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村上春樹に関するhelplineのブックマーク (52)

  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

  • 1Q84を読んでない感想 - 峰なゆかのひみつの赤ちゃんルーム

    村上春樹の1Q84がでたとき、いろんな雑誌でところかまわず特集が組まれてたので、いちおう私もいくつか書評の依頼をいただいたんですよね。 ここぞとばかりに春樹バッシング総ざらいのような記事が横行していたので、私が何を書いても「AV女優にまで村上春樹は馬鹿にされてるぜ」というノリだったり「村上春樹を擁護する人なんてAV女優くらいしかいませんよー」的な雰囲気になってしまいそうで、普段はあんまり仕事の選り好みをしないのですけども、こればっかりは迷ったけどやっぱり断ってしまいました。 というかそもそも読んでないし。 ベタなエピソードかと思われますが、けっこう最近までIQ84(アイキュー84)だと思ってたから、きっとIQが84の足りない子といつもの「僕」がなんやかやする話なんだろうと思ってたし。 ほんとのとこのストーリーは今でも知らないし。 前に、女子がエロを買うときは、「エロ読みますけど、何か?

    1Q84を読んでない感想 - 峰なゆかのひみつの赤ちゃんルーム
  • 村上春樹氏:「1Q84」を語る 単独インタビュー(1) 「来夏めどに第3部」 - 毎日jp(毎日新聞)

    5月に出した長編小説『1Q84』(第1、2部、新潮社・各1890円)が大きな話題となっている作家、村上春樹さんがこのほど、毎日新聞のインタビューに応じた。1980年代の日を舞台に「個人とシステムの対立」を描いた重層的な物語だが、村上さんはさらに第3部を執筆中であることを初めて明らかにした。新作に込めた思いを聞いた。【構成・大井浩一】 ■最初は『1985』 --『1Q84』は現在、2巻とも18刷を重ね、「BOOK1」が123万部、「BOOK2」が100万部と、ミリオンセラーを記録。複数の研究が出版されるなど、驚異的な反響を巻き起こした。 「僕の固定読者は、長編で約15万~20万人いると自分では考えています。それくらいだと、自分の発信したものがそれなりに受け止められているという手応えがある。50万、100万となっちゃうと、どんな人が読んで、どんな感想を持っているかはなかなか見えないですよ

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  • 文学におけるナレーションの効用――鹿島田真希と村上春樹 - 2009-06-13 - 感情レヴュー

    [rakuten:book:13177064:detail] 鹿島田真希論、書き終わりました。どこかの雑誌に載る予定なので、発売が近付いたときに改めて紹介します。 セールスポイントは、前回のエントリにも書いた通り、鹿島田作品をメタフィクション批判の観点から分析しているところです。それからもう一点。読者を物語(フィクション)に繋ぎ留めるためには、キャラクターを触媒にするジャンル(ライトノベル)と、プロットを触媒にするジャンル(SFやミステリなどエンターテインメント系ジャンル小説)がありますが、ナレーションを触媒にするジャンルもあり、それが純文学だということも論じています。 そもそも文学というジャンルは、成立当初からナレーションにこだわってきたジャンルだということを確認しておきたいわけです。構造主義の文脈からナラティヴ論が批評の言葉として立ち上がり、これまで洗練されてきたのも必然的なことだった

  • 1Q84 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    1Q84 BOOK 1 作者: 村上春樹出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/05/29メディア: 単行購入: 45人 クリック: 1,408回この商品を含むブログ (1265件) を見る 1Q84 BOOK 2 作者: 村上春樹出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/05/29メディア: 単行購入: 40人 クリック: 432回この商品を含むブログ (941件) を見る Book Description 1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。 そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。 そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。 私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。 Book 1 心から一歩も外に出ないものごとは、こ

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  • こどもと言葉と世界のルール - ohnosakiko’s blog

    ただ、私が思うのは、人間が正しさを求めるその姿というのは、まさに人間の質ではないかということだ。人間は弱い。我々は、生来的には直感として正しさ感じることはできないのだと思う。これは、うちのこども(3歳)を見ていると強くそう思う。うちのこどもは保育園に通っているのだが、そこで言われたであろうルールを常に杓子定規に振りかざし、すぐに誰が悪いかの断罪をはじめる。おもちゃを買えとねだるから断れば、小さい子のお願いを聞いてあげないのは悪いことだ*3!と指をさして追求してくる。あのね、お願いにもいろいろあってねと説明するわけだが、私には彼が交渉を目論んで詭弁を弄しているようには思えない。純粋に正しさを求めているのだ。何かを欲しいとちゃんとクチに出して言うことは良いこと*4で、それを聞き入れないのは悪いこと*5なのである。何故正しさ求めるのかといえば、それは何が正しいかがわからず、不安だからだろう。だ

    こどもと言葉と世界のルール - ohnosakiko’s blog
  • 村上春樹氏のいう正論原理主義っていうのは

    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

  • 村上春樹の言葉 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    2月15日、村上春樹はイスラエルでエルサレム賞を受賞し、スピーチを行った。文藝春秋四月号(今、屋で売っている号だ)に、村上春樹のインタビューが載っている。プロフェッショナルな小説家として、なぜイスラエルに行って、そのエルサレム賞を受けたかを語っている。 村上春樹のエルサレム賞受賞が報じられてから、わたしも村上春樹は賞を辞退するべきだと思っていた一人なので、なぜ、彼がその賞を受けたのか、非常に興味を持って、そのインタビューを読んだ。また一方で、村上のスピーチ全文がインターネットにおいて、様々な形で翻訳され、読む機会を持つうちに、村上の同時代の作家としての行動に感心を深めた。 村上のインタビューは約8ページにわたって掲載されているのだが、彼のスピーチ全文(英語、日語)とあわせて読むとプロフェッショナルな作家の凄みを感じる。言葉に対する希望に満ちている。小説家が表現することとはどのような事か

    村上春樹の言葉 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 文藝春秋4月号を買って村上春樹のインタビューを読む~壁と卵と政治と文学~ - 関内関外日記

    2009-03-10 文藝春秋4月号を買って村上春樹のインタビューを読む〜壁と卵と政治と文学〜 ニュース 読書 おはようございます http://www.asahi.com/culture/update/0308/TKY200903080140.html この文藝春秋、これを今朝買つた。どこかコンビニで買へるだらうと思つてゐたら、アパートから一番近い山崎パンショップの店頭に一冊在る。つねづね、「ここで漫画や雑誌… 2009-03-10 ひさびさにまたがっている 自転車 ここのところの悪天候続きで、すっかりクロスバイク乗ることできず、会社に置きっぱなし(アパートの自転車置き場は屋根がないので、いくらカバーかけても置いておきたくない。というわけで、雨予報出たら徒歩or折りたたみ自転車)。このままではいかんと、… 2009-03-10 俺かと思ってたらBOTだった。うれしい。そんな未来へ。 ネッ

    文藝春秋4月号を買って村上春樹のインタビューを読む~壁と卵と政治と文学~ - 関内関外日記
  • 村上春樹擁護論と「文学的自由主義」 - lmnopqrstuの日記

    20:29一 「観客席」への批判について村上氏を批判する際には、常に、同時に、その背後にいる「自分の問題として引受けない人たち」を批判するべきだ、ということです。僕自身は、「村上氏よりも」そちらを批判することに主眼を置いています。いずれにせよ、絶対に不問にしてはならないのは、村上春樹よりも、「観客席」にいるつもりの人たちのはずです。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090217/p1 行為主体である村上春樹を批判するより先に、相対的にしか責任を有さない「観客席」の人々を批判することを主眼とするのは、端的に言って、やはり間違いではないか。パレスチナ問題が自分に無関係な事柄であるかのように生活しながら、都合のよい時だけ観客席から拍手喝采する人々の無責任な偽善ぶりは、確かに批判されるべきだろう。しかしだからといって、このような人々への批判が、村上春樹自身の責任を

  • パレスチナを、村上春樹のエルサレム賞講演がきっかけで読み始める人に勧める5冊の本 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「村上春樹をエルサレム賞講演がきっかけで読み始める人に勧める5冊の」@鰤端末鉄野菜 Brittys Wake ↑に便乗して、返礼してみる。とはいえ、僕はパレスチナ関連のを網羅的に読んでいるわけではないし、全然書誌情報が足りない。というわけで、知人の手助けなども借りてリストした上で、内容紹介については、パレスチナ情報センターの「書籍紹介 パレスチナ/イスラエルに関する注目の書籍」を参考に。勝手に「文学っぽいにおいがするなぁ」と思ったものをチョイス。*1 村上春樹ファンと村上春樹嫌いと村上春樹がどうでもいい人に捧げます。 イスラエル/パレスチナに関心を寄せるすべての人と、今はまだ関心を寄せていないすべての人にも捧げます。*2 1. エドワード・サイード『パレスチナへ帰る』 パレスチナへ帰る 作者: エドワードサイード,Edward W. Said,四方田犬彦出版社/メーカー: 作品社発売日

    パレスチナを、村上春樹のエルサレム賞講演がきっかけで読み始める人に勧める5冊の本 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 全文翻訳は適法か - 理系兼業主婦日記

    知的財産 |  先頃、村上春樹氏がイスラエルの文学賞である「エルサレム賞」を受け、その受賞スピーチが注目を集めました。日の各紙を含めて多くの報道機関が部分的な引用のみにとどまった中、イスラエルのHaaretz紙のみが、氏のスピーチの全文を掲載しました。 これを受けて、日のブロガーたちが次々とその全文翻訳を試み、配信し、多くの読者を集めたようです(村上春樹さんの受賞スピーチ、日のブロガー陣がスピード翻訳 「ハルキ風」も (ITmedia))。一部では、日の報道機関が全文を配信しなかったことについての批難の声も上がっていました。  インターネットが普及した今日、このような民間のボランティアによる知の共有に一定の利点があることは否定しません。しかし、あくまで現行の著作権法に照らした場合、このような行為は適法であるといえるのでしょうか?  現行の著作権法が、現在の著作物の利用実態に即したも

  • 「壁」を巡って幾つか - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 村上春樹氏の”Always on the side of the egg”*2がhttp://0000000000.net/p-navi/info/column/200902180109.htmに全文引用されている。 さて、 システムは人間の手で作られたもの。人間が作り替えることができるもの。The System did not make us: We made The System. システムを絶対視して、偶像にするな……と言っているようだ。旧約聖書的な響きがする。 http://d.hatena.ne.jp/eirene/20090218/1234926939 「壁」=「システム」と思考停止に関して先ず想起されるのは、同じイェルサレムで死刑判決を受け・処刑されたアイヒマンだろう。また、「壁」というと、やはりピンク・フロイドのThe Wall*3。ただ、さらにここでは「壁」と私

    「壁」を巡って幾つか - Living, Loving, Thinking, Again
  • あなたは、「村上スピーチ」の何が素晴らしいと言っているのですか? - 琥珀色の戯言

    村上スピーチの何が素晴らしいと言っているのか、もうちょっと知りたい(「新・鹿田内りなこさんのぺえじ」2009/2/19)(おそらく、2/20以降はこちらにログが保存されるのではないかと思います) ↑を読んでいて、僕はけっこう考えさせられました。 村上春樹氏のスピーチは、あちこちで絶賛の様子である。 しかしながら、何がどう素晴らしいと絶賛している人たちがおっしゃっているのかが、いまひとつよく分からない。もう少し、ネットなどであちこちを探す必要があるのかもしれないが、なかなかまとまった時間が取れない。 私が思うに、「壁と卵の比喩」が直感的に分かりにく過ぎる。 皆さんが、「直感的に素晴らしい」と感じるなら、私の理解能力が低過ぎるのかもしれない。 私個人は、村上春樹の小説は初期のものからかなり読んでいて、村上春樹独特の言い回しについても、大体は理解しているつもりである。それにしても、「壁と卵」の比

    あなたは、「村上スピーチ」の何が素晴らしいと言っているのですか? - 琥珀色の戯言
  • 日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記

    熟慮の末の決断だったに違いない。辞任したどこかの大臣ではなく、世界中にファンを持つ作家、村上春樹さんの話である。イスラエルのエルサレムで文学賞の授賞式に臨んだ彼はガザ地区への攻撃を周到に、そして手厳しく批判した。 ▼その講演は体制を高く固い壁に、それにぶつかって壊れる個人の精神を卵にたとえている。「私たちを守るはずの体制が私たちを殺したり、私たちに他人を冷酷に効果的に組織的に殺させたりする」。少しばかり難しい言い回しだが趣旨は明快だ。「壁と卵の間で、私はいつも卵の側に立つ」とも作家は宣言した。 悪いコラムではないし、まあ、ちょっとこういうのもなんだけど、その程度に読まれるのはしかたないなと思うけれど、春樹さんがあのスピーチで言いたかったことは、イスラエル対ハマスではないのですよ。もちろん、今回のイスラエルの対応は非難されるべきであることは普通に国連の動向からしても明白。そしてその明白な批判

    日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記
  • 「日本人」として村上春樹のスピーチを聞く - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    私は、村上春樹が、エルサレムで語った言葉を、「日人」として聞いた。 イスラエルは、国家というシステムを切望する情熱から生み出された。私は、その情熱を持っていない。なぜならば、私は「日人」であることを生まれながらに付与され、特権を享受し、国家に守られて生きてきたからだ。それが当たり前にありすぎて、疑うこともなく育った。システム(壁)の内側の人間である。 村上春樹は、このような「日人」を相手に小説を書く。読者も、村上春樹を「日人」だと想定している。「日人」のコミュニティの中で、「小説家・村上春樹」は存在している。たとえ、村上春樹個人が、日を嫌って移住しても。 村上春樹は、エルサレムで「私は小説家である」と言った。このとき、「日人」コミュニティ内での「小説家・村上春樹」と、エルサレムでスピーチを行う村上春樹は接続される。多くの「日人」は、エルサレムでスピーチする村上春樹を「日

    「日本人」として村上春樹のスピーチを聞く - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 代弁すること、加担すること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて」 半ば名指しで批判されていることですし、応答したいと思います。 代弁の問題 驚くべきことに、村上には、「ここに来ることを決心」するにあたって、パレスチナ人に自分の受賞がどう映るか、ということを考慮した形跡は欠片もない(少なくとも、そうした点への弁明が必要だとは全く考えていない)。日での、村上への呼びかけしか眼中にないのだ。 また、村上は、自分のスピーチが「政治的なメッセージ」でないことを繰り返し語っているが、パレスチナの民衆から見れば、イスラエルの蛮行を世界的大作家は拒絶していない、という「政治的なメッセージ」以外の何者でもないだろう。もちろん村上がスピーチで、例えば、「賞金の1万ドルは、全額ハマスに寄附する」とでも表明すれば話は変わってくるだろうが。 もちろん、「パレスチナの民衆から見れば」という視点は大事ではあるんですが、この語り方はどう

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  • あなた、今どこにいるの?―村上春樹と「主体」について - あままこのブログ

    つい先日、エルサレム賞という、イスラエルの文学賞が村上春樹に対して贈られ、そしてその受賞スピーチの席上で、村上春樹が、イスラエルのガザ攻撃を批判したというニュースが話題になっていた。そのニュースによると、村上春樹は軍事力による攻撃や、分離壁の建設を「壁」とし、そしてその壁によって殺される者を「卵」として、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」としたそうだ。 それについてどう解釈できるかは、またこの文章の終わりに書くとして、日におけるそれへの一般的な反応としては、まず、村上春樹はそういう生臭い政治的なものを忌避している代表のような文学者なのだから、今回の様なスピーチをするというのは意外だという声があり、そしてそれとは反対に、とくに最近の村上春樹は、そういう自分の範を超えた大きな「世界」に対してコミットメントするようになってきたから、今回の様なスピーチも意外では

    あなた、今どこにいるの?―村上春樹と「主体」について - あままこのブログ
  • 村上春樹が守ったほんとうのもの - 赤の女王とお茶を

    村上春樹スピーチ全文和訳Ver.1.2 私としては村上春樹がエルサレム賞を受ける受けない、そしてなにを言うか、そんなことは現時点のガザ状況に、それこそ卵の殻に傷をつけるほどの影響ももたらさないと思っています。 私自身はイスラエルを批判すべきだと思いますし、その点からも今回の村上氏の姿勢は評価されるべきものだと思います。しかし、上の理由により、私はこの件はどちらかというと、村上春樹の小説の「リアリティ」に関わる問題として眺めてきました。 そして村上春樹は自身の「嘘=小説」のリアリティを最大限に守ることに成功したのだと思います。 私は以前書いたように、「神の子どもたちはみな踊る」以降の作品を特に好んでいます。 さまざまなところで言われているように、ここから村上春樹はディタッチメント(関わらない)からコミットメント(関わる)を選んだ、とされますし、私もそう感じます。少なくとも、小説表現上は。 た

    村上春樹が守ったほんとうのもの - 赤の女王とお茶を