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ブックマーク / www.webchikuma.jp (25)

  • 第21回 資本主義の思弁的同一性 part1|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)

    われわれは、マックス・ヴェーバーのあの有名な研究をもとに、プロテスタントの、とりわけ予定説を信ずるプロテスタントの、時間をめぐる視点の構成が、資主義の下にある主体が、たとえば投資するときの態度と同じ形式になっている、ということを確認してきた。とはいえ、プロテスタンティズムのエートスが、資主義の精神に直結するわけではない。プロテスタントの時間は、「最後の審判」という、絶対的に一回起的な出来事、世界の終焉そのものを含意する出来事との関係で構成される。逆に、資主義の時間は、絶対に終わらない時間、無限の時間でなくてはならない。前者から後者への転換は、どのように生ずるのか。 この問いに対処する前に、次のことを確認しておこう。もしヴェーバーの説が正しいのだとすれば――われわれはそのような見通しをもって考察しているし、ここまでの議論はそれを裏付けつつあるわけだが――資主義は、ヘーゲルが言うところ

    第21回 資本主義の思弁的同一性 part1|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)
    hharunaga
    hharunaga 2016/09/17
    映画「ペーパー・ムーン」や「スティング」の主人公は「コンマン(詐欺師)」だが、それは同時に伝道者や説教者でもあったという。文=大澤真幸。
  • 第20回 資本主義的主体 part9|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)

    ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 行動的禁欲 ヴェーバーによれば、プロテスタンティズム、とりわけカルヴァン派の予定説は、ある種の禁欲を可能にし、それが資主義の精神へとつながった。だが、ここで疑問がもたれるだろう。禁欲を命じたり、あるいは好ましいとすることは、何も、キリスト教のプロテスタンティズムに限られた特徴ではあるまい。禁欲に高い価値をおく宗教はほかにもたくさんある。プロテスタントのそれは、何が特別なのか。たとえば、仏教の出家者も多くの戒律を与えられ、禁欲を求められる。釈尊は極端な苦行を無意味だとしたが、それでも、厳しい修行、苦行に勤しむ僧は多く、その禁欲の程度はすさまじい。こうした禁欲と、プロテスタンティズムの禁欲には何か違いがあるのか。 ヴェーバーは、プロテスタントの禁欲を特徴づけるために、しばしば、「行動的」という形容詞を用いている。「aktive

    第20回 資本主義的主体 part9|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)
    hharunaga
    hharunaga 2016/08/19
    “市場こそが神であり、よく売れることが、(最後の審判の)救済の判定に対応している。…最後の審判の(無限の)反復は、「未だ」と「既に」しかない時間をもたらす。…これが、資本主義の時間である”(大澤真幸)
  • 第18回 資本主義的主体 part7|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/4)

    ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 間奏――二つの選挙 ヘーゲルは、歴史の過程に「理性の狡知」を見た。歴史の現実には合理性が貫かれていて、それは理性がその目的を実現する過程である……かのように見えてくる、というのだ。歴史の渦中で、無我夢中に生きる人々は、意図せざるかたちで理性の手駒になっている(かのようだ)。だが、EU離脱を決定したイギリスの国民投票については、われわれは、歴史の理性にどうしても問いたくなる。理性よ、お前はほんとうは何を欲しているのか、と。 だが、こうした当惑を抑えて状況を冷静に振り返ってみるならば、これは、だいぶ前からグローバルな規模で進んできた、政治的な対立の構図の変容過程の、ほぼ最終局面に出現する脇筋であることがわかる。まず、伝統的には、政治的な対立は、いわゆる右派と左派との間にあった。右派は、保守とか、ナショナリズムとか、そしてヨーロッパ

    第18回 資本主義的主体 part7|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/4)
    hharunaga
    hharunaga 2016/07/28
    「政治的な立場が事実上の単一の政党に収斂しているのに、それが、国民によって広く深く支持されているわけではないというねじれの、二つの現れが、イギリスの国民投票と日本の参院選ではないか」(大澤真幸)
  • 第16回 資本主義的主体 part5 |資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)

    ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 弛緩した文体で崇高なことを書く われわれは前回、ヴェーバーに従いながら、そしてヴェーバーを離れて、召命klēsisの概念の含意を見てきた。「ルター訳」とされて普及していた聖書で、「クレーシス」は、「Beruf」という訳語が充てられ、「職業」という意味をもった。ヴェーバーは、ここに、「資主義の精神」につながりうる重要な価値を認めたのだった。ヴェーバーによれば、パウロが「クレーシス」という語を使ったときには、そこに、「職業」という意味はなかった。 どんな宗教も、特別に価値がある体験や行為の領域を指定する。神との合一を生々しく実感する神秘体験や真理へと到達したという確信をともなう解脱体験などが、それである。「召命としての職業」という観念が特異なのは、日常の勤労が、そのまま、この種の宗教的に特権的な価値を帯びることになったことだ。こ

    第16回 資本主義的主体 part5 |資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)
    hharunaga
    hharunaga 2016/06/05
    「(『資本』の原型と言える)守銭奴(貨幣退蔵者)は、欲望を抑えようとする欲望に関して過剰」「守銭奴は、有限性への無限の執着である」(大澤真幸)
  • webちくま「1995年 国際情勢」速水健朗

    書評 2024/7/4 小熊 英二 「挑戦的」に社会の基礎を問いなおす 玉野和志『町内会―コミュニティからみる日近代』書評

    webちくま「1995年 国際情勢」速水健朗
    hharunaga
    hharunaga 2015/04/14
    「かつては国家・資本主義の暴力を批判していればよかったんですが、今は国家・資本主義のマネジメントという大きな問題にまで首を突っ込まざるを得なくなっている」