができるんだけど、ウェブ上ではそれがない。それができない。 で、何も言えずにいると、論破されたことになっちゃう。 どうしたらいいんだろう、と思った。 3月12日 追記:ちょっと文を推敲。大筋は変えてない。

    ウェブ上で「沈黙のうちに語る」のって難しい。 - 陽だまりで眠る猫のように
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/12
    抗議の沈黙とか好意の沈黙とか。伝わらないだろうなと思いながら、それとなく伝わるような方法ってないかな、と考える。
  • “理解する”ってことは“思考を停める”ってことなんだよね。 - 陽だまりで眠る猫のように

    1+1=2ということを理解した人は、何故そうなるかについての思考を停めている。 万有引力の存在を認めた人は、何故そのような力が生じるかについてが意識に上ることは、ない。 “理解する”ってことは、その時点で“思考を停める”、ある種の妥協を許すということ。 世界中で、いろいろな言語を使って、人々は言う。 「考えれば理解できるよ。」 でも、これは「理解したときには考えは停まっている」「理解したければ考えを停めなければならない」という、 逆説的な意味合いを質的に含んでいる。 そんなことを思った。 3月11日 追記 >>hatayasanさん そうですね。実用上はそれでいいのかなと思います。僕の話はなんていうか、もう少し哲学的な領域でのことですね。 >>NOV1975さん 「"理解したつもりになって満足すること"が思考を止める事」 最近は満足にいたるのが早すぎる人が多いのがマズイかな、と。 >>p

    “理解する”ってことは“思考を停める”ってことなんだよね。 - 陽だまりで眠る猫のように
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/11
    「“理解する”ってことは、その時点で“思考を停める”、ある種の妥協を許すということ。」この手の考え方、最近よく見かけるなあ。自分は理解する=足場を固める、そういうイメージで最近はとらえている。
  • 言葉(32) - 陽だまりで眠る猫のように

    自分をレンズだと考えろ。 いろいろな事を経験するほど、そのレンズは大きくなっていく。 そして大きくなるほど、焦点の温度は上がる。 だから、お前が今やっているそれは、決して無駄ではないんだ。 ―――担任の言葉

    言葉(32) - 陽だまりで眠る猫のように
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/20
    「自分をレンズだと考えろ。」曇りのない眼でありのままを受け止める強さを宿せ、みたいな意味で自分なら考えるかな。
  • 何でも受け入れるって態度は何も受け入れないに等しい。 - 陽だまりで眠る猫のように

    「私、誰とでもすぐ友達になれます♪」 「人の個性を受け入れなきゃ」 と言った発言の数々。 吐き気がする。 受け入れるっていう行為には二種類あるように思う。受動的なのと能動的なの。 受動的な「受け入れる」っていうのは、文字通り「何でも受け入れる」こと。 一見、おおらかなように見える行為であるが、そうではない。 相手に関心がない、どうであろうが自分に影響がない。そう思っているときにだけ、人は「何でも受け入れる」ことができる。 換言すれば、「何でも受け入れる」ってことは、その「受け入れる」対象に興味がない、どーだっていいと言うこと。 「私、誰とでも友達になれるの♪」っていうセリフは、その意味で矛盾している。 「友達」といいながらもそれは「あんたなんか私に関係ない」っていう、絶縁宣言しているに等しいから。 反対に、能動的な「受け入れる」は、「相手の長所・短所を見た上で、受け入れる」ってこと。 当然

    何でも受け入れるって態度は何も受け入れないに等しい。 - 陽だまりで眠る猫のように
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/12
    留保のない肯定は胡散臭い、という話なのだろうか。
  • ブクマの増殖スピード - 陽だまりで眠る猫のように

    関連記事:ウェブ格差 陽だまりで眠るのように 2月10日14時現在で、ブクマが13、星が4つ。 今までで、自分の記事にこんなにブクマが付くことってなかったので、もちろんとても嬉しいんだけど、ちょっと戸惑ってる。 それで、今日は、ブクマの増え方について考えた。 ・ブクマのついていないエントリに、ブクマは付けづらい。 上の記事を少し観察してたんだけど、大体ブクマが4件ついたところから急激に増えていったように思う。 この4件って数字は、ちょうど「はてな」の「注目の記事」に載るあたりのものなんだけど、その後の急激な増加の理由は、それだけじゃない気がする。 それは、「ブクマのついていないエントリに、ブクマは付けづらい。」ってことなのかなって。 僕は、ウェブ上で「あっ、これ面白いなぁ。」って記事を読んでも、すぐにブクマをつけたりしない。というかできない。なんとなく気恥ずかしいというか、そんな気がして

    ブクマの増殖スピード - 陽だまりで眠る猫のように
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/12
    「ブクマのついていないエントリは、発見しづらい」ということではないだろうか? 人気エントリーに上がって以降は「とりあえずブクマ」という心理も働くことはあるとしても。
  • ウェブ内格差 - 陽だまりで眠る猫のように

    304 Not Modified: Web 2.0との上手な付き合い方 こちらを読んで。 うーん。どうなんだろう。 確かに、ブログがある程度広まり、「web2.0」なんて言葉が囁かれるようになったころは、みんなそういう認識を持ってたんだと思う。 Web 2.0 の最大の特徴は何かと問われたら、私はウェブの情報の所有者をなくして平等にしたことと答えてます。 でも、ネットの良さって誰もが発信できることじゃないですか。そこでまた誰が書いたのかとか、書いた人の経歴はなんだとか、そんな実名匿名論争なんてどうでも良いのですよ。「有名な○○氏が書いた記事だから読む」ではなくて、「これは良い記事だ!誰が書いた記事なんだろう?」ってなって欲しいじゃないですか。一度、スタートラインを同じにしたいんですよ。 などなど。 それは、長期的(4,5年。あるいはもっと)に見ればそうなのかもしれない。現在のアルファブロガ

    ウェブ内格差 - 陽だまりで眠る猫のように
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/09
    被はてブ数やRSS登録数のような見える形で、情報のハブのようなものはウェブの世界に確実に築かれつつあると思う。
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