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  • 第1回 はじめに――「坂本龍一」と私|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

    比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの新連載、始まります。 2023年4月2日日曜日の夜9時過ぎ、私は新宿某所で夕を摂っていた。 ふとスマートフォンに目をやると、契約しているニュース・アプリから通知が届いていた。そこには「坂龍一の死」が報じられていた。私はスマホから一瞬目を逸らし、小さく深呼吸をしてからもう一度、その画面を凝視した。 見間違いではなかった。坂龍一が、坂さんが、逝ってしまった。記事には数日前の3月28日に亡くなったとあった。享年71。がんとの闘病が伝えられていたとはいえ、早過ぎる死というほかない。私は突然の訃報に接した動揺と、ずいぶん前から覚悟していた時がいよいよ訪れたのだという、どこか穏やかでさえある気持ちの両方を感じていた。不思議なほど

    第1回 はじめに――「坂本龍一」と私|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2023/07/13
    “(『12』の曲順には)クロノロジカルな「時間」への疑いと、「終わり」への抵抗の身ぶりがある。…ゴダールに倣って「繋ぎ間違え」てみせること”
  • ルノワールの描く女|PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ|丹治 匠|webちくま

    ルノワールといえば、日では喫茶店の名前にもなっているくらいで、大人でも子供でも、教科書とかカレンダーとかいろんな形で彼の絵を見たことがあるだろう。僕自身は高校時代に父の持っていた画集で暖色と寒色を織り交ぜてキャンバス上に置いていくようなその筆致を見て、初めて絵の美しさの原理を理解したと思って喜んだし、絵画を志すようになるとそれを一生懸命に模倣しようとしたものだ。そういうわけで僕は彼の絵にとても親密さを感じているのだが、しかし絵描きやアート仲間の間でルノワールが好きだと言うと怪訝な顔をされるくらい評価は低いのだった。大抵の場合ルノワールは貶められて語られ、僕はそれに抵抗して彼の絵を擁護した。彼らからするとルノワールの絵は「あまい」ということらしい。確かにそれも分かる。モネやドガやセザンヌの方がどこかもっと崇高さや気品を感じる。しかし僕はずっと何かもっと別の魅力をルノワールの絵に感じていて、

    ルノワールの描く女|PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ|丹治 匠|webちくま
  • 世界標準のアジール論へ|筑摩選書|伊藤 正敏|webちくま

    多くの論者を魅惑してきた「アジール」。その歴史上の実態をとらえるのは簡単なことではありません。しかし、もしそれを探っていくことが出来るとしたら、最も有益な材料を提供するのは日中世史だろう、と著者は説きます。筑摩選書『アジールと国家』より、「序章」の一部を公開します。 魅惑のアジール アジールは人々を魅了してきた。網野善彦『増補 無縁・公界・楽』(平凡社選書、一九八七年、初版『無縁・公界・楽』一九七八年)は、原始以来、人々の生活の中に脈々と生きつづけ、権力や武力と異質な自由と平和「無縁・公界・楽」、アジール的な世界を叙事詩さながらに描いた。現代人はどこかにこんな世界への憧憬を持っている。またこういう場が現代社会にもどこかにあると信じたい。この書は、おのおのの読者が、おのおののイメージを、自己の姿を投影しながら、自由に、奔放に広げる手がかりを与えてくれた。そのためこの書は中世史の枠を越える大

    世界標準のアジール論へ|筑摩選書|伊藤 正敏|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2020/02/13
    「(『アジールと国家』では)国家制度に関わるテーマを優先的に取り上げる。…いわばマクロのアジール論である。従来の研究は今列挙した(遊行民、境界領域などの)ような素材を扱うミクロ‐アジール論が多かった」
  • 素朴な現実観はここに覆される!|筑摩選書|西郷 甲矢人,田口 茂|webちくま

    普段あたりまえのように使っている「現実」という言葉。しかしそこにある認識は、どれくらいあたりまえなのでしょうか。数学と哲学という専門を異にする著者二人が協同し、この現実を現実たらしめている構造に迫ったのが書。長年にわたる対話と研究の成果は、わたしたちの固定観念を根底からゆさぶり、変えることになるでしょう。書の「序」を公開いたします。どうぞご一読ください。 現実とは何か? このようなことをあらためて問う人はあまりいない。仮想現実(virtual reality)などを念頭に置きつつ、「現実と非現実」の区別を問題にするといったことがあるが、その場合でも、「現実とは何か」については、「自明=あたりまえ」としてすでに前提しており、あらためて問題にしないことが多いのではなかろうか。「現実を見ろ」とか「とにかく現実は現実なんだから認めなければ」などと言われることもあるが、その場合でも、まず「現実と

    素朴な現実観はここに覆される!|筑摩選書|西郷 甲矢人,田口 茂|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2019/12/24
    “「数学」や「哲学」というと、世間ではむしろ「現実離れ」した学問の代表とも思われている” ←笑い。『〈現実〉とは何か ─数学・哲学から始まる世界像の転換』「序」より。
  • 笛吹きと泥棒|ちくま文庫|柴田 元幸|webちくま

    ちくま文庫から31年前に刊行された歴史学の名著が、いまSNSをきっかけに脚光を浴びています。このとは大学時代に出会ったという翻訳家・柴田元幸さんによる、思い入れたっぷりの書き下ろしエッセイを公開します。 いま僕は現代アメリカ小説の翻訳を主な仕事としているが、何十年か前には、アメリカの古典文学、特にハーマン・メルヴィルの研究を志したことがある。そんなとき、新聞で阿部謹也氏がメルヴィルの主著『白鯨』を取り上げている文章を目にした。『白鯨』はいまでこそ「グレート・アメリカン・ノベル」などともてはやされたりするわけだが、1851年の刊行当時はその混沌ぶりに非難囂々、読者を得るどころかそれまでの読者もメルヴィルはこので失った。それについて阿部氏は、「流行作家が売れるを書くことに飽きて、当に書きたいものを書くためにあえて恵まれぬ晩年を甘受したという話は若い私には強く訴えるものをもっていた」と書

    笛吹きと泥棒|ちくま文庫|柴田 元幸|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2019/10/17
    “ちくま文庫版に付された石牟礼道子の素晴らしい解説「泉のような明晰」” ←解説の方も読みたい。「阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界』について」。
  • 武士の起源と歴史本の大ヒット|PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ|webちくま

    『応仁の乱』など、日史の新書が大ヒットになる昨今、ヒットとなるものとその他二番煎じとの違いはどこにあるのでしょうか。 その違いを検証する意味でも書かれた『武士の起源を解きあかす』に関する著者桃崎有一郎さんのエッセイです。ぜひご覧くださいませ。 武士について考えることは、日人について考えることだ。『武士の起源を解きあかす』というを書いて、つくづくそう思った。それは、武士が日人の精神を代表しているからではない。武士に関する新しい知見が盛り込まれたが出た時、日人がどのような反応を示すか。それが、現在の「日人」を理解する上で有益な、直接的なバロメーターになるからである。 武士について考えるのは、歴史学の仕事だ。その歴史学には、宿命的な弱点がある。それ自体が富を生み出す学問ではない、という点だ。自然科学のように、新発見が誰かの寿命を延ばしたり、誰かの生活を格段に便利にして、その新技術

    武士の起源と歴史本の大ヒット|PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2018/12/07
    「圧倒的な大ヒット作とその他の二番煎じの間には、明白な違いがあり、それが日本人と歴史学の関係に直結している…。『武士の起源を解きあかす』…はその私の見立てが正しいかどうかを試す試金石」(桃崎有一郎)
  • 教養の更新のために|筑摩選書|山本 貴光|webちくま

    PR誌「ちくま」6月号から文筆家/ゲーム作家の山貴光さんによる、大澤聡『教養主義のリハビリテーション』(筑摩選書)の書評を転載します。人文学を中心とした教養がいまこそ必要なのはなぜか、平易に解説します。 「教養」と聞いてなにを連想するだろうか。例えば一九八〇年代のいわゆるニューアカデミズム・ブームで、なんの役に立つかと関係なく現代思想を面白がった人と、大学で自分の専門に関係のない教養科目は無駄だと感じた人とでは、印象もおおいに違っているはずだ。 少し長い目でこの百年ほどの歴史を振り返ってみても、社会や技術を含む環境は大いに変化してきた。そうした中で教養もさまざまに形を変えてきた。『教養主義のリハビリテーション』という書名は、かつての教養を尊ぶ気風がいまでは廃れたという診断を反映している。そこからどう回復できるかというわけだ。 著者は大澤聡さん。『批評メディア論――戦前期日の論壇と文壇』

    教養の更新のために|筑摩選書|山本 貴光|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2018/06/08
    「虚実が入り乱れた情報の大渦の中で正気を保ち、未来を展望するためにも、本書は役に立つ」(山本貴光)。書評:大澤聡『教養主義のリハビリテーション』。
  • ブランショ『終わりなき対話』をめぐって|『終わりなき対話』全訳刊行記念|湯浅 博雄|webちくま

    20世紀文学史上最大の問題作。原著刊行から半世紀をへてようやくその全貌を日語で読めるようになった。その魅力と奥深さとは──。 『終わりなき対話』(一九六九)は、ほぼ六十年代の重要な論考を収録した評論集である。ブランショの歩みにおいては、『文学空間』、『来るべき書物』に続くものである。 「文学と死への権利」(『火の部分』)は、言語による芸術である文学の性を問いながら、文学において核心をなすものは、主題や題材ではなく、「作者」の信条・感情の吐露でも倫理性の表出でもなく、言葉そのものが浮き出す動きであり、言語が自らの質に向かうことである点を、明らかにしようとしている。 『文学空間』のある章は、「オルフェの眼差し」と題されている。伝説的詩人オルフェは、恋人ユリディスを失ったとき、詩歌のもつ能力を駆使して、この女性の理想美を言葉のなかに呼び出し、彼女がみごとに甦り、真に現前し、永遠に生きるよう

    ブランショ『終わりなき対話』をめぐって|『終わりなき対話』全訳刊行記念|湯浅 博雄|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2018/01/16
    “絶えず自己(へと現前する)同一性をかわしてずれ動き、逸れていくもの、すなわち「中性的なもの」にかかわる関係はいかなるものかという問いも深められている”(湯浅博雄)
  • 【第41回】批評のポジション|遠い地平、低い視点|橋本 治|webちくま

    世の中はとんでもないスピードで変わって行きますね。政治の世界では突然「新しい状況」が生まれてしまう。 リーマンショックの後で旧民主党への政権交代が起こる前くらいから、急速に「日でも二大政党制を」という声が大きくなった。それはそれで不思議ではないけれど、じゃ日の二大政党制はどういう二大政党制(丶丶丶丶丶丶丶丶丶)であればいいのかに関しては曖昧だったような気もします。ま、今でも多分まだ曖昧なんでしょうけれども、日人が望んでいる二大政党制というのは、たとえて言えば「自民党Aと自民党Bとの間で政権交代が起こる」というようなものだと思う。 「安倍一強」でろくでもない問題がやたらと現れて、でもこれに変わる勢力がない。だから小池百合子を代表として「改革保守」を強く打ち出した希望の党が現れると「激震が走った」みたいになってしまう。それは安倍晋三の自民党Aに対して、小池百合子の自民党Bが現れてしまった

    【第41回】批評のポジション|遠い地平、低い視点|橋本 治|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/12/02
    “現実はいつでもいい加減で、だからこそ「非現実的な発言」である批評が意味を持つ。「批評は現実と関わらなきゃいけないんじゃないか?」と思った瞬間、批評は力を失う”(橋本治)
  • 遅配された伝説の書|『終わりなき対話』全訳刊行記念|澤田 直|webちくま

    20世紀文学史上最大の問題作。原著刊行から半世紀をへてようやくその全貌を日語で読めるようになった。その魅力と奥深さとは──。 モーリス・ブランショの『終わりなき対話』が刊行されたのは一九六九年。ほぼ半世紀の時を経て、この伝説の書の邦訳がいま私たちの元に届けられるのを目の当たりにして、深い感慨に耽るのは私だけではないはずだ。『文学空間』や『来るべき書物』がいち早く刊行されていたにもかかわらず、翻訳大国である日で、この主著がこれまで訳されなかったことは驚きだが、この遅配には幾つかの理由がある。 単線的に進むことのないテクスト群の内容はきわめて明晰でありながら、いざ翻訳を試みれば、その内容の豊穣さに比例するように、多くの困難に遭遇するのは必至だ。文学的センスはもとより、ギリシャから現代哲学までの該博な知識なしには歯が立たないからだ。フランスで研鑽を積み、文学と哲学の両分野に通暁した新しい世代

    遅配された伝説の書|『終わりなき対話』全訳刊行記念|澤田 直|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/08/06
    “「終わりなき対話」とは何か。それは、一点への収斂を目指すことも、無理強いすることもない、それでいて、何かへ向けて不断に接近しようとする試みである”(澤田直)
  • 待望の邦訳刊行|『終わりなき対話』全訳刊行記念|中山 元|webちくま

    20世紀文学史上最大の問題作。原著刊行から半世紀をへてようやくその全貌を日語で読めるようになった。その魅力と奥深さとは──。 長いこと待ち望まれていたモーリス・ブランショの『終わりなき対話』の邦訳がついに刊行されることになった。一九五〇年代から一九六〇年代にかけて書かれた文章のうち、文学の分野のものはすでに『来るべき書物』にまとめられていたが、思想的な文章はこの『終わりなき対話』に集められていた。 今回刊行される第一部「複数性の言葉」では、レヴィナスの『全体性と無限』を手掛かりに、他者との関係を考察しようとする。ブランショはすでに『文学空間』の頃から、レヴィナスの提起した「絶対的な他者」との関係の問題を、「中性的なもの」という観点から考察してきた。この他者との出会いという哲学的にも重要なテーマについてブランショは書で、人間と人間が出会ったときに可能となるいくつかの道筋を提示しながら考え

    待望の邦訳刊行|『終わりなき対話』全訳刊行記念|中山 元|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/08/03
    “人が他者との対話を始めるときに、こうした「われわれ」の世界を構築しようとする伝統的な考察とは違う局面が開かれることがある”(中山 元)。モーリス・ブランショ著。
  • 第五回 伴大納言絵巻 ――泣く女|日本人は闇をどう描いてきたか|webちくま

    美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日美術入門。第五回は、歴史事件を描いた作品から。 応天門の変と摂関政治の幕開け 延喜元年(九〇一)成立の歴史書『日三代実録(にほんさんだいじつろく)』には、貞観八年(八六六)閏三月十日、内裏の応天門が焼失した記録が残る。続いて同年八月三日、大宅首鷹取(おおやけのおびとたかとり)が大納言の伴善男(とものよしお)とその息子を放火犯として告発、九月二十二日には、伴父子及びこれに連座して紀夏井(きのなつい)らが流罪となったことが記されている。 歴史上、応天門の変(おうてんもんのへん)と呼ばれるこの事件の背景には、伴善男や紀夏井ら平安初期に擡頭(たいとう)した新官人群と、藤原良房(ふじわらのよしふさ)ら門閥貴族との対立があったと

    第五回 伴大納言絵巻 ――泣く女|日本人は闇をどう描いてきたか|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/07/09
    「勧善懲悪を題材にした絵巻は、これ以前に存在しない。…現代の我々が慣れ親しんだドラマツルギーは、十二世紀末の貴族社会において、とても前衛的で、挑戦的な主題」
  • 歴史の織物を読みとること|ちくま学芸文庫|樺山 紘一|webちくま

    6月刊行のちくま学芸文庫『中世の窓から』(阿部謹也著)より、文庫版解説を公開します。中世の歴史をひとつの織物に喩え、その糸筋を丹念に辿っていく歴史家・阿部謹也氏の鮮やかな手つきを読み解きます。著者とともにヨーロッパ中世史研究を牽引した樺山氏だからこそ描き出せる珠玉の解説となっています。 もうそれは、今から40年近く前のこととなってしまいました。その頃、私たちは、世界史上における「中世」の意味を考えようと、卓をかこんでいました。「私たち」とは、日中世史家の網野善彦さんと石井進さん、そしてヨーロッパ中世史家の阿部謹也さんと私。多少の年齢差はありましたが、みな青雲の志をいだく中年以下。話は「中世」の東西から始まりましたが、およそ歴史に関わる、社会と人間についての事象が、テーマとなりました。数日間を数回と重ねた座談会は、『中世の風景』というタイトルのもとに、二巻の新書となって公刊されました。

    歴史の織物を読みとること|ちくま学芸文庫|樺山 紘一|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/06/15
    「歴史を観察するための妙技とは…、そこに織りこまれているさまざまな色調の糸を、タテ、ヨコ、ナナメといったいろいろの角度から、読みとることなのでしょう」(樺山紘一)。阿部謹也『中世の窓から』解説。
  • 【第85回】安倍ヨイショ本に見る「忖度」の構造|世の中ラボ|webちくま

    ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2017年5月号より転載 二月から三月、四月にかけて、メディアの集中砲火を浴びることになった大阪市の学校法人・森友学園問題。ことの発端は、同学園の小学校建設予定地(元国有地)が、評価額より八億円も値引きされた一億三四〇〇万円で国から払い下げられていたことだった。 その後の展開は、みなさまご存じの通り。首相夫人の安倍昭恵氏が当初は問題の小学校の「名誉校長」だったこと。同小学校が「安倍晋三記念小学校」の名で寄付を募っていたこと。国会の証人喚問で同学園の籠池泰典前理事長が「昭恵夫人から一〇〇万円の寄付を手渡された」と暴露したこと。昭恵氏の秘書(夫人付きの官僚)の谷査恵子氏の

    【第85回】安倍ヨイショ本に見る「忖度」の構造|世の中ラボ|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/05/21
    “「安倍一強」とは与党が多数を占める国会の勢力以上に、官邸の独裁体制のことなのだ。森友問題に限らず、これでは官僚の「忖度」が全面的に働くのも当然”(斎藤美奈子)
  • 第3回『アイドルになりたい!』第1章を大公開!|『アイドルになりたい!』刊行記念|中森 明夫|webちくま

    いよいよ『アイドルになりたい!』の刊行です。 アイドルの必要条件って、なんだろう? 歌がうまいこと? ダンスがうまくなきゃダメ? いやいや、そのどちらも、必要条件じゃないよね。 ならば、アイドルとは何をする仕事なのか? そんなことが書いてある、『アイドルになりたい!』第1章を大公開! きっと、「なるほどー!」を連発しちゃうはず。 ぜひぜひ、読んでみて! 第1章    アイドルって何だろう? きみがなりたいものの正体は? アイドルって何だろう? そう訊かれたら、きみはどう答えるかな。 若い女の子たちがきらびやかな衣裳を着て、唄ったり、踊ったりする。それをファンが大きな声援を送って、盛り上げる。 そんな場面を想像するんじゃないだろうか。 すると、アイドルは歌手? いや、アイドルは歌がヘタだ、とよく言われる。もっと歌のうまい人は、いっぱいいるよね。 ダンスだって、そうだろう。あきらかにプロのダン

    第3回『アイドルになりたい!』第1章を大公開!|『アイドルになりたい!』刊行記念|中森 明夫|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/04/06
    “個性とは「魅力的な欠点」のことなんだ。…欠点のない女の子は、むしろアイドルにはなれないんだよ”。中森明夫・著。
  • 「右傾化」は本当はどこまで進んでいるのか?|筑摩選書|塚田 穂高|webちくま

    現代日の右傾化をジャーナリストから研究者まで第一 級の書き手が総力をあげて検証した、3月刊『徹底検証 日の右傾化』(塚田穂高編著)。 編著者の塚田穂高さんによる「はじめに」を公開します。 「自由と民主主義が壊れていく 右傾化(強調は引用者、書籍では傍点、以下同)はいかにして進んできたのか。 その歴史的ダイナミズムをたどる。」(中野晃一『右傾化する日政治』岩波新書、二〇一五年、帯文) 「「右傾化」の淵源はどこなのか? 「日会議」とは何なのか?」(菅野完『日会議の研究』扶桑社新書、二〇一六年、帯文) 「政治の右傾化、代表軸必要(安保って? 憲法って?)」(『朝日新聞』二〇一六年六月一七日付朝刊) 「自民党 若手「ハト派」が勉強会 過剰な右傾化憂慮」(『毎日新聞』二〇一五年五月二日付朝刊) 「若者の右傾化は当か 選挙結果が示す左右バランス」(『読売新聞』二〇一五年一月一九日付朝刊)

    「右傾化」は本当はどこまで進んでいるのか?|筑摩選書|塚田 穂高|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2017/03/21
    「各章執筆者には、安倍政権なり日本社会なり右派勢力を批判してほしいとは依頼していない。しかし、中立や冷笑を気取るのでもない」(塚田穂高編著『徹底検証 日本の右傾化』、「はじめに」)
  • 最終回 資本主義の思弁的同一性 part4|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/5)

    ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 「可能性」観念の極端な両義性 ジョン・ロックは、こう言っている。「始めは、世界全体がアメリカであった」と(1)。ロックのこの言葉に示されるように、ヨーロッパから北米に渡った者にとって、「アメリカ」という土地は、世界と人間の始源状態と感じられた。実際には、アメリカにも先住民がいたのだから、つまりそこにはすでに世界も社会もあったのだから、これは、とんでもない認識だが、今はこの点は脇においておく。いずれにせよ、北米に入植した者たちは、ヨーロッパの伝統の束縛から自由に、原点から始めようとした――始めることができるとの強い実感をもっていた。この場合、ヨーロッパの伝統とは何か。端的に言えば、それは、カトリックのことである。言い換えれば、北米では、プロテスタントの論理が、カトリック的な残滓から完全に解放されて、純粋に作用した。 われわれは、

    最終回 資本主義の思弁的同一性 part4|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/5)
    hharunaga
    hharunaga 2016/11/05
    「アメリカは荒野でありかつ楽園である。…両極端の敵対的な二つの意味。これが資本主義を特徴づける内的な敵対性の原型になっている」(大澤真幸)
  • 不完全性の権威|ちくま学芸文庫|千葉 雅也|webちくま

    異色の読書論/教養論として話題を呼び、世界30カ国で翻訳されベストセラーとなった『読んでいないについて堂々と語る方法』。書がもつ奥行きの深さをあざやかに浮き彫りにする、気鋭の哲学者による論考を、PR誌「ちくま」11月号より掲載します。 権威とは、何だろうか?――僕がこの概念をしきりに気にするようになったのは、ピエール・バイヤールの『読んでいないについて堂々と語る方法』に衝撃を受けて以来だったか、それより前からだったか、思い出せない。ともかく僕の頭のなかで、権威の問題は、バイヤールのあのと密に関係している。 僕は、「ちゃんとした」読書をせねば、という強迫観念を、バイヤールのによって、ある程度は解消することができた。「読書の完璧主義」とでも言うべきものからの解放(しかし完璧な解放ではないのだが)。あらゆる読書は不完全である、そうでしかない……。そんなことは、わかっていたつもりである。

    不完全性の権威|ちくま学芸文庫|千葉 雅也|webちくま
    hharunaga
    hharunaga 2016/11/04
    「こうあるべき」と命じる「規範的な権威」に対する、「これでいいのだ」という「非規範的な権威」。書評:ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』。文・千葉雅也。
  • 第23回 資本主義の思弁的同一性 part3|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/4)

    ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox ピューリタンの出エジプト いわゆる「新大陸」のイギリス植民地は、それ以前の――主としてスペイン人やポルトガル人によって建設された――植民地とは、決定的に異なっていた。以前の植民地は、すべてカトリックの「王国」の新大陸への拡大であった。それに対して、アステカやインカが滅ぼされてからおよそ1世紀後に北米に建設されたイギリス植民地は、主として、プロテスタント、しかもピューリタンと呼ばれた、きわめて厳格でラディカルなプロテスタントを主たるメンバーとしていた。 よく知られている事実を確認しておこう。一般に宗教改革の端緒とされている出来事、つまりマルチン・ルターがヴィッテンベルク城の聖堂の扉に「95カ条の提題」なるカトリック批判を発表した出来事から17年後に、イギリスでは、ヘンリー8世が、自身の離婚問題でローマ教会と対立し、イギリス国教会

    第23回 資本主義の思弁的同一性 part3|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/4)
    hharunaga
    hharunaga 2016/10/21
    「アメリカ」が、コロンブスに由来する名前(コロンビア)ではなく、ほとんど誰も知らないアメリゴにちなんだ名前になったのは、ヨーロッパのキリスト教世界との断絶のためでは、という。文=大澤真幸。
  • 第22回 資本主義の思弁的同一性 part2|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)

    ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 丘の上の輝く町 レーガン大統領(在任1981-1989)は、ピューリタンの指導者ジョン・ウィンスロップが1630年に行った説教を好み、スピーチの中でしばしば言及・引用した。彼は、退任に際して、アメリカ全国民に向けてメッセージを送ったときにも、この説教を引用している。さらに、その15年後、レーガンの国葬の式典でも、サンドラ・オコナーが、聴衆を前にして、この説教を読み上げた。オコナーは、レーガン大統領の指名で、女性として初の連邦裁判所判事となった人物である。このエピソードをその著書の冒頭で紹介している森あんりは、「カリフォルニアの太陽のように明るいレーガン」と「厳格さと陰さ」のイメージが濃厚なピューリタンとでは、奇異な組み合わせに思われるかもしれないが、少なくともレーガンは、ウィンスロップの説教に恥じない生き方をしてきたと確信

    第22回 資本主義の思弁的同一性 part2|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/3)
    hharunaga
    hharunaga 2016/10/16
    「ピューリタンは、極限までつきつめられた苦難の神義論である。…どうして、苦難の神義論が、正反対の幸福の神義論へと反転したのか」(大澤真幸)