華やかで明るい未来を演出する万博だが、歴史的には列強が植民地支配に猛進した帝国主義に根をもつ。さまざまな地域の先住民族を生きたまま「展示」して「見せ物」にした「ヒューマンズー(人間動物園)」は人類の負の歴史だ。120年前の大阪でも「学術人類館」事件と呼ばれる問題が起き、2025年大阪・関西万博も懸念すべき動きが出ている。差別思想を源流にする万博を継承する必要があるのか。脈々と続く問題を考えた。(木原育子)
戦前のレコード検閲は国家の理不尽な強権発動だったという一般的な見方に、本書は異を唱える。著者は、検閲を行った内務省の文書のほか、膨大な資料を駆使してその意外な実態に迫っている。 レコード検閲は小川近五郎(ちかごろう)という下級官吏が、なんとほぼ1人で行っていた。音楽好きの彼は「流行歌は大衆の生活、心情に根ざしたもの」と考え、強圧的なレコード規制に反対した。そんな彼の音楽観が検閲に反映されたという。だが、レコード検閲に軍が口を出し始めた1943年、小川は検閲業務から外される。ジャズなどへの風当たりは、ますます強くなった。しかし、“敵性音楽”のレコードは、抜け道を見つけて流通した。 検閲官の感性と思想。レコード業界の忖度(そんたく)と自主規制。保守的な知識人や大衆の声。それらすべてを押し流そうとする戦争。それでも死なない音楽。著者は、そうしたさまざまな要素が絡み合ったレコード検閲の顚末(てんま
大正期(1912~26年)は空前の雑誌ブームの時代だった。教養主義を謳(うた)う『婦人公論』から実用性で勝負の『主婦之友』『婦人倶楽部(くらぶ)』まで、この時代に創刊された女性誌は枚挙に暇(いとま)がない。 本書が論じる雑誌はそのなかでも異色の一誌というべき『女の世界』である。この時代の雑誌には私もそれなりに関心を払ってきたつもりだったのだけれど、いやはや、こんな雑誌がイケシャアシャアと出版されていたなんて! 『女の世界』が創刊されたのは1915(大正4)年。以来21年までの6年間、独自路線を走り続けた。その編集方針は<自由奔放、何物にもとらわれないアナーキーなゴッタ煮>だったと著者はいう。テレビもラジオもない時代の、いわばワイドショー。 実際、誌面に踊るのは戦後の女性週刊誌も真っ青な著名人のスキャンダルの数々だ。劇作家・島村抱月と人気絶頂の女優だった松井須磨子の不倫事件。自然主義作家・岩
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