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ブックマーク / monado.hateblo.jp (47)

  • ユルギス・バルトルシャイティス「異形のロマネスク」 - モナドの方へ

    書はバルトルシャイティスのパリ大学での博士論文を元に書かれている。 ロマネスク美術における彫刻に見られる異様に変形した図像の謎に迫る論。結論から言ってしまえば、図像が枠組みによって変形され、変形された図像が再び形体を産み出し図像が再生産されてゆくという流れ。丁度、モーフィングCGのように図像が変形していると分析してゆくのだが、その例証としてあげてくるバルトルシャイティス直筆の図が恐ろしく膨大なのである。 これだけの図像をかき集めてきて、「これとこれは、こういう風に見ると似てるでしょ?」と言われるとぐうの音もでない。ばっさばっさと図像変形を解読してゆくだけに、面白く読み進められた。 『幻想の中世』の中に、上半身だけの怪物の図像がなぜ作られたのか?という謎解きにおいて、それは下半身が摩耗した図像が誤って伝播したからという面白い切り口の論が出てくるが、書はそういったバルトルシャイティス節のま

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  • サイモン・シン、エツァート・エルンスト「代替医療のトリック」 - モナドの方へ

    恐ろしいである。不治の病や、慢性の持病を抱えてる人は読まない方がよいかも知れない。それを始めに警告しておく。 さて書はいわゆる通常医学でない代替医療が「ほんとうに効くのか?」を科学的に追求した内容だ。俎上に挙げられるのは主に鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法で、それらの歴史から現在の実験結果を紹介している。 結論から言えば、(一部例外はあるものの)ほとんどすべての代替医療には科学的見地に基づいた効果はないと断じている。あるとすればそれはすべてプラセボ効果だと言うのだ。 そして仮に代替医療が無害であったとしても、それらによって通常医療を受ける機会が減じる可能性がある、と糾弾している。その説得として瀉血の話を持ち出し、エビデンスのない医療がいかに危険であり、二重盲検に基づいた実験の統計がいかに大切かを説明してみせるのは、半ば脅しもはいりつつも、巧い。 また、あくまでその医療

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  • フェリシア・ミラー・フランク「機械仕掛けの歌姫」 - モナドの方へ

    19世紀の文学における人造美女に焦点をあてた文学研究書。人造美女の、しかも声に焦点を当てているあたりがキモである。 訳者あとがきにもあるように『イノセンス』や『初音ミク』を有する我国がこれをスルーしてよいわけがない。タイトルからして「どうみても初音ミクです。当にありがとうございました」だ。ミッシェル・カルージュ『独身者の機械』の系譜は、まさに今、花盛りなのである。 人造美女ときたら普通はヴィジュアル先行と考えがちだが、書でのコアとなるのは音声である。まずもって他者と自己との境界をヴィジュアルで得るおなじみの「鏡像段階」以前に、母からの呼びかけを中心とした「音響の鏡」の認識があるというディディエ・アンジューの理論を強調する。 一方で女性に音声、男性に書き文字と属性を振り分ける二分法の危険性の指摘も忘れない。近代哲学から現代思想の潮流を踏まえた上で語っており、信頼できる書き手だ。 その中で

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    hazy-moon
    hazy-moon 2010/05/03
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  • 小松和彦「神隠し―異界からのいざない」 - モナドの方へ

    「神隠し」とは何か?その事例をあげ、分類し、それらを民間信仰とつなげつつも具体的な意味づけを試みている。薄いながらも大きな視点を持ったである。 まずはいくつかの事例が挙げられ、それらから神隠しを4つのタイプに分類している。 ・失踪者が無事に戻ってきて、体験談を話す(A1) ・失踪者が無事に戻ってくるが、記憶がない(A2) ・失踪者が帰ってこず、事件自体はフェードアウトする(B) ・失踪者が死体となって発見される(C) 以上の4タイプである。 それを踏まえた上で、民間伝承や神話的世界をからめながら分析してゆく。 個人的に興味を惹かれたのは終盤にでてくる「神隠し」の社会的意義だ。もしかしたら人の気まぐれからなる単なる失踪を、天狗の仕業などということにより、再び帰ってきたとき、すべてを免責して受け入れるという機能が「神隠し」にはあった。 連れ去られるべき異界を失った現代人は「神隠し」ではなく

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  • 小林泰三「セピア色の凄惨」 - モナドの方へ

    大変不快な気分にさせられる連作短編集。 これまでの作品のように、SF的なことも超自然的なことも起きないのにもかかわらず、異様な世界に連れ去られる感覚を得られる。これまでの作品にも感じられたテイストではあるのだけれども、ガジェットに頼っていない分、純粋にその厭らしさを味わうことができるだろう。 どの作品も、ある種の感覚というか妄念を無理矢理膨らました一発ネタ的ではあるのだが、ここまでキチガイじみた心情を執拗にロジカルに描写するという姿勢には恐れ入る。狂った登場人物が妙に論理的なのが、また厭な感じを増長させるのに一役買っているのだ。コミュニケーションがとれそうでとれない、あの歯がゆい感じがずっと続いているような、なんとも気持ち悪い感じ。それが低音で鳴り続けながら、物語は冷酷に破滅へと向かってゆく。 さらりと読めてしまうのにおぞましい読後感。読んでいてムカムカするような小説が大好きな人には大変お

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  • 辻由美「火の女 シャトレ侯爵夫人―18世紀フランス、希代の科学者の生涯」 - モナドの方へ

    今でも読まれているフランス語版のニュートン『プリンキピア』の序文にはこうある。 「ふたつの驚異がなされた。ひとつは、ニュートンがこの著作をあらわしたことであり、もうひとつは、ひとりの女性がそれを翻訳し、解明したことである」 これを記したのは、かのヴォルテール。そして翻訳したのが書の主人公シャトレ公爵夫人(以下、書にならってエミリと呼ぶ)だ。自分はヴォルテールがらみからエミリを知っていたのだが、彼女を中心にしてみた18世紀というのは書で初めて体験したことだった。 少女時代から『アエネイス』を翻訳するほどの語学力を持ち、なによりも物理と数学に夢中になった少女が、結婚し、幾つもの恋愛を経て、時にはギャンブルに夢中になりながらも、なによりも科学の発展に貢献したというエピソードがつまらないわけがない。彼女を中心として人間関係を負ってゆくことで、18世紀における世界像や科学者哲学者の主張が立体的

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  • これまで読んだのをまとめだし part1 - モナドの方へ

    を読んではいるのだが、全然、感想を書いてないのでまとめて書く。 順番はおおよそ読んだ順です。 トーマス・パヴェル「ペルシャの鏡」 ルーマニアのボルヘス!ライプニッツの哲学をモチーフにした作品などなど。 文章の眩暈感はあるものの、正直わかりにくい。ウンベルト・エーコとかが好きな人には面白いかも。 ペルシャの鏡 (プラネタリー・クラシクス)posted with amazlet at 10.02.28トーマス パヴェル 工作舎 ASIN:4875022123 Amazon.co.jp で詳細を見る 長谷敏司「あなたのための物語」 イーガンの短編をわかりやすく長くした感じ。前半2/3がぐだぐだしてる感じだけど、後半1/3はよかった。 ITPの定義がもう少し精密に説明されていた方が物語に入り込めたような気がする。 ラストはずるいけど泣いちゃう、よね。 あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・

  • ジョルジュ・ペレック「煙滅」 - モナドの方へ

    フランス語で最も多く使われるアルファベットのE(うー)をまったく使わず書かれたノベルが、まさかの邦訳! 胸を膨らませてたものの、まさか翻訳されるとは思ってなかったので、心の底から驚かされた。 邦訳では、仮名の「ある段」をまるまる使わぬアクロバットな荒技を行ってるのだ。それがどれほど困難だったかは想像を超えるが、わずかだけ眺めたのではまったくわからぬナテュラルな文で作られ、ただただ感服。読めば読むほどハラハラする。 またこれは他のペレックの作でもよくある点だが、固有語がたくさん出てくるのも驚かされる。「アルサンボルド(フランス語音)」「スファンクス」などの危なげな部分も散見されるが、そこは限度まで少なくなるよう工夫されてるとのこと。 様々な翻案された文学の模倣・要約がでてくるのも刮目点だろう。ボルヘスの『エル・アレフ』、ボルヘス&カサーレス『ブストス・ドメック』、レーモン・ルーセル『ロクス・

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    hazy-moon
    hazy-moon 2010/01/12
    イ段抜き小説のイ段抜き評
  • 飯田隆「クリプキ―ことばは意味をもてるか」 - モナドの方へ

    手軽に読めるわりに内容の詰まった哲学のエッセンスシリーズの中でも、どちらかというとマイナーな哲学者を扱った一冊。 クリプキのそれもウィトゲンシュタイン解釈にテーマをしぼり、言語や記号の意味についての面白い考察を紹介している。 あらゆる言葉は、それを発する人間にとっての私的言語である。それが一見厳密に定義されている数学的な記号であっても、それを理解しているということ自体を伝えることはできない。換言したり、多くの例を挙げて、そこに共通性がみられることによって、その人が自分と同一の理解しているということを知る。 換言は言語を言語で説明しているのだから、無限後退を起こす。 例を挙げるという帰納的方法は、数学的帰納法のように無限にあげつらうことができない以上は、有限の範囲でしか伝達を行えない。 こうして、あらゆる言葉は私的言語に過ぎなくなり、他者へ伝える機能としての意味を持てなくなってしまう……これ

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    hazy-moon
    hazy-moon 2009/10/07
    "換言は言語を言語で説明しているのだから、無限後退を起こす。" ボルヘスの「言語は引用のシステムにほかなりません」をなんとなく連想した
  • レーモン・クノー「青い花」 - モナドの方へ

    スゴイ!でも絶版! 夢と歴史(=物語)をテーマにした壮大な実験的な小説である。 書にはオージュ公爵とシドロランという二人の主人公がいる。 シドロランのほうは現代(と言っても1960年代)のパリらしきところで、河船に乗って暮らしている。 一方、オージュ公爵はしゃべる馬を引き連れて、始めは13世紀、15世紀、17世紀とどんどん時間旅行をしつつ最後は現代にたどり着く。何を言っているかわからないと思うが、読んでいるこっちもわけがわからない。別にタイムスリップなどというギミックが用意されているわけでもなく、なんの説明もなしに時間軸を飛び越えてゆくのである。 二人の関係は胡蝶の夢形式になっていて、片一方が眠るともう片一方が目覚めて語り出すという形式をとっている。普通、この形式でやるなら切り替わるたびに章を切り分けそうなものだが、シームレスにそれをやってしまう。はじめこそ「××は眠りについた」で次の行

    hazy-moon
    hazy-moon 2009/09/25
    "オージュ公爵はその時代にないはずの言葉を使ったりして、他から突っ込まれたりする" 高丘親王航海記にもそんなやりとりあったなぁ
  • 小林泰三「臓物大展覧会」 - モナドの方へ

    小林泰三の得意とするある種のテイストにニヤリとさせられる短編集。 タイトルと表紙から想像されるようなグロくてホラーな感じというのはほとんど無し。むしろ論理的な展開とあざやかなオチが目立つ。個人的にデビュー当初から感じていた星新一っぽい風味が色濃く出ている一冊だ。 以下、気になったところをリストアップ。 透明女 元ネタは萩原朔太郎の「死なない蛸」だろう。これまた大好きな短編なので、それだけでも満足。 ホロ ははあ、これが噂の狼と香辛ryと思ったら全然違った。むしろアーサー・ケストラー「機械の中の幽霊」のホロンか。というか「機械の中の幽霊」プレミアつきすぎ! 機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)posted with amazlet at 09.04.25アーサー ケストラー 筑摩書房 売り上げランキング: 517343 おすすめ度の平均: GHOST IN THE SHELL Ghost In

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  • 伊藤計劃「ハーモニー」 - モナドの方へ

    生体情報のすべてが管理された社会でおこる事件と、巨大なパラダイムシフトの物語。 一読、問いとしては最高に面白い、しかしストーリー&オチはやや不満であった。 まず読んでいて気になったのがetmlで、この記法が気になって気になってなかなか読み進めなかったほどだ。たとえば <list:items> <l:文章1> <l:文章2> </list>というような表記があるんだけど、これじゃ文章の部分が修飾できないよ!と出てくるたびにつっこみを入れてしまった。 またその使い方にも気になるところがあって、たとえば <list:company> <c:セキュリティー・アーツ社> <c:ハードシールド社> <c:ユージーン&クルップス社> <c:エトセトラ、エトセトラ> </list>わーエトセトラは会社名じゃないから!セマンティックが!セマンティックが!自分落ち着け!とこんな調子で読書していたのでなかなか進

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  • 「ユリイカ2009年3月号 特集=諸星大二郎」 - モナドの方へ

    言わずとしれた諸星大二郎の特集号……と言いたい所なんだけれども最近の若者は知らないらしい。文学で言えばカフカやボルヘスのようなことをやっていると言っても過言ではない諸星大二郎を知らないなんてもったいなすぎる! やはり自分が好きな作品の評が気になるところで、そういう意味では春日武彦の「感情のある風景」評が一番心をまさぐられた。この中で取り上げられている作品はどれも心に刺さって消えない名作ばかりである。 また反ユートピアという切り口から読み解く巖谷國士の論も、半分くらいは澁澤龍彦に言及してる脱線ぶりがほほえましい。円城塔の批評的な小説はいつもの通りで、テクニカルな筆致がさえている。 書を読んでいて作品を読み返したくなったのはマッドメンだ。読んだ頃は全然知らなかったんだけれども、構造主義人類学に基づいてきっちりつくられているらしい。今の知識を使ってちゃんと読解したい。 ファンならば幻の初期短編

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  • T・R・ピアソン「甘美なる来世へ」 - モナドの方へ

    トリストラム・シャンディの脱線、南部ゴシックのストーリー、meets ポストモダン糸柳文体。 一行目からして、これだ。頭がくらくらする。 それは私たちが禿のジーターを失くした夏だったが禿のジーターはジーターといってももはや大半ジーターではなく大半スロックモートンにたぶんなっているというか少なくとも大半スロックモートンになっているとたぶん思われていてそう思われることが大半ジーターだと思われることより相当の向上ということになるのはジーターには大した人間がいたためしがないのに較べてスロックモートンたちはかつてはひとかどの人間だったからであるがただしそれも金がなくなり威信も消えてしまう前の話であって今となっては空威張りと汚名と漠たるスロックモートン的風格が残るばかりでありそんなものは全部合わせたところでおよそ騒ぎ立てるほどの遺産ではないのであるがそれでも空威張りにせよ汚名にせよ漠たる風格にせよどの

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  • セルゲイ・パラジャーノフ「ざくろの色」 - モナドの方へ

    18世紀アルメニアの詩人、サヤト・ノヴァの生涯にオマージュを捧げた映像詩。 生涯というか、ある種のイニシエーションの段階のような章立てで進む。物語も映像も象徴的であり、明確なストーリーは語られない。そこはかとなく読み解くことは可能だが、その真意に到達するにはかなりの知識を要するだろう。 そういう意味でも、一連のシークエンスは従来の映画と言う枠組みよりは、錬金術の図像を思い起こさせるものであった。またその色彩感覚と画面構成はカルロ・クリヴェッリの絵画を連想させた。 見終わったときの満腹感たるや、一生分の映像を見たという感じだ。 アルメニアは古くからのキリスト教国。そのせいかタイトルにもある「ざくろ」を中心に、キリスト教的に重要とおぼわしきシンボルがたくさんでてくる。それらの意味をイメージシンボル辞典などで調べながら見ると面白いかもしれない。 ざくろで言うなら、豊穣、聖性、和合、勝利、自己充足

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  • 網野善彦「異形の王権」 - モナドの方へ

    文献だけでなく絵巻物などを結びつけて語る、異形の日像。 ヴァールブルク以降、西洋でも起きた流れを導入し、図像学的な手法を一部取り入れているので、読んでいてとてもワクワクさせられた。 作者は文献の内容を絵に当てはめただけと謙遜しているが、その説得力はなかなかのもの。文献だけだと、小難しい古文がわらわらと出てきて「読めないよ!」と頭を抱えてしまう所なんだけど、絵を見せて「ほらここにこんな風に描かれてるでしょ!」と言われると一発で納得できる。 聖と賤、ハレとケ、その間に跋扈する「異形」。そんな不安定な動乱の時代に現れる異形のものたちを次々と描き出してゆく。教科書ではお目にかかれないような奇っ怪な存在や風習に、これまでの日のイメージが崩れていった。 日史に興味がない人でも、トリビア集として読むだけでも面白い一冊。 異形の王権 (平凡社ライブラリー)posted with amazlet at

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  • ホルヘ・ルイス・ボルヘス「闇を讃えて」 - モナドの方へ

    ボルヘス第五作目の詩集である。詩集といっても、超短編のようなものまで含んでいて、物語的にも面白いものも多い。もっともこれは訳文だと押韻もリズムも消えてしまうからかもしれないが。 闇と鏡の孕む永遠性が、作品の根底にある。これには迷宮だの書物だのも含まれ、いかにもボルヘスらしい語られ方で描写されている。 美しい言葉で綴られた詩に、ふと挿入される 蔵書を配置する行為は 無言で慎ましやかな 批評の技を行使することだ こんな言葉が、深い感銘を与えてくれる。 短編的なものでは「民族誌学者」「彼の終わりと彼の始まり」あたりが面白い。雰囲気としては「ブストス=ドメックのクロニクル」のような哲学的な物語だ。 ボルヘスは「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」の中で「交配と鏡は恐ろしい――(中略)――宇宙を増殖し、拡散させるから」と書いている。寺山修司は「盲人書簡」の中でそれを引用しつつも、闇はすべ

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  • 「現代の批評理論」 - モナドの方へ

    批評理論なんて全然知らなかった大学の頃に、たまたま見つけたこの三冊図書館から借りて読み批評理論の基礎と面白さを知った。基的なところをまんべんなく押さえていて、しかも結構分かりやすいので良い入門書だ。特にイエール大学四天王の紹介がイイ。 次回monado niteで批評をテーマにしようかなと思っていることもあって購入。絶版なので手に入りにくいのが難点である。批評理論が気になっている人は、図書館なりで探して読んでみるとよいですよ。 物語と受容の理論 (現代の批評理論)posted with amazlet at 08.09.05 研究社出版 ISBN:4327152013 Amazon.co.jp で詳細を見る 構造主義とポスト構造主義 (現代の批評理論)posted with amazlet at 08.09.05 研究社出版 ISBN:4327152021 Amazon.co.jp

  • ジョン・バース「旅路の果て」 - モナドの方へ

    ――ある意味で、ぼく、ジェイコブ・ホーナーだ。 こんな痺れる一節で始まる、アメリカ・ポストモダン文学の名作。文体の格好良さは訳者によるところも大きいのかもしれないが、やはりポストモダンらしいひねくれた鋭さを持っている。 内容は個人的にそんなに好きになれるようなストーリーではなかったが、ところどころにちりばめられた妙に小難しいテクニカルタームや、逆に平易な文なのに妙にカッコイイ文体に、思わず引き込まれた。ストーリー的な意味では、終盤の中絶のシーンが恐ろしいの一言。切迫した感じが、ホラー小説では逆に味わえないリアルさで、これは苦手な人もいるだろう。 そして最後の一節はたった一言なのだが、「旅路の果て」というタイトルにふさわしい。その文体に痺れる感じを味わうためにも、自らの目で確認していただきたい。 旅路の果てposted with amazlet at 08.08.26ジョン・バース 志村 正

  • 中沢新一「はじまりのレーニン」 - モナドの方へ

    あらゆる予備知識と先入観を捨てて読んでくださいとの前書きから始まる。もともと予備知識も先入観もなかった自分としては、多少の警戒心だけを持って読むことにした。 よく笑うレーニンというのを軸に、序盤こそ歴史的な背景やら思想やらに裏打ちしながら書かれているんだけど、第五章の聖霊による資論でヤコブ・ベーメに言及するあたりから、ちょっといかがわしい臭いが漂ってくる。 そこからはフィリオクエ論争という正教キリスト教カノンの書き換え問題から、レーニンとヘーゲルの関係をつなげてゆくという誠に奇っ怪な論議へと展開してゆくのだ。最終的にはグノーシス主義をキーワードにして、隠蔽されたレーニン像を明らかにしてゆく。 普通なら、なんだこれ?となってしまうところなのだが、そこは中沢新一の筆致に押されて、そう言われてみればそうかもしれないという気になってくるから不思議だ。 レーニンは恐がらずに墓へ行った、と締めくくら

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