「戦争、殺人、巨大地震……。理不尽な死を経験してきた私たちは、仏教を再発見していくべきです」と語る高村薫さん=追野浩一郎撮影 高村薫さん(56)の長編小説『太陽を曳(ひ)く馬』(新潮社)は、動機の見えない殺人に、青年僧の轢死(れきし)という、一見関連のない事件を重ね合わせた。そこには人を殺すとはどういうことかという根源的な問いかけがある。(浪川知子) 「時代を描く」ことを目指し、曹洞宗の僧侶、福澤彰之を登場人物の中心に据えた3部作の完結編。『晴子情歌』で戦前から戦後復興期を、『新リア王』で経済発展の頂点をとらえた作家が、新作の背景にしたのは、「20世紀の常識が通用しなくなった9・11テロ後」の時代だった。 幼い頃から他者と交わらず、ただ絵を描くことだけに熱中してきた青年が、同居していた妊娠中の女性と、隣家の大学生を惨殺する。「うるさい音を消したかった」。それが彼の述べた唯一の理由だった。
落語を通して仏教に親しんでもらおうと、浄土真宗本願寺派(京都市)が11日、東京の拠点・築地本願寺の本堂で落語会を開く。 普段コンサートなどにも使われている本堂は約1400平方メートルと広く、これまで落語の口演は一度もなかった。柳家さん喬(きょう)さん、笑福亭松喬(しょきょう)さんという東西の本格派が、仏教にまつわる演目を披露する。 落語のルーツは仏教の説教にあるとされ、「高座」や「前座」も仏教用語が語源。だが、同派僧侶の釈徹宗(しゃくてっしゅう)・兵庫大教授(宗教思想)は「噺家(はなしか)も聴き手も落語と仏教のかかわりについての知識が薄れつつある」と話す。子供に長い名前を付ける「寿限無(じゅげむ)」は、阿弥陀仏(あみだぶつ)を意味するサンスクリット語が語源。僧侶が命名することに意味があるのに、「ご隠居さん」などに置き換えられることがあるという。 このため、同派は、落語ブームの中、知名度が高
450年余りの歴史を持つ光賢寺(八頭町船岡)の住職を務めながら、僧侶仲間らとともに1996年に市民団体「いのちみつめて」(鳥取市)を結成し、「命」をテーマにした講演会などを企画。これまでの開催数は52回を数え、講師は著名な僧侶のほか、作家五木寛之さん、イラク支援ボランティア高遠菜穂子さんらと幅広い。支援会員は一般市民も含め約80人で、仏教界にとどまらない。徐々に地域に根を張り、輪を広げる西池さんに、活動の手応えなどを聞いた。 ――活動のきっかけは 95年の晩秋、友人が自死したことです。彼の死を無駄にせず、大切にしなければならないと思いました。そのためには「命」とは何か、と考え続けることが大事だと思い、所属する浄土真宗の僧侶やその友人たち十数人で市民団体を作りました。 ――僧侶としての活動の幅を広げたのですね 仏教とのかかわりは、お葬式や法事の時だけ、という方も多い。最近は、特定の宗教にとら
仏教徒たちの国際交流 新幹線で広島駅を通過するとき、仏舎利塔(正式名称は「二葉山平和塔」)が目に入る。少年時代、あの麓(ふもと)を駆け回っていた私でさえ、なぜスリランカから仏陀の骨が寄進されたのか、その来歴に無頓着だった。しかし、その理由を本書で知ってしまった今、あの塔は何とまぶしく、そして哀(かな)しく見えることだろう。 近代仏教について、私はほとんど何も知らなかった。学校で習った仏教は主に江戸時代までの文化史だったが、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を最後に仏教は教科書からは消えた。それゆえ、本書が鮮やかに描き出す情熱的な仏教徒たちの国際交流の歴史には、目からウロコの連続である。 主要登場人物は、仏教復興を掲げて教育講談を興した野口復堂、神智学協会会長のオルコット大佐、「スリランカ建国の父」ダルマパーラである。明治二十一年、野口はオルコット招聘(しょうへい)のため渡印する。翌年ダルマ
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