トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える 東京新聞編集局 編 Tweet mixiチェック 2015年2月15日 ◆表現の苦闘なければ [評者]鎌田慧=ルポライター 「何を、どう伝えるのか」。報道のアルファにしてオメガである。原発問題で果敢な報道を続けている東京新聞が、環境問題の実践家でもある音楽家の坂本龍一さんとの討論をまとめた。 無関心な人たちもふくめて、原発の記事をより多くの読者に、どう届けていくのか、との難問の問いかけからまずはじまった。「深刻だ、危機的だ」というと心を閉ざす人がいる。相手が心を開くような伝え方を心がける。言い方、接し方を変える。デモも福島のおじいちゃん、おばあちゃんが入れるような形を考えないと、と坂本さんは答える。 新聞記事の多くにどこかよそよそしい臭いがあ
2015年1月1日に「いたばし区議会だより」第171号が発行されました。 (第171号は、板橋区のこちらのサイト http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/066/066433.html から閲覧できます。) この「だより」第171号にある、 “検討”という文言について。 よく数えたところ、各議員の質問に対する区長等の答え(P6―8)に、「いつまで検討するのか」、「検討の結果の回答をいつするのか」全くわからない“検討”という単語が18個もありました。 その18個の“検討”一覧を以下にまとめました。クリックしてご覧ください。 「検討」とされている答弁および関連の質問一覧(「いたばし区議会だより」第171号より)(PDF) ※こちらの表はご自由にご利用、拡散ください。 いくら感じの良い質問、良い答弁であっても検討しっぱなしでは区政の改革は何も進
近代フランスを特徴づける、デカルト以来の合理主義、フランス語の優位性への確信から広がった普遍主義という二大潮流に対する反合理主義・反普遍主義あるいは非合理主義・非普遍主義的な思想の系譜を、マルキ・ド・サド、シャルル・フーリエ、アルチュール・ランボー、アンドレ・ブルトン、ジョルジェ・バタイユ、ロラン・バルトの六人を通して描くことで、「フランス的思考」の姿に迫る一冊。 著者は「フランス的思考」という書名について、フランス語にすれば”pensée Française”(フランス思想)となるが、敢えて「的」「思考」とすることで『すでに確立された「フランス」の「思想」に関するなんらかの見取り図のようなものを答えとして提示する書物ではな』(P10)く『さまざまな留保つきではあれ「フランス的」という形容詞を冠することができるかもしれない「思考」のありようをめぐる問いかけの書物』(P10)として描く。反合
※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 連載目次 「Molecular Informatics ~ morphogenic substance via eye tracking (Version 1.0)」、1996年、Canon ARTLAB、ヒルサイドプラザ、東京 Photo: Mikio Kurokawa 画像提供:多摩美術大学(以降すべて) 三上晴子の訃報は、まったく唐突な知らせだった。同じ大学で教鞭を執る関係から、正月明け早々に、まだ非公開の段階で不意打ちのように同僚から聞いた。にわかには信じられなかった。 もっとも、三上とは所属する科が違うこともあり、大学で顔を合わせる機会はほとんどなかった。せいぜい教授会でたまに目にするくらいだった。いま思えば、もっといろいろ意見を交換しておくべきであった。自分でも意外なくらい悔いが残る。 私は、かつて三
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