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ブックマーク / deztec.jp (34)

  • 国民所得倍増計画と高度経済成長の終焉(地域格差問題)

    現在の日では地方の衰退ばかりが問題視されるが、かつては都市の過密の方が大きな問題だった。それゆえ、都市から地方へ様々な分配を行う政策が、国民に広く支持された。 しかし、都市の過密を政治的に抑制したことが、経済成長率の屈折、そして1990年代以降の停滞のひとつの要因となった。都市には集積の利益とともに過密の弊害がある。この外部不経済を取り込み、市場による問題解決を図れば、集積の利益を諦める必要はなかったはずだ。 1. 1960年、池田勇人内閣は国民所得倍増計画を閣議決定した。 国民所得倍増計画について 昭和35年12月27日 閣議決定 (1)計画の目的 国民所得倍増計画は、速やかに国民総生産を倍増して、雇用の増大による完全雇用の達成をはかり、国民の生活水準を大巾に引き上げることを目的とするものでなければならない。この場合とくに農業と非農業間、大企業と中小企業間、地域相互間ならびに所得階層間

  • 『ハーバード白熱教室』のガイドブックができました

    1.夏休みの自由研究、みたいな。 ガイドブック『セイギのつくり方。』できました! NHK『ハーバード白熱教室』の完全文字起こしを(勝手に)やったVisuaLectureのヒロケンさんという方に誘われて、白熱教室のガイドブック『セイギのつくり方。』のお手伝いをしました。全54ページの電子書籍(無料/PDF/約25MB)です。 ハーバード白熱教室ノートを面白いと思ってくださった方には、面白いかもしれない。全くの素人が夏休みの自由研究のようにまとめたものですが、ご一読いただければ幸いです。 2.『セイギのつくり方。』はこんなです。 タイトルは釣り。内容は『ハーバード白熱教室』のガイドブックです。 第1章「政治哲学者タイプ診断チャート」はウェブ版があります。所要時間は1分です。ガイドブックに関心を持っていただく手がかりとして、気軽に挑戦してください。(2010-08-29) 政治哲学者タイプ診断

  • 少数派の言論の自由と、命について

    1. Togetter - まとめ「今日の「おまい自分が何言ってるかわかってんのか」リスト・きっこ編」 「お金にならないから」という理由での涙なら理解できますよ。私が「詭弁」だと言っているのは、これまでに数え切れないほどの牛や豚を殺してきた人たちが、今回だけは殺すことを「かわいそう」と言っているのが理解できないだけです。 リンク先に発言が掲載されている人々の中での多数派(以下、多数派と書く)の判断によると、きっこさんによるこの発言は「差別」なのだそうだ。畜産業に従事する人が傷付く言葉なので、きっこさんは反省して謝罪しなければならないらしい。私は、賛成しない。 牛や豚を利用するために「殺す」のは悪いことだ、という考え方がある。それは世間の多数派の意見ではないかもしれないが、思想・信条の自由は認められていいだろう。そして、憲法が擁護する思想・信条の自由とは、単に内面の自由のみを指すものではなく

  • 医療の人手不足は国内で解決を図るべき

    看護師が人手不足だというので(他にも理由はあるが、ここでは捨象する)、日は発展途上国から多くの研修生を受け入れた。日には大勢の失業者がいる。人手不足は労働条件の悪さを反映している。失業者の生活保護をしつつ海外の安い労働力を頼るという政策は支持できない。 先進国では次第に「どうしても機械化できない仕事」の値段が上がっていく。それは意外と、単純労働だったりする。看護師のような専門的な技能を要する職種の給与アップさえ許容できないのが日という社会の現状だとすると、日ではもはや産業構造の転換は不可能ということになるだろう。 問題は、そのくせ医療水準だけは、進歩を続ける「先進国レベル」に喰らいついていくことが求められていることだ。これは矛盾である。医療サービスのいっそうの充実と、コストの維持を両立させろ、と。デフレ下で名目コストを維持するという条件ならともかく、実質コストの維持が求められるのだ

  • 表現規制、こんにゃくゼリー、ゾーニング

    1. 平成22年第一回都議会定例会/青少年|東京都 東京都青少年問題協議会 【Web】「表現の弾圧ではない」 東京都が青少年健全育成条例改正案を説明 (1/2ページ) - MSN産経ニュース 田中秀臣さんによる東京都「非実在青少年規制法案」問題へのツイートまとめ このところ、ネットの一部で話題の件。私のスタンスはコンセンサスに基づく児童ポルノ規制(2007-10-26)に書いたこととあまり変わらない。誤解を恐れずに書けば、日が直接民主主義の国ならとっくに決まっていたことが、間接民主主義によって判断保留となっているのが現状だ。 この変化は、おそらく個人の人生程度のスパンでは、不可逆のものだろう。人権擁護法案への反対運動と同様、今回もデマでも何でもござれの大盛り上がりだ。以前は、一方的な憶測・決め付けを恥じず、そもそも事実の確認を疎かにして他人を罵る姿勢を苦々しく思っていた。しかし絶対に多数

  • 年頭所感:2010年の基本方針

    1. リーナスの毎日は、組織に所属する技術者たち以上に勤勉である。その生活は「好きなことをしてただ漠然と過ごす」とか「嫌なことをしないで安逸な時間を過ごす」という安易なイメージの対極にある。「面白くやりがいのあること」だからこそ、没頭して長時間その対象にコミットする。よって社会への貢献度も自然に大きくなる。そのことに自負を持つ。そういう生き方である。 梅田望夫さんは「上位10%」を自認する意識の高い層に向けて発信されているのだから、リーナス・トーバルズさんの生き方を規範として紹介するのは正しいと思う。 私は「下位90%」の一人として生きていきます。「好きなことをしてただ漠然と過ごす」「嫌なことをしないで安逸な時間を過ごす」……素晴らしいことじゃないですか。そんな幸せな時間を少しでも長くとれるよう、現在の天国のような環境を守り抜くための様々な「戦い」を継続します。それが2010年の基方針で

  • memo:現場の本音

    うそ800のお話 ISO14001対応コンテンツ参照表 現場の人の打ち明け話。フォーマルな場ではなかなか聞けない音がたくさん。メジャーなジャンルだとこういった書籍もあるんだけど、ちょっとマイナーな話題になると、なかなか。 ……いや、実際にはウェブにもあまり情報ってないんだよね。屋にあふれてるタイプの情報の少なからずがウェブにはないし、ウェブならではみたいなコンテンツも、まだまだ品揃えがイマイチ。私が書いた「夏休みの宿題」が何年経っても特異な存在であり続けているのは、その一例。 ISOの環境管理に仕事で関係してる人は世の中にたくさんいるわけでしょう。ブログの断片的な記事だけでも、もっと書き手が多くなってもよさそうに思う。引退して制約の少なくなった人も多いだろうし。 Information Old:memo:ジュンク堂書店の雨天対策 New:memo:1行更新 注意書き 筆者は徳保隆夫(と

  • 倫理的な主張には利己的な動機が隠れている

    倫理的な主張には利己的な動機が隠れている(ことが少なくない)。 大学で出席しないのは「ずるい」? - m-birdとFreeBSDの同棲日記 ごく簡単にいうと、これは大学が「結果だけでなく学習態度も加味して評価されるべき場」なのか、それとも「結果だけが評価されるべき場」なのか、という問題。 大学の成績が全てなのか? 評価基準が自分の中にないのか? といった批判は妥当ではない。おそらく人は「学習態度に優れる自分」を高く評価している。その自負がむしろ、社会的評価は「結果だけでなく学習態度を加味して評価されるべき」という価値観を強化する。 これは学生を観察してみればわかる。要領よくサボりつつテストで高得点を取る学生ほど、「結果だけが評価されるべき」と考えている傾向がある。努力していて成績の悪い学生は「授業がヘタなのが悪い」という。サボっていてなおかつ成績も悪い学生は「土下座しても単位をくれない

  • 簡素な葬式を望むなら生前にお願いを

    ときどき聞くような話。 今朝、祖母が亡くなったんだけど、葬式がめんどくさくて仕方がないの なんで、シンプルに短時間で埋葬して低額で済むやり方を選択できない世の中になってしまったのだろうか?誰の洗脳だ?何回も言いますが、私には全くもって意味が分かりません。しかも、こんなひねくれた考えをして、葬式などに出ないと、周囲から揶揄されること間違いないだろ。あー意味不明だよこの習慣というか風土というか。 そうやって自分が気に入らない物事に全く理解を示さず一方的に非難することを是とするなら、自分が抑圧されるのも当然の帰結です。自分の意見は正しい、正しいのに抑圧されるのは理不尽だ……そう言い募るだけならば、批判の対象と自分自身に何の差もないことを知るべきだと思う。 どうせ他人の考えは変わらない。だからこれは個人の選択の問題だ。そう割り切った方がよい。 私の親族の場合、かつてはみな**家代々の墓に入っていた

  • simplem 無常

    2008年PC夏モデル:目指したのは“フリースタイル”な液晶一体型PC――「FMV-DESKPOWER F」を眺める - ITmedia +D PC USER はてなブックマーク - 2008年PC夏モデル:目指したのは“フリースタイル”な液晶一体型PC――「FMV-DESKPOWER F」を眺める - ITmedia +D PC USER iMac 礼賛が並ぶ。そもそも iMac が今のような形になったのは2004年から。鏡+液晶のG4が登場したのだって2002年。一方、NECSimplem は1999年に発売されている。XPS one のときも似た感じの反応があったが、真の先駆者より、記憶に残る機種を開発した者勝ちということか。 Simplem も店頭で見て衝撃を受けた人は結構いると思うのだけれど。ただ、価格性能比で他のデスクトップと比較して明らかに劣り、安目のノートにも勝てな

  • 残業は悪

    有能な人が残業するのは、よくないと思う。失業率が十分に下がり、フリーターが十分に減るまでは、有能な人ほど、勤務時間を短くしてほしい。 ふつうの人が残業するのも、よくないと思う。たまたま運悪く職を得られなかった同類たちの可能性を、潰してしまう。幸運をいいことに、一般人が有能な人間と同じだけ稼ごうとか、自分の損得のことばっかり考えるべきでない。いつ自分が職をなくすことになるかわからない。 残業をカットして、雇用を増やす社会を望む。どうやら、多くの人は自ら労働法規を破りたがるらしい。なんでだ。 念のため追記 「好きで残業してるわけじゃない」そりゃそうなんでしょうけど、私がいくつかのアルバイト先で見た光景は、仕事が途中かけでも、上司が残業指示書を出さない限り定時で帰る人への軽蔑、軽蔑、軽蔑。法律があるから、そんなことで解雇はできない。そのことがまた不愉快らしく、陰口で辞めろ辞めろの大合唱。 こうい

  • 講座設計のイロハ

    1. 数年前、ふと気になって、夏休みの宿題について WWW にどのような情報があるのか、調べてみました。出てくるのはたいてい、宿題に取り組む人のための情報でした。 たまに親視点の情報もありましたが、基的に「宿題に取り組むのは子どもであって私じゃない」というスタンス。子どもが宿題をサボるのは自分が至らないからだ、と考える親はほとんどいないらしい。なるほど、「勉強しなさい」と他人事のようにいうばっかりなわけです。 私が「夏休みの宿題」という小文集を書いたのは、こうした状況への抗議でもありました。宿題は家族で取り組むもの、子どもだけに「やらせる」ものじゃない。だから、保護者は子ども以上に、宿題にきちんと取り組まねばならない。そんな主張が、検索上位にひとつくらい顔を出してもいいはず……。 今日、「夏休みの宿題」と検索してみると、宿題の指導がたいへんというお母さんの質問が上位に出ていました。私の解

  • ニコニコ動画の人気と唐沢盗作騒動

    1. 実害がないんだから、あなたの商品の宣伝にもなっているんだから、いいじゃないか、と。相手が「プロ」だと、こういう物言いが庶民様相手に説得力を持つらしい。 なんでそんなこと、勝手に「いいじゃないか」なんていえるのか。 もちろん、いうのは自由。だけど、「はい、論破!」みたいな能天気が見え隠れするので、私はイライラする。 もう何度も何度も書いて書き飽きたことだけど、だったらあなたのブログを私が勝手に転載しまくってもいいのか? 改変して電波文を作って公開し、大勢で面白がってもいいのか? 原作に敬意を表してリンクくらい、してやんよ。はてなアカウントを持ってるなら投げ銭も添えておいてやんよ。どうだ文句ないだろう。 文句ありまくり、という人が多いはずなんだ。違います? 2. ニコニ考 - ニコニコ道が見えてきた この記事に賛同してる人の中のどれだけが、自分の記事も線引きを曖昧に利用されていいと思って

  • どんどん盗用してください

    それは私の文章です。 どうしてこういう、転載されて怒るような人の文章を持っていくのかね。ま、気に入った文章の作者が転載OKといってるなんてレアケースだから仕方ないんだろうけど。 当サイトの文章は「盗用」OKなんで、どしどしご利用ください。 ていうか、下手に「転載」されるより、著作者名を詐称して「盗用」してくれた方がいい。とくに、一部でも改変した場合はね。 それにしても、何年間も盗用大歓迎と言い続けてるのに、見知らぬ誰かがそっと盗用してくれてたという事例をひとつも知らない。「盗用された!」って怒ってる人を見ると、もう羨ましくって仕方がない。私の文章、そんなに属人的ですかね。面白いとは思っても、共感はしないってか? 以前もどこかで書いたことだけど 「これってまさに俺がいいたかったことだよ!」という文章があるなら、いちいち自分の下手な言葉で書き直す必要のない世界がいい。今日の気分を iPod に

  • 学生に考えさせる授業・2

    学生に考えさせる授業(2007-07-03)の続き。 暴論先生の理想(福耳さん) 福耳さんのコメント uumin3さん、どうも。自分も言葉足らずがありまして、仮説Cは、事前に決まっていないというか、まさにD,E,F,G…とどんどん学生に出しちゃってもらいたい、その「事前に想定しうる落しどころ」からどのくらい外れるか、というところを評価したいのですね。正解を事前には決めているわけではなくって、まさに「おお、そこまでは僕も考えつかなかった、思い至らなかった要因だなあ。よく気がついたなあ。」という風に相手を褒めたいし、それはまさに僕の意図どおりなんです。 講義録第一回の、「なぜ行列の出来るメンチカツ屋は値上げしないか?」をご参照下さい。ブログで紹介はしていませんが、後になって学生からもいろいろユニークな仮説が出てくるようになってきました。 いやいや、事前に正解が仮定されていてもいなくても、それは

  • 抑圧の責任を引き受ける:当事者スルー考

    はてなブックマーク - 女教師ブログ -Female, Teacher & Blog - [光市の事件]死刑がなくなろうが存続しようが、(自分は)どっちでも構わないことに気づいた 自分は絶対にああいう事件の被害者や遺族になるはずがない、って考えている人の意見ですね。どうして自分だけはいつも観客席にいられると確信できるのか不思議だよ。 私は「量刑と遺族感情は切り離すべき」という id:terracao さんの意見に基的な考え方としては賛成で、引用したコメントには異論があります。 私もいろいろなトラブルに関わってきました。「どうして当事者の意見が無視されるのか!」と憤ったことも一度や二度ではない。しかし自分の経験からいって、重大なトラブルであればあるほど、当事者の意見は参考程度に留め、第三者が淡々と処理する方が、総合的にみてよい結果をもたらすことが多い。 凶悪犯罪の被害者となったとき、自分が

  • 学生に考えさせる授業

    矛盾の止揚の教育(福耳さん) 学生に、Aという仮説を教える。そして然る後に、Aと矛盾する仮説Bを提示する。そして教えるこちらからはAB間の矛盾は解決しない。学生自身に矛盾について悩ませる。 その結果、そうとうちゃんと考えてこそ、ABそれぞれをふまえて、両者を止揚した仮説Cに学生自身の手でたどりつく。それをしてこそ、当に自分の頭で考えて、自分の頭の中にその成果が残り、洞察力という力の存在を認識できる。 そういう講義をせんとあかん、と思ったのは、いまの学生、「決まった正解を教わるのが大学の講義」と勘違いしているからである。あーこどもっぽくっていや。そんなの、チャート式でも読んどいてくれ。 僕なんぞは、考え方ではなくって、他人が勝手に決めた正解を学んで、なにが面白いのかなんて思いますがねえ。 なかなかうまくいかないというか、結局のところ、学生が演技力を駆使するだけの結果となりそう。 というのは

    heptathorpe
    heptathorpe 2007/07/03
    「努力して頭がよくなったやつはとても馬鹿に見える」って弁当さんが言ってた。
  • 自慢話はやせ我慢して聞け

    「自慢話はカッコ悪い、他人の承認を求めずにいられないのは余裕がない証拠」という意見、わからないではない。しかしその理屈でいうと、他人の自慢話にいちいち不快感を表明するのもカッコ悪いのではないか、と思う。自慢話くらい、静かに聴いて「すごいねー、よかったねー」といってあげたらいいのではないか。 「お、俺のコンプレックスを刺激するなー!」という被害者スタンスなら、筋が通っています。当に余裕がないのは自分だと、事実上の告白をしているわけですから。 というか、自分が他人に自慢話をするときって、単に何も考えていないだけ。嬉しかったりなんかして、聞かされる側の気持ちにまで頭が回っていない。だったら「余裕がない」で当たっているじゃないか、って? うん、でも少なくとも「こういう人は当は不幸なんだよね」みたいな意見は当てはまらないように思う。 中には自分の不幸を直視できずに、「私は幸せですよね、ね?」と迫

  • 収入を隠す利点が分からない

    中国人は「給与明細」を見せ合うのが好き(日経ビジネス) アメリカの野球選手は契約更改の際、年俸を公開するのが普通だという。年収を訊ねることを不道徳と考える日人の方が、世界的には少数派? 収入を隠すことで何が守られるのか、私にはよくわからない。 income.xls(Excel ブック形式) これは私が会社から給与明細をもらうたびに更新している簡単な記録です。納税者といって偉そうにする割には、ほとんど税金を払っていないことがよくわかる。 で、こうした情報を公開してですね、一体何がどう困るのか、私にはよくわかりません。もともと倫理的な問題らしいので、こういう質問には意味がないのかもしれませんが。 詐欺の可能性がどうのこうのという人がいることは承知。でもそれってネットで実名を出すと天変地異が起きるぞ論(2005-06-27)と同じなんですよ。1億人が「あの人は金持ちだ」と知ってる有名人が既にた

  • 「勉強しなさい」といわないで

    小学生くらいのお子さんの勉強嫌いで悩んでいる方には、何度でもいいたい。「勉強しなさい」なんて、いくらいっても無駄です。塾に送り込んだって、教室にいる間しか勉強しない。ゼロよりはマシだとしても、週に数時間お勉強させるためだけに数万円を投じるのって、どうなんでしょうか。 「一緒にお勉強しようね」大切なのは、この一言。親が子どもに勉強を教える必要はありません。勉強している子どものそばについて何かをしているだけで、全然違うのです。 「お父さん、宿題おわったよー」「そうか、よく頑張ったなあ。偉いぞー」頭をなでる。 私の両親は、子どもを叱るなんて嫌なこと、なるべくしたくないと思っていた。「やりなさい」といっても「やらない」から、叱りつけることになってしまう。そこで発想を変えて、「やらせる」ことにした。そのためには、巻き込み型の仕掛けが一番。まず親が勉強してみせ、「ともに頑張ろう」と持ちかけるのです。