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ブックマーク / www.outsideintokyo.jp (17)

  • OUTSIDE IN TOKYO / ダーレン・アロノフスキー 『ブラック・スワン』レビュー

    悪魔の呪いによって白鳥に姿を変えられたお姫様は、王子の真実の愛によってのみ救われるという「白鳥の湖」のストーリーとドストエフスキーの「分身」で描かれたドッペルペンガーをベースにし、芸術上の達成と欲望、そのために支払う代償を描いた『赤い』(48)の禍々しさを出発点に、バレエ・ダンサーの超人的変身願望へのオブセッションを黒という唯一無比の色に集約してみせた『ブラック・スワン』は、名作イギリス映画では"ロンドンの胃袋"コヴェント・ガーデンに息づいていた猥雑さを、やさぐれた21世紀の魔都ニューヨークへと舞台を移し、バレエ・カンパニーに君臨する芸術監督ルロイ(ヴァンサン・カッセル)が、優等生バレエ・ダンサー、ニナ(ナタリー・ポートマン)を性的放埒と退廃的誘惑の道へと心身ともに追い込んでいく、デモリッシュな刺激に満ちたサイコ・スリラーである。 ダーレン・アロノフスキー監督にしてみれば、主人公を精神錯

    hharunaga
    hharunaga 2024/04/30
    「ダンス…の撮影では、ナタリー(・ポートマン)本人が踊るシーンと彼女のダブル…が踊るシーンの両方があるが、この入れ替えの場面を、ジョン・ウエインとスタントマンが入れ替わる西部劇を参照して"ウエスタン"と
  • OUTSIDE IN TOKYO / ジャン=リュック・ゴダール 『ゴダール・ソシアリスム』レビュー

    ジャン=リュック・ゴダールの《映画だけが...》というつぶやきに引っ張られ続けて、映画サイト OUTSIDE IN TOKYO を始めて約2年半の月日が過ぎた今、ついにゴダールの新作と正面から向き合う時が来てしまった。 ゴダールは60年代のゴダールが良かった、と何の躊躇もなく言えてしまうノスタルジーとは、今の今まで無縁で居るし、昨年3月日仏学院で、かつてのゴダールの盟友ドミニク・パイーニ氏が語った「中国寄りのスイス人の中でも一番馬鹿な人、それがゴダールだ。68年問題、反ユダヤ主義、ドキュメンタリー(『ジャン=リュック・ゴダールとの会話の断片』)の中でも語った原爆に関するエピソード、そして、過去の毛沢東主義、そうした全てが当にバカバカしいものだ。彼は、完全に政治的に間違っていると思う。偉大なアーティストの政治的な思想は、必ずしも正しいとは限らない。」という発言すら、ゴダールの"映画"を揺る

  • OUTSIDE IN TOKYO / 濱口竜介『寝ても覚めても』インタヴュー

    8mmで撮影された最初期作品『何わぬ顔』(03)から、東京藝大修了作品『PASSION』(08)、日韓共同製作作品『THE DEPTHS』(10)、4時間超えの巨編『親密さ』(12)、東北三部作『なみのおと』(11)、『なみのこえ』(13)、『うたうひと』(13)を経て、記念碑的な5時間超えの傑作『ハッピーアワー』(15)まで、濱口竜介ほど、日のシネフィルに支持され、愛されてきた映画作家も少ない。 その濱口竜介の作品を、母国日を別として、世界で最初に認めたのは、2008年のサン・セバスチャン国際映画祭だった(『PASSION』)。その後も、濱口の作品は、パリ国際映画祭、東京フィルメックス、ロカルノ国際映画際、山形国際ドキュメンタリー映画祭、PFFぴあフィルムフェスティバルといった大小の映画祭で上映される機会を得、日国内では大作『親密さ』の完成に併せて、レトロスペクティブ上映が201

    hharunaga
    hharunaga 2018/09/27
    「(自分の作り方は)ドキュメンタリーを経て変わったっていうのが自分の実感です。…震災で変わったことがあるとすれば、水をちゃんと撮るようになったっていうことなのかもしれないですね」
  • OUTSIDE IN TOKYO / 三宅唱『きみの鳥はうたえる』インタヴュー

    石橋静河の声の官能性に惹かれて映画を見始めるが、次第に得体の知れない疲労感、青春期モラトリアム特有の”やくたたず”の屈が映画を支配していき、映画を見続けることへの抵抗が芽生えてくる。しかし、映画作家への信頼をつてに映画を見続けていると、映画は、見る者の心に生じた葛藤を超越する度量の大きさを見せはじめ、ついには見るものを圧倒してまう、それが、最初に『きみの鳥はうたえる』を見た時の印象だった。 そして、佐藤泰治の原作小説を読んでから、もう一度『きみの鳥はうたえる』を見てみる。映画は、原作で描かれた多くのことを省くことで、小説的現実(虚構)において、あり得たかもしれない、もうひとつの可能性、パラレルワールドを”輝き”とともに創り出していた。小説で描かれた”事件”を知っているからこそ、映画が描く、<僕>と静男、佐知子の時間、互いの関係性の変化、互いを見る視線、触れ合う肌、街路を歩く足取り、<僕>

    hharunaga
    hharunaga 2018/09/18
    「(肘をつつく〔つねる?〕場面は)手首の角度やタイミングなど、…一緒に模索していったんです。具体的にどうアクションするか、それを発見するのが現場での仕事の大半です」
  • OUTSIDE IN TOKYO / 黒沢清『ダゲレオタイプの女』インタヴュー

    タハール・ラヒム演じるジャンが、パリ郊外の駅に到着した電車のホームから降りくると、そこにはもう、黒沢清的としか形容しようのない、都市と田舎、現在と過去の境目で再開発が進むロケーションがスクリーンを浸している。インターフォンを押し、名を名乗り、錆び付いた門を開けて、築数百年かという屋敷の中に招き入れられたジャンを迎えるのは、大きな鏡、螺旋状の階段、自然と開く扉、、、堂々たる幽霊譚の始まりを告げるオープニングである。 しかし、『ダゲレオタイプの女』は単なる”幽霊譚”ではない。インタヴューでも監督が語っているように、当初のアイディアは、イギリスでホラー映画を撮るというものだった。その”ホラー映画”とは、先日アンスティチュ・フランセで行われた監督とクリス・フジワラ氏との対談によれば、1960年前後にドラキュラやフランケンシュタインシリーズで人気を博したハマー・フィルムの”古典ホラー映画”を無意

    hharunaga
    hharunaga 2016/11/07
    「これは、もの凄く大掛かりに嘘で作ったもので、こんなもの凄い固定装置ではないです(笑)。後半で老婦人を固定する小さい器具…、あれは本物です」
  • OUTSIDE IN TOKYO / イエジー・スコリモフスキ『イレブン・ミニッツ』インタヴュー

    ポーランド出身の映画作家イエジー・スコリモフスキは、母国で撮った『身分証明書』(64)、『不戦勝』(65)、『バリエラ』(66/※1)で頭角を表し、ジャン=ピエール・レオを主演に迎えた『出発』(67)はベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞、ジャン=リュック・ゴダールは『出発』を“ポーランド的でやぶれかぶれな映画”(※2)と“羨望と親愛の情を込めて”高く評価したという。“ポーランドのゴダール”とも呼ばれたスコリモフスキの作品に対するゴダールの評価をそのように伝えた山田宏一は、1972年の洋画ベストにて、『早春』(70)をドン・シーゲル『ダーティーハリー』(71)、ベルトルッチ『暗殺の森』(71)を差し置いて、堂々1位に選出している。 順風満帆に見えたスコリモフスキのキャリアだが、『手を挙げろ!』(67)が祖国ポーランドで上映禁止を喰らい、その後、約10年間に亘ってチェコスロヴァキア、ベルギー、ス

    hharunaga
    hharunaga 2016/10/09
    「私は、映画はあまり見ないんだ。映画館に行くと退屈してしまうからね(笑)。だから、自分が退屈しないような映画を作ろうと思って映画を作っている」
  • OUTSIDE IN TOKYO / 三宅唱『Playback』インタヴュー

    地元札幌で2週間で撮り上げた長編処女作『やくたたず』(10)が、ザラついたコントラストの高いブラック&ホワイトの画に、俳優達の顔と動作がリアルに息づく、とても生き生きとしたフィルムとして印象に残っている三宅唱監督の長編映画第二作、商業映画デビューとなる『Playback』は、村上淳、渋川清彦、三浦誠己、河井青葉、汐見ゆかり、菅田俊、渡辺真起子といった商業映画と自主映画を行き来してきた日のインディーズ・オールスター総出演によって、山政志以降の日のインディーズ映画に一区切りをつけたような決定的な潔さが漂っている。 ”俳優”という因果な商売を生業にしたものたちが生きる無限の”パラレルワールド”を物語の骨格に組み込み、俳優たちの最も生き生きとした表情、仕草、話し方、その佇まいを捉える映画的瞬間の連続、そして、『やくたたず』的とでも形容すべき豊かな運動が立ち上がる瞬間、そうした全ての愛しいモノ

    hharunaga
    hharunaga 2016/03/27
    「映画だからこそ感じられるもの、映画だけでしか生まれない感情、その感情をどうやって作るか、発明するかが一番重要だったと思います」
  • OUTSIDE IN TOKYO / ジョン・カーニー 『はじまりのうた』レビュー

    何ともモッサリとした男がキーラ・ナイトレイ(グレタ)の相手役(デイブ)を演じている。しかし、そのモサ男がスタジオに入って歌い出すと、場の空気が一変する。ああ、この男がマルーン5のアダム・レヴィンか、と合点がいくが、だからといって、マルーン5のアルバムを聴いてみようという気にはならない。これは、自身ミュージシャンでもある監督ジョン・カーニーによる"音楽映画"的演出の勝利に違いないからだ。 メジャーレコード会社の目にとまった、デイブとグレタのミュージシャンカップルは、ニューヨークに招待されて、かの有名な音楽スタジオ"エレクトリック・レディランド"で新作を録音することになっていたが、レコード会社の色気ムンムンの宣伝女史ミム(ジェニファー・リー・ジャクソン)に惹かれたデイブは、ミムに触発された歌を作ってグレタを怒らせてしまう。傷心のグレタは、旧友スティーブ(ジェームズ・コーデン)の助太刀もあって、

    hharunaga
    hharunaga 2015/03/29
    「映画ならではのロマンティシズムを湛えながらも、通俗に流れそうな男女の出会いを、性を超えた"ソウルメイト"の誕生として描いているところが素晴らしい」
  • OUTSIDE IN TOKYO / ギヨーム・ブラック『やさしい人』インタヴュー

    海辺のバカンスにやってきた母娘。奔放な母親と美しいが少し奥手そうな娘。ロメール映画のような格好のシチュエーションから始まる映画だが、主役は2人ではなく、バカンス客に家を貸すサエない男。そんな彼が母娘と過ごす時間が映画の主軸となり、観客を引き込んでいく。そんな『女っ気なし』で男を演じたヴァンサン・マケーニュはじわじわと注目を集め、監督のギヨーム・ブラックも一躍、時の人となった。前作短編でもマケーニュを起用し、田舎町で自転車が壊れ、途方に暮れるサイクリストを一晩泊めてあげる謎の男を演じさせていた監督のミューズはやはりマケーニュだった。だが新作『やさしい人』での彼は、かつてインディーのロックスターだったというカリスマ性を与えられる。その歩き方、身のこなしには、人の視線を浴びてきたことがところどころ見え隠れする。だが現実にはピークを過ぎ、父のいる田舎町トネールに居候し、ギターを手に歌ってみても、ど

    hharunaga
    hharunaga 2014/11/09
    「悲しみや惨めさ、一見してとても美しいとは思えないようなものの中に、少し見方を変えることによって美しいものを発見する、そういったことに私はとても興味があります」
  • OUTSIDE IN TOKYO 今週のおすすめ映画 『ジェラシー』フィリップ・ガレル

    ガレルの映画を見ていると、主人公の男が住む、何の飾り気もない、その白い部屋が"砂漠"のように見えてくることがある。それは、作品に応じて、時に荒い粒子で、時にシルクのような滑らかさで描写されるブラック&ホワイトのフィルムを通じてスクリーンに映し出される。パリの街角や何気ない日常の風景も、多くの場合は光と影の強いコントラストの下、明暗がはっきりと別れ、全ては強い太陽の陽射しのもとで焼き尽されて脱色してしまった"砂漠"のように見える。果たして、人はそんな環境で生き続けることが出来るのだろうか? 思い起こしてみれば、そうしたホワイトキューブに住む主人公を最初に描いたのはゴダールの『勝手にしやがれ』だったのかもしれない(あるいは他にも色々あるかもしれないが)。さらに記憶を時系列に辿ってみると、ブレッソンの『抵抗』の薄汚れた四角いの部屋のイメージが浮かんでくる。もちろんそれは、主人公が囚われている牢獄

    hharunaga
    hharunaga 2014/09/28
    「"砂漠"に天使の笑声が響き渡る、ガレルの新作」。主人公の娘の女の子が、信じがたいほど可愛らしかった。自然な演技とかいう言葉では言い表せない。
  • OUTSIDE IN TOKYO / アブデラティフ・ケシシュ『アデル、ブルーは熱い色』インタヴュー

    2013年のカンヌ国際映画祭で満場一致のパルムドール賞に輝き、フィリップ・ガレルに「フランス映画を救った」とも言わしめたという、傑作『アデル、ブルーは熱い色』がいよいよ劇場公開される。 ジャック・ドワイヨンの驚くべき新作『ラブバトル』(12)で久しぶりに日の観客を喜ばせてくれるであろうサラ・フォレスティエが、2004年に主演を務めたアブデラティフ・ケシシュ監督の長編第2作『身をかわして』(04)には、彼女の顔をクローズアップで捉える、はっとするほど美しいショットがしばしば紛れ込んでいるが、ケシシュ監督の集大成と言うべき『アデル、ブルーは熱い色』は、そうした美しいショットの連べ打ちで見るものを圧倒する。大家族の中で最も父想いの娘が父親を救うためにとった行動に涙が止まらない『クスクス粒の秘密』(07)の主人公(アビブ・ブファール)もまた“アデル”(アラビア語で”正義”の意)と呼ぶに相応しかっ

    hharunaga
    hharunaga 2014/09/21
    「引きのカットよりも、より人間の魂が我々に語りかけてくる、それがクローズアップだと思っているところがあります」
  • OUTSIDE IN TOKYO / マルコ・ベロッキオ 『眠れる美女』レビュー

    21歳で交通事故に遭い、以来17年間植物人間状態となっていた女性エリアーナの尊厳死を巡る人々の反応は、イタリアを二分した。娘の尊厳死を受け入れるために、延命装置を外したいという両親の願いは、"奇跡"を信じるカトリック信仰の強いイタリアにおいて、"非人道的な行為"として、多くの人々によって非難を浴びていたのだ。2009年のイタリアで実際に起きたこの事態に直面したベロッキオは、多くの人々の反応に対して違和感と怒りを感じたのだという。そうした現実に対する怒りを、ヴェロッキオは新たに作り上げた3つの物語に託して、人間が示しうる尊厳の形を提示してみせる。 国会議員ウリアーノ・ベッファルディは、ベルルスコーニ首相が進める延命治療を継続させる暫定法案に賛成票を投じるかどうかで頭を悩ませている。法案に賛成票を投じなければ、党の方針に背くことになり、自らの政治生命を危機に晒すことになる。ウリアーノが延命治療

    hharunaga
    hharunaga 2014/07/21
    「"眠れる美女たち"ばかりが登場する映画である。…一見眠っているわけではない"美女"も実は"眠っている=目覚めていない"精神状態にあるとして描かれる」
  • OUTSIDE IN TOKYO / 成瀬巳喜男『浮雲』エッセイ

    成瀬巳喜男『浮雲』〜もう1人の犠牲者〜 イーデン・コーキル 2時間の上演時間、あるいは登場人物の約10年間におよぶ人生描写、成瀬巳喜男監督による『浮雲』(英題:Floating Clouds, 1955)のその終焉で、元政府官僚の富岡兼吉(森雅之)は長年の愛人である幸田ゆき子(高峰秀子)に、ようやく愛情をみせる。しかしそのささやかな感情は、2人を夫婦だと思っている周囲の人々に半ば負い目を感じて表現されたのであり、瞬く間に生命を脅かす病に倒れた、ゆき子との間では、つかの間のものであった。 なぜ富岡はゆき子の愛に報いるまで、こんなにも時間を要してしまったのか? 優雅なフラッシュバックで、成瀬監督は1940年代日軍進駐中のべトナムでの2人の出会いを映し出す。富岡は農林省の役人であり、ゆき子は同省の若い職員である。関係を持ってしまう2人。富岡はゆき子にとの離婚を約束するが、その約束は戦争が終わ

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    hharunaga 2012/11/25
    「戦争に大いに脅かされた感情が、実戦を戦ったわけでもない男の人生を、最終的にどこまで滅ぼしたかを描いた物語でもある」(「『浮雲』~もう1人の犠牲者~」)
  • OUTSIDE IN TOKYO / 北野武『アウトレイジ ビヨンド』インタヴュー

    北野武監督の最新作『アウトレイジ ビヨンド』は、ナンセンスでバイオレントな爆笑ブラック・コメディだった前作『アウトレイジ』を伏線に緻密な脚を練り上げ、前作で撒き散らした暴力の”おとしまえ”を監督自らが着けようとしたかのような、因果応報が巡る秀逸な人間ドラマに仕上がっている。 北野武が明白に娯楽作品としての”面白さ”を追求した作には、前作からの成り上がり組(山王会の加藤(三浦友和)、石原(加瀬亮)、舟木(田中哲司))と生き残り組(大友(ビートたけし)、木村(中野英雄))、マル暴の刑事(片岡(小日向文世)、繁田(松重豊))に加え、新たに登場する関西ヤクザ花菱会の面々(神山繁、西田敏行、塩見三省、高橋克典)や中尾彬、名高達郎、菅田俊、光石研、新井浩文、桐谷健太といった味のある俳優陣が嬉々として加わっており、この男の前で自分の演技を見せたいという彼らの異様なテンションが、21世紀的なリアリティ

    hharunaga
    hharunaga 2012/11/04
    まさに「言葉の格闘技」で、残虐な殺しの場面がありながらも、現実にはありえないほどの人数が殺されるためか、一種のチャンバラ活劇のようにも見えた。
  • OUTSIDE IN TOKYO / フィリップ・ガレル『灼熱の肌』レビュー

    ファーストショットがゴダールの映画の色彩を、セカンドショットがリヴェットの映画の構図を、サードショットのシークエンスが、シャブロルの映画の不穏さを想起させる作は、主人公フレデリックの死への遁走から始まる。開巻早々死にかける主人公を演じるのは、もちろん、監督の息子ルイ・ガレルである。映画史上、かつてこれほど頻繁に息子を死に直面させる映画監督が存在しただろうか?劇中のキャラクターの運命に、実人生の"未来"を重ねる者には到底なし得ない所業だが、ガレルの映画に投影されているのは"過去"である。この作品自体、ガレルの友人であった画家フレデリック・バルトの恋愛の物語に触発されたものであるという。実人生に材を取ることが多いガレルの作品では常に虚と実が微妙な境界線上で揺らいでいる。 つい先日来日したメルヴィル・プポーは、役者の演技に心理という側面はない、それ故に役柄に入り込んだり、抜け出したりすることに

    hharunaga
    hharunaga 2012/10/16
    「ファーストショットがゴダールの映画の色彩を、セカンドショットがリヴェットの映画の構図を、サードショットのシークエンスが、シャブロルの映画の不穏さを…」
  • OUTSIDE IN TOKYO / ホセ・ルイス・ゲリン『シルビアのいる街で』インタヴュー

    ジャック・ロジェ奇跡の特集上映から始まった2010年は、その後、イーストウッドの『インヴィクタス』、北野武『アウトレイジ』、ベロッキオ『勝利を』、オリヴェイラ『コロンブス 永遠の海』、クリス・ノーラン『インセプション』、ペドロ・コスタ『何も変えてはならない』、そして、12月にはゴダールの新作も公開されるという、色々な意味で新たな10年の始まりを告げるのに相応しい1年になりつつある。そして今週末、その中でも最も重要な作品とでも言うべきひとつの作品がこの”新たな10年”の流れに名を連ねることになる。 2年前の東京国際映画祭、『シルビアのいる街で』上映2日前にヴィクトル・エリセから蓮實重彦宛に送られてきた一通のメールから始まったゲリンを巡る熱狂が、ついには日でのロードショー公開、そして、来る秋の東京国際映画祭での新作上映という理想的な形で多くの観客に披露される運びとなったことをまずは大いに喜び

    hharunaga
    hharunaga 2012/06/16
    ホセ・ルイス・ゲリンも略すとJLGになるのか。ところで、足音の効果音が不自然なほど大きいのは、もしかして北野武などの影響だろうか。
  • OUTSIDE IN TOKYO / マルコ・ベロッキオ『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』インタヴュー

    ベテランと呼ばれる監督たちが世界の映画界で活発な動きを見せるなか、イタリア映画界の巨匠と呼ぶにふさわしいマルコ・ベロッキオが2009年に新作を発表し、昨年の東京フィルメックスで初来日を果たした。そしてようやく劇場公開されるその『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女(原題”Vincere”)』は、ムッソリーニの愛人だったイーダ・ダルセルを主人公に据え、イタリア国内でもちょっとした物議を醸した。それは、一度はムッソリーニと(彼女いわく)“結婚”し、息子をもうけながらも、ムッソリーニからも社会からも黙殺されたため、一般のイタリア人にほとんど知られてこなかったことであるという。その上、精神病院に“幽閉”され、息子とも引き離され、最後にはその息子も精神病院で息を引き取ったという事実が浮き彫りになる。まだイタリアをファシズムへ引き込む前のムッソリーニの、ジャーナリストとしての、資金的にも後ろ盾となったの

    hharunaga
    hharunaga 2012/04/15
    野戦病院となった教会?の大きな天井に映画を映し、負傷兵たちがベッドで仰向けに見ているというシーンが、忘れられなくなった。
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