ブックマーク / d.hatena.ne.jp (77)

  • 『ハーバード白熱教室』の裏側:ハーバードの一般教養の授業をサンデルの講義を例にして説明してみる - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    ハーバード大学におけるマイケル・サンデル(Michael Sandel)の授業が、『ハーバード白熱教室』としてNHKで放映され*1、かなりの人気を集めて話題になっているようだ。これはすべて再放送を待つまでもなく、ウェブ上で観ることができる(ただし英語だが)。*2 ちょうどいいので、これを使って、ハーバードの学部向け一般教養の授業の作りを説明してみようと思う。色々誤解もあるようであるし、あの映像だけでは分からないこともある。 私自身は、サンデルの授業を履修したことはないのだが、大学院生のときに、一般教養の授業のTAやHead TAをかなりやったので(といってもサンデルの授業ではもちろんなく、私の専門の科学史やSTS関係の授業である)、ハーバードの一般教養の授業の仕組みはかなり分かっているほうだと思う。とくに、日人のハーバードの学部生というのがほとんどいないわけであるし、私が説明するのもまっ

  • evenの意味とイメージについて - はてな読み

    英語には「和訳だけで考えてしまうと理解しづらい単語」というのがありますが、evenという単語もその一つではないかと思います。evenと言えば・・ ・副詞としてのeven(〜でさえ、〜であっても) ・形容詞としてのeven(平らに、均衡に) ・動詞としてのeven(平らにする) ・名詞としてのeven(互角) などなど、たくさんの意味があります。これらのうち、よく目にする副詞としてのevenだけが「〜でさえ」「〜であっても」という意味になっており、やや毛色が違うように感じられます。 ということで、この副詞のevenがなぜ「〜でさえ」「〜であっても」になるのか、それについて少し考えてみようかと思います。(ただし、あくまでも個人的な考えなので、そこはあらかじめご了承ください。) では、はじめ。 【形容詞のeven】 まず、イメージしやすい形容詞(adjective)のevenから始めてみましょう

  • 人文科学系の博士論文について - 文弱の徒

    研究「博士論文は書くものではない、編集するものだ」という考えが人文科学系の研究者の間にこれまでなかったとはいえないが、それは3年間という限られた期間での研究成果のまとめとしてではなく、研究人生の仕上げ、畢生の大作としての博論という考えが優勢だったようだ。人文科学系の部局で現在教授職にある方々の中には、博士号を取得していないか、教授就任の直前になって40代後半や50代で所属大学から博士号を取得した方が見受けられる(が、それでも限られた年限の中で博士論文を仕上げてから常勤職についた人はもちろんいた)。研究人生の仕上げとしての博士論文という考え方は、現在では文部科学省も公式見解で否定するようになっている。大学の常勤職採用にあたっては博士号の取得が必須ともいわれている。しかし自分の周りを見渡す限りでは、理念上は何とでもいえるが、人文科学系の博論を準備する側の実態はそれほどすぐには変わらない、という

  • 『日本の難点』 著・宮台真司 - The Flux of Subhumans

    社会学周知のように、宮台真司は学的制度としての社会学者の枠を超えた、メディアと自身の有名性を意識的に利用する戦略的な社会エンジニアだ。彼は、対象読者別に言説パッケージを変更していくマーケティング的な技法を意識的にとりながら、社会的影響力を行使していく。大衆に向けては実存的で実践的な苦悩への処方箋を付与しながら、教養のある者に対しては社会「改善」の原理的な不可能性と現実的な不可避性をどう操作していくか、社会の全体性の不可視性と全体性を見るべきという規範性をどうバランスしていくか、手の内を暴露するように語っていく。こうした書き分けの傾向は、レッシグからアーキテクチュアルな権力の語彙を得、大衆/エリートの図式を明確に打ち出してきた近年、さらに顕著になっているように見える。先日矢継ぎ早に上梓された『14歳からの社会学』『〈世界〉はそもそもデタラメである』はともに、大衆に対してどう社会を眺めるべきか

    hidedayo
    hidedayo 2009/04/26
    宮台真司「日本の難点」
  • Software Design

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  • Software Design

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  • Software Design×はてな - 選挙2.0と“みのポリティクス”の行方

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  • 雑記帳 - セキュリティ産業は本当に必要なのか?

    先週ロンドンで開催されたInfosecurity Europe 2007で、『セキュリティはなぜやぶられたのか』の著者であるBruce Schneierがセキュリティ産業の必要性について語った。CNET英語記事では表題が"Schneier questions need for security industry"となっているが、翻訳されたCNET Japanの記事では「「消費者は安全性に欠ける製品を受け入れるべきでない」--B・シュナイアー氏が講演」と表題が変更されているため、この内容が日国内のブロガーにはあまり注目されなかったのかもしれない。 が、海外では「セキュリティ産業は現状では必要に決まっているじゃないか」などと、この話を巡り議論が巻き起こり*1、Bruce Schneier自身がWiredでこの件について自ら語ることとなった。その記事が、Wiredに5月3日に掲載された"Do

  • ロールズの正義論 - 雑記帳

    ロールズの正義論に関する簡単なまとめ。学生時代に書いたものだから、内容が間違ってるかもしれないけどとりあえずエントリを作成。底は法哲学 (有斐閣アルマ)のp10-21およびp116-176。 ロールズの正義論はそれまでの正義論議と一線を画していた。1970年代初頭まで、社会科学における価値の議論は、倫理的概念の分析や価値判断の正当化の構造の追及といったメタ倫理学と、価値相対主義の台頭により、そもそも社会科学が実質的な価値判断を行なえるのかという疑問があった。社会科学が真偽を問えるのはあくまで経験的なものと論理的なものに限られており、正義のような社会的価値を社会科学の学問の下で語ることはできない、というのが当時の趨勢だった。 ロールズの正義論は、社会契約説を元に、自由で平等な道徳的人格が自分たちの社会の基構造を規定する根ルールを合意の上で選択する、という建設的ビジョンを、さまざまな理論

  • http://d.hatena.ne.jp/fusshii/20070120/p1

  •  省庁再々編 - fusshiiの日記(旧アメリカ留学備忘メモ)

    民間企業でも、改革の錦の御旗の下に安易に組織をいじって、結果、大失敗、ということはよくあるわけで。何のために組織をいじるのか、まず大事なのはas is, to beの現状分析と将来課題解決に向けた目的設定ありきの話であって、その結果としての組織改変の議論が出てくるのならともかく。課題設定そのものが組織改変になる、つまり手段が目的になりがち、というより、政治的に絶対にそうなる課題なだけに、どこからその政治的ニーズが出てきているのか、誰が仕掛けている(得するのか)に留意。  現在の行政機構の問題を考えた場合に、まず議会、政党、行政機構の役割分担、さらには司法の問題、そしてそれを支える労働市場の改変(人材市場の流動化)とその裏にある雇用問題、そこらの因数分解から出てくる行政官に求められる役割ってあたりが第一段階の議論の対象となるべき。最後の各論として組織論、公務員労働市場の改変、といった課題が出

  • 日本人の法意識 第1章及び第2章 - 雑記帳

    人の法や法律に対する意識を考える上で欠かすことのできない書籍。 印象に残った部分のメモ。2003年当時のメモだから、今とは考え方が違っていてそれはそれで面白い。 強調は引用者による。 言うまでもなく、明治憲法の法典編纂事業は、まず第一次には、安政の開国条約において日が列強に対して承認した屈辱的な治外法権の制度を撤廃することを、列強に承認させるための政治上の手段であった。…… このような歴史的背景の中で作られた諸法典の大部分は、その基的な用語・観念・論理・思想において、はなはだ西洋的であった(もちろん、民法の「家族制度」の規定のように、西ヨーロッパの近代諸法典にない封建的家族の制度を定めたものもあったのだが)。このことをもう少し具体的に言うと、こうである。すなわち、これらの法典が西洋的なものとなったのは、当時の日の国民生活の大部分において、法律を西洋的なものにするような現実的な或い

  • 引用・編集・オリジナリティ - 雑記帳

    季刊・とコンピュータ (第2期13(2004秋号))に掲載されている小熊英二の文章は、オリジナリティや引用について考える上で重要なものだと思ったのでメモ。 ある作家と対談したときに述べたことだが、私は小説を書こうと思ったことがない。作家や詩人とは、世界に対して根的な違和をつきつけるような、存在感のある言葉を自分で創れる人なのだと思う。私は自分ではそういう言葉は創れないので、過去の言葉の集積のなかから、現代に生きる人間にとって衝撃力のありそうな言葉を集めて編集することによってをつくる。いわば、「言葉の高み」に上昇するにあたって、作家や詩人は自分自身にジャンプ力のある人だから自分で跳ねればよいのだが、私はジャンプ力がないので、石ころや木片を集めて足場にしているのである。 そのような引用に満ちたを、どのような方法で執筆(ないし編集)するか。もっとも理想的な場合には、「ここであの引用を使い

    hidedayo
    hidedayo 2007/01/08
    人類の歴史的共有財産である言葉を、うまく配列してよい作品にまとめたいという気持ちのほうが先にたつ。
  •  日米政策決定プロセスの比較 - fusshiiの日記(旧アメリカ留学備忘メモ)

    ■[統治機構] 日米政策決定プロセスの比較 官僚バッシング、政官関係の見直し、政治家の資質、等々の議論は昔から喧しく、といったところで、その比較対照相手としては、やはり日の場合は米国が多い、というところだろう。個人的には欧州各国のモデルの検討から入った方が近道なのでは、と思うところ大なのだが、やはりこういったあたり米国の影響力の大きさを相対化できるような立ち位置に日はいない、という感じかと。若干横道にそれるが、アメリカからアジアに拠点を移した今感じることは、日って東南アジアの国から見ると、やはり、遠い極東の異国、という感覚で、これは日でアジア、というと中国韓国、という印象が地政学的に強くなることの裏返し。大陸に中国ロシア、太平洋隔ててアメリカ、という位置関係は地政学的思考の枠を作るもんだな、などと思考しつつ、アジアアジアとクチで言うのは簡単だけどさ、なかなか厳しいもんがあるぜ、

  • Software Design»はてな - 第33回:「イノベーションに期待する政府の本音と現実」

    Software Design

  • ギートステイトに足りないもの - 雑記帳

    東浩紀氏のギートステイトについては、8月のコミケでハンドブックを購入してその内容についていろいろと考えていたのだけど、どうも腑に落ちないところがある。 端的に言ってしまうと、ギートステイトの未来像の中では、世界観や設定こそ未来なのだろうけど(グーグルやアマゾンがまだ存在していることはとりあえず置いておくとして)、その中に住む人々の思考様式は今のままなのである。社会や環境、技術の在り方は容易に人の考え方を変える。それは表面的なものに過ぎないのかもしれないし、社会全体を根底から揺るがす深刻なものかもしれない。けれど、そのことがものの見方を今のそれとは全く違うものに変えてしまう可能性は十分にありうる。 たとえば写真。今、カメラと言ったら大抵の人は携帯電話に内蔵されているカメラを想像するだろう。だけれど、しばらく前、フィルムカメラが全盛期だったころは写真を撮ることそれ自体が貴重な「イベント」だった

  • ライティング スペース―電子テキスト時代のエクリチュール - 雑記帳

    id:bookscannerの記事には、紙媒体の書籍のアーカイブと、ネット上における電子的なアーカイブの違いについていろいろと書いてある。どうしても、図書館アーカイブ、というと、如何にして書籍を電子化(スキャン)して、それを電子媒体(磁気テープ、ハードディスク、CD-ROM、DVD-ROM、etc)に保存するのか、という「保管」の面に話題が集中してしまう。アーカイビングと著作権の問題についても、どうやって著作権者から許諾を得るか、といった問題ばかりが語られる。でも、電子化された図書館は、単に紙媒体の書籍を保管する図書館が、電子化(スキャン)された書籍を保管する図書館に変わる「だけ」、なのだろうか。そもそも、私達が前提としている図書館、書籍、出版の在り方それ自体が、電子化によって変わってしまうのではないか。 以前、NY TimesのScan This Book!という記事についてエントリを

    ライティング スペース―電子テキスト時代のエクリチュール - 雑記帳
  • http://d.hatena.ne.jp/URARIA/20060822

  • http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20060818

  • 猫を償うに猫をもってせよ

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