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2021年8月15日のブックマーク (4件)

  • ロベール・パンジェ『パッサカリア』|読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

  • 国民義勇戦闘隊と学徒隊 隠蔽された「一億総特攻」 斉藤利彦著:東京新聞 TOKYO Web

    「職域」という馴染(なじ)みのない言葉がコロナ禍で普通に使われるようになったが、書が扱う「国民義勇戦闘隊」も職域などにつくられたそうだ。それがどうしたと言われそうだが、第二次世界大戦末期に国民を「一億特攻」(実際に軍部が使った言葉)に駆り立てた政治の過ちを掘り下げる書のテーマは、現在のコロナ禍での政治の問題に妙に突き刺さってくる。宝島社が五月に出して話題になった新聞全面広告が「タケヤリで戰(たたか)えというのか。このままじゃ、政治に殺される」とうたっていたことも、書による当時の非科学的な精神主義の告発が過去のものではないことを示しているようだ。 この広告の趣旨が誰にも理解されたように(賛否は別として)、戦争末期、連合国軍の土上陸に備え、高齢者も子どもも女性もが竹槍(やり)を持たされて訓練した事実は多くの人が知っている。学校で軍事訓練が行われたことも同様である。関連書籍も少なくない。

    国民義勇戦闘隊と学徒隊 隠蔽された「一億総特攻」 斉藤利彦著:東京新聞 TOKYO Web
    hharunaga
    hharunaga 2021/08/15
    「精神主義の政治をくり返してはならないと諭し、説得力を持って理解させてくれる好著である」。評:松竹伸幸。朝日選書。
  • 消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神 橋本努著:東京新聞 TOKYO Web

    グローバル資主義の拡大は、とてつもない格差と地球温暖化に伴う環境破壊を通じて、人と地球を壊してしまう。多くの学者や評論家がそう警告し、私自身もそう言い続けてきた。しかし、資主義の代わりになる経済社会システムの具体的なデザインは、これまで十分に描かれてこなかった。ところが、すでに多くの人がその答えに気づき、実践していることを書は教えてくれる。答えは、消費ミニマリズムだ。 消費ミニマリズムとは、消費依存から脱し、シンプルに暮らすライフスタイルのことだ。例えば、資主義の下では、利益追求のためにファッション業界が流行を作り出す。流行遅れの服は着られないと大量の服が捨てられる。消費者は新しい服を買うために余計に働き、生産国でも低賃金の重労働が課せられる。さらに製造段階や大量廃棄を通じて環境が破壊される。そうした資主義の罠(わな)から抜け出す取り組みの一つが消費ミニマリズムだ。 書は立派な

    消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神 橋本努著:東京新聞 TOKYO Web
    hharunaga
    hharunaga 2021/08/15
    「もう一つ、本書の重要な指摘は、スマホの普及が、ミニマリズムをやりやすくしているという事実だ。スマホ一台あれば…、何でもできてしまう。つまり、モノを所有する必要が大幅に減るのだ」。評:森永卓郎。
  • 「ことば」に殺される前に 高橋源一郎著:東京新聞 TOKYO Web

    「『ことば』によって相手を否定しようとする者は、やがて、自らの、その否定の『ことば』によって、自身が蝕(むしば)まれてゆくのである」とあるが、ひとまず自分はそうは思わない。今、目の前には、否定しなければならない人や事案が列をなしている。文句言っているだけ、それって生産的じゃない、といった議論を逸(そ)らす「ことば」がポジティブな動作として受け入れられている様子を見る。そんなの、いちいち考えなくっていいよ、という怠惰な姿勢が、いつのまにか冷静だとされる。それがとてもイヤで、そのためには、やっぱり「ことば」で強く否定しなくてはいけない。 「社会」を問うと、当然、「大きい」ものに触れることになる。「ことば」も大きくなる。高橋は、こういうとき、「『大きい』ものに触れながら、それでも、『小さい』ことを忘れないようにしたい」と考えてきたという。簡単そうで、これが難しい。大きい言葉は酔いやすい。だから為

    「ことば」に殺される前に 高橋源一郎著:東京新聞 TOKYO Web