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第18回 資本主義的主体 part7|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/4)
※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 間奏――二つの選挙 ヘーゲルは、歴史の過程に「理性の狡知」を... ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 間奏――二つの選挙 ヘーゲルは、歴史の過程に「理性の狡知」を見た。歴史の現実には合理性が貫かれていて、それは理性がその目的を実現する過程である……かのように見えてくる、というのだ。歴史の渦中で、無我夢中に生きる人々は、意図せざるかたちで理性の手駒になっている(かのようだ)。だが、EU離脱を決定したイギリスの国民投票については、われわれは、歴史の理性にどうしても問いたくなる。理性よ、お前はほんとうは何を欲しているのか、と。 だが、こうした当惑を抑えて状況を冷静に振り返ってみるならば、これは、だいぶ前からグローバルな規模で進んできた、政治的な対立の構図の変容過程の、ほぼ最終局面に出現する脇筋であることがわかる。まず、伝統的には、政治的な対立は、いわゆる右派と左派との間にあった。右派は、保守とか、ナショナリズムとか、そしてヨーロッパ
2016/07/28 リンク