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美術と論に関するhighcampusのブックマーク (33)

  • 時間を持った五角形の娘の保護と死 - 指輪世界の第五日記

    デッサンのすごい絵に関する話。DALさん(ゲーム枠)の掲示板で見て感動したためコピーしておいたもの。ログはとっくに流れており、引用許可を得てべた貼りする。 (無題) 投稿者:DAL  投稿日: 2月18日(水)23時11分9秒 森生まさみ絵についての話 微妙に承服しかねるというか。「細い」から「平たい」へ変化してくまではいいんだけど。 80年代後半のアニメて結局のところ「動かない、動かす余裕がない」に行き着くと思うんですわ。んで動かす余裕がちぃと出てきたときにようやく「太く」なる。で、漫画は動かないでしょ。だから「動かないアニメ」と同期したんだと思う。 その話に行く前に、まず第一にあたしにとって一番の問題点はホームベース=五角形顔の角度についてエラとか頬骨とかいう立体造形的な視点で解釈しようという薫さんの三次元主義者的発言なわけです。ことは五角形の理念の問題であって、正直なところ相田裕が重

    時間を持った五角形の娘の保護と死 - 指輪世界の第五日記
    highcampus
    highcampus 2012/09/13
    "「雫」の水無月キャラや「ONE」の樋上キャラが何故あれほどエロいかつったら、平面的でありかつ刺さりそうなほど尖ってるからです[…]一つの顔に、重層的な時間が描かれてるから。"
  • FAVORITEブランドの美術設計について

    FAVORITEブランドの着彩流儀や画面構築様式についてのごく簡素な試論。 FAVORITEの特徴的なスクリプトワークについては、先に演出論的覚書:Ⅲ章2節2款で簡単な紹介を試みた。私見では、その最大の特質は、人物立ち絵に具体的な振り付けをさせるよりもむしろ、画面全体の動きの中で登場人物たちをその都度「位置」づけていく空間表現にこそ存する。このFAVORITE流のきびきびとした立ち絵登/退場表現の心地良さとフォーカシング演出の縦横無尽のダイナミズムの併用表現は、立ち絵シーンでも一枚絵シーンでも画面に生き生きとした活力をもたらしている。ただしその二つは単体としての名技披露に留まるものではなく、このブランドの特徴的な画面作りの意識的な設計全体の一部分として把握されるべきであろう。 画像それ自体について見ても、一方で立ち絵は、司田カズヒロのクリアな描線、アニメ塗りに傾斜した着彩、そしてパステルカ

    FAVORITEブランドの美術設計について
  • À Pour mort d'or : 『かみのゆ』が見せた絵画及び版画における味覚論について。

    2012年05月03日04:08 カテゴリ 『かみのゆ』が見せた絵画及び版画における味覚論について。 ”私、やっぱりイタリア人とスペイン人の絵が好きです。イタリアンは甘いですし、スペインはスパイシーです!判りますか!ルネッサンスによる融和の結果が、甘さです。レコンキスタやバスク地方の辛さがスパイシーなのです!” この衝撃的な言葉は神由町で画廊を営む、異形と美少女の”かみさま”・あや乃の口から放たれる。 フランス圏において絵画制作を料理に見立てる事があるのは既知の事であろう。 味覚論の発達はサヴァラン『味覚の生理学』の流行に帰依するが、この『かみのゆ』においては恐るべき事に、絵画そのものの味覚を提示しているのだ。 というのも、このあや乃の主とするものが絵画であることから成る。 彼女が絵画をすシーンはSDによってコミカルに描かれてはいるが、この転換は驚くべき機知によって為されていると感心せ

  • 佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    現代アートの作品を見たときの、あれやこれの疑問と混乱。どこか納得しないまま展覧会を後にした経験が一度はあるだろう。現代アートとどう接すればよいのか、社会の中における芸術の現在位置はどこか。著作『美学への招待』(中公新書)で平易な文章で美学を紹介する、佐々木健一・日大学文理学部教授まで話を伺った。(鴨) ささき・けんいち 1971年、東京大学大学院人文科学研究科美学藝術学博士課程を修了。76年から埼玉大学助教授。その後東京大学文学部助教授をへて、89年に同大学教授。2004年に定年退職し、現在は日大学文理学哲学科教授。東京大学名誉教授。著書に『美学辞典』(95年、東京大学出版会)、『フランスを中心とする18世紀美学史の研究―ウァトーからモーツァルトへ』(99年、岩波書店)、『美学への招待』(04年、中央公論新社)ほか多数。 芸術に対する素朴な疑問 ―現代アートが分かりません。 それは現代

    佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
  • エロゲ文化私観 : ”夏”と言う意匠

    2011年08月17日01:13 カテゴリ ”夏”と言う意匠 『終夏~乙姫~』。 Skyfish『キスよりさきに、恋よりはやく』に使用されるBGMの曲名の一つである。 その音もさることながら、この曲名にゾっとする程の感動を覚えた。 因習の残る地と、盛夏を過ぎた舞台が織り成す世界に、”終夏”という単純な一言が強烈なまでの”夏”への意識を 想起させうるものであったのだ。 この”終夏”という新たなる概念こそ、キーキャラクターである”乙姫”に付された意匠そのものなのだ。 初夏でも盛夏でも晩夏でもない、夏に縛り付けられたものを解き放つ存在として。 得てして、夏を舞台にした作品の多くは夏に縛り付けられる。 【恒例】「夏のエロゲ」TL 2011-06-11 夏のエロゲ(旧世紀) ”終わらない夏””夏休み”といった存在が中心になって、”夏”の特異性が伺われる。 夏には”ループ”が存在する。 それは、rak

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    highcampus 2011/08/17
    "強烈な季節の出現は、その盛りを維持せんかの如く力を持つ。だからこそ、その力を突破するだけの強力な”言葉”が必要になるのである。まさに”終夏”のような。" 一回性と再現性
  • @naoya_fujita評論家 藤田直哉氏のカオスラウンジ・pixiv問題のWスタンダード・祭り・公平さの希求

    藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita この対立は世代間対立ではないし(黒瀬氏と僕は同い年)、人間関係や党派性、ましてや一部の人が主張しているような僕の嫉妬、ではない。人間を批判しているのではなく、あくまで相手は思想。誤解なきよう 藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita 思想は言語などを媒体にして多くの人間の間を流通するものであって、その内容の是非は論理的・倫理的な次元で争われるべきもの。人間はそれを生産・伝達・誤読するエージェント。人格と切り離せない場合もある。 RT:@inamasa01 思想批判と人間を批判するのってどう違うんですか? 藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita 論争や評論は人間関係や党派性で行われるものではない、少なくとも行われるべきではないと思っている人間

    @naoya_fujita評論家 藤田直哉氏のカオスラウンジ・pixiv問題のWスタンダード・祭り・公平さの希求
  • あまり他で書かれない現代アート騒動とキメこな問題の解説

    Neo Ranga Fansite & Fanart & etc Diary 南海奇皇ネオランガで世界一から宇宙一を目指したい ハイコンテクストな素材のあらまし 色々やらなくちゃと思ってることが有るのに文章書いてるのはどうかと思うけれど どういう経緯で荒れているのかをまとめているblogとかが一杯出てきて もう経緯は調べれば十分分かるようになったと個人的には思ったので 他ではあまり書かれていないnov君と今回の騒動の関係について、 ギャグがどう面白いかを説明するような野暮な部分ではあるのだけれど そこで使われている素材がどういう経緯で使われるようになったのかを紐解くことで nov君がどういう集団なのかを理解する手助けになればと思って筆を取ってみる まず最初に前エントリーにあるように画像掲示板の人物集団は 作品を介して会話する集団だという事を心にとめておいて下さい 素材:キメこなとは 画像掲

    あまり他で書かれない現代アート騒動とキメこな問題の解説
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    highcampus 2011/07/25
    "顔のない有象無象が作品を生み出す流れがアートで、それを自分達が売り出していくと言っていましたが実際にはカオスラウンジ宣言のその部分はただの攻殻機動隊の受け売りで本質を全く理解していなかったのでは"
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    わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……

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    highcampus 2011/06/25
    "この10年美術界では何も起きなかった、は黒瀬陽平氏の言葉ですが、ネット上ではこの10年様々なことが起きていました"
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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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  • べっかんこう黄金比多用説に関する若干の補足 - spring efemeral

    とりあえず「敬称は略させて頂きます」という事で。さて、「べっかんこうヒロイン平均美人説」と「べっかんこう立ち」に匹敵する程の反響があった「べっかんこう黄金比多用説」(笑)ですが、Twitterやはてブなどで見かけた反応に対してちょっとだけ補足してみたいと思います。 べっかんこうはいつ頃から黄金比を使った絵を描いているの? おそらくオーガストの処女作である「バイナリィ・ポット」の時から。 黄金三角形の構図 1 2 3 4 CG1と2における奈都子の角度が黄金三角形の斜辺とほぼ平行になっています。「ほぼ」と書いたのはよくみると若干ズレているからです。また、CG3の千歳は斜辺と平行かつ平行四辺形に収まるという「穢翼のユースティア」でよく見られた構図がここで既に登場しているのが見て取れると思います。そして「バイナリィ・ポット」にあるのであれば、第二作目の「Princess Holiday」にも存在

    べっかんこう黄金比多用説に関する若干の補足 - spring efemeral
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  • nix in desertis:エロゲ終末物と崇高論

    ・理想の終末と崇高(エロゲ文化私観) おもしろい話なので,個別に取り上げる。いろいろエロゲネタバレ注意。 カントに則る古典的な定義では,崇高は数学的崇高と力学的崇高に分けられるが,「終末的崇高」は力学的崇高の一種であり,進化系・分家とも考えられるだろう。もっとも,廃墟を扱うのはロマン主義にとって常套手段であり,これまでの権威の破壊に伴う恐怖と畏敬については,崇高概念誕生の当初から存在していた。こうなってくると先祖探しをしてもしょうもないのだが,明確に結びついたという点ではやはりサルヴァトール・ローザが欠かせないだろう。正直な話,ジョン・マーティン一人に帰するのは違和感が大きい。 18から19世紀の変わり目に,ナショナリズムとともにヨーロッパ中で流行した崇高的ロマン主義は,非常に政治に近い概念であった。ゆえに,その芸術はウィーン体制下において抑圧された。美術の状況をそれぞれ見ると,イギリスで

  • エロゲ文化私観 : 理想の終末と崇高

    2010年07月09日13:02 カテゴリTweetまとめ美学視点 理想の終末と崇高 1999年のノストラダムスの大予言、2000年問題、世紀末とミレニアムという二つの数字的転機が必要以上の恐怖を煽っていた時期がメディアによって作られていた。 およそ十年前のこと、日々を生きるのに精一杯だったであろう当事の記憶の中にも一種しこりのように残っている。過ぎ去ってみれば何も無いものではあったのだが。 1996年公開の映画『Independence day』や1998年の映画『Armageddon』、1999年の映画『End of Days』にしてみても、世紀末の根底に抱えた緊迫を表層に押し出したかのような連続公開だった。 勿論、この20世紀末がまだ遠い時期からも終末を主題にした映画が作られていないわけではない、終末的背景が描かれるのは2005年にSteven Allan Spielbergによって

  • 2011-02-08

    立ち絵の変化は表情や動きを表しますが、近年のエロゲでは立ち絵の変化に「話者を示す」という役割が付与されているのが大きい気がする。 http://d.hatena.ne.jp/mp_f_pp/20110204/1296791431 形式と意味の関係について先に述べておくと、必然性から形式が選択されるのと同程度には、形式が先行していて、その形式について後付け的に意味を持たせる例がある。 現状のノベル形式のエロゲの場合、多くが背景画像の中に立ち絵を配置するという形式を外すに外せなくなっていて、そこに意味づけもたらされている気がするのだけれど、上リンク先の話もその例の一部ではないだろうか。 ここのところ、コンシューマーでは、文章表示されるテキストと、そこに付随する音声とが、相互にズレている例が散見される。わざとアドリブ的に表示テキストと異なる発話をしてみせる演出といえばSS/PS期の『ネクストキン

    2011-02-08
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    highcampus 2011/02/09
    "もしも立ち絵に性的興奮を認めてしまったならば、もはやエロシーンは必要なくなってしまう。" 実感がない
  • どうすればいまいち萌えない娘が萌えるようになるか考えてみた - 戯れ言(はてなダイアリー版跡地)

    Tweet 先日Twitterを眺めていたらこんなタレコミを頂きました。 神戸新聞がサブカル関連の取材レポーター・ウェブ制作者を募集 - Uの日記 兵庫県の緊急雇用創出事業に基づくアルバイト募集ということで、失業中の人を対象に兵庫県内でサブカル関連の萌えニュースなどを取材する人材を募る内容でした。 その後ITmediaでもニュースになり、この告知が衆目を集めることになりますが残念ながら募集は終了しました。 ねとらぼ:「右のキャラが、いまいち萌えない理由を3つあげなさい」 - ITmedia News しかし募集内容よりも話題になったのは告知と共に掲載されていた問題。 この問題自体、実は募集内容や条件には全く関係がなかったのですが、全く萌えないキャラクターが何故萌えないかという問い掛けはツッコミどころが多かったのか、はたまた人々の好奇心に訴えたのか、Twitter2ch等ネット上で広く話題

    どうすればいまいち萌えない娘が萌えるようになるか考えてみた - 戯れ言(はてなダイアリー版跡地)
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    highcampus 2011/02/02
    カトゆーさん文章も絵もすげー
  • なぜ昔のまんがや宗教画には中指と薬指のくっついた手がかかれてるのか?

    おしえて偉い人! 「なんで昔のマンガや宗教画には中指と薬指のくっついた手が多いの?」 気になっていることがあります。昔のマンガを読んでいると登場人物の手の形で中指と薬指のくっついた画がよくでてくることがある。 今までは気にしていなかったけれど、一旦意識して色んなものをみてみると、さまざまな絵でくっついているのが目に付きはじめた。 理由はわからないけど、みんなくっついている。調べてみると、なぜか昔の西洋の宗教画などにも多く出てくる。エルグレコとかがとくにそうだ。ほかはラファエロとかも描いていて、肖像画にも多い。 また、日の国民的アニメのサザエさんにも頻繁にでてくる。何かを持ったりするときも、たいていこの手をしている。カツオもワカメもフネさんもみんなこの手をしている。 これってどういうことなんだろう?なんでこんなにたくさんの人が色んな場面で中指と薬指がくっついている手を描いているのか?だれか

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    highcampus 2011/01/11
    サンプル画像がやばいwww
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    ビールとポップコーンと映画 ラストマイルを見た。良い映画だった。 映画館でべそべそ泣いて、鼻を啜りながら車で帰った。感想はこのブログでは書かない。みんな映画館に行って感じてみてほしい。 帰ってからツイッターで感想を漁り、うんうん、わかるわかる、そうだよね、とまた映画を思い出して…

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    highcampus 2010/12/14
    "映像について「すごい」の嗜好が、「『電脳コイル』すげー」的な動体視力派から、「『化物語』すげー」というキラキラした光源処理の撮影派に変わってきた" "塗りにおける明るい色彩重視の傾向" "京アニ光" 山本寛
  • nix in desertis:東方イコノグラフィー 〜萌え絵への美術史学的アプローチ〜

    東方projectのキャラ数が非常に多いため,それなりにキャラ付けの特徴的な東方キャラであっても,描き手の稚拙さやパーツの除去によっては,気で読み手が判別できなくなる場合がある。この現象や,この現象により判別不可能になった絵のことを「誰てめ絵」と呼ぶ。 「誰てめ絵」はなぜ忌避されるのか?それは「その絵は東方キャラであることに価値がある」と見なされているからである。そうでなければ,そもそもキャラを判別せずとも良いのだ。単に美少女の絵として評価されればよい。そうではないということはつまり,東方キャラであるということは,強い付加価値を持つ。無論これは東方に限った話ではなく,全ての萌え絵に関して同じことがいえるだろう。一般にオリジナルよりも二次創作絵のほうが評価されやすいのは,それだけ付加価値が強いためである。オリジナル絵そのものだけで評価されるのは,とても困難なことだ。 では,東方キャラである

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    highcampus 2010/12/11
    "アトリビュート(持物)" "を用いて登場人物を特定したり,逆に登場人物からシチュエーションを特定したりする学問のことを図像学(イコノグラフィー)という"
  • nix in desertis:ツイッターから村上隆批判関連のpost再掲

    旬なうちにセルフでいいからとぅぎゃっとけよ俺,と思った。適当に再編集してるので,まんま再掲というわけではない。 何か勘違いしている人が多いが,これを自らの思索なしに芸術と認めることは寛容の発露ではなく,単なる知的怠惰。やはり,芸術は自己破壊することでしかもはや生き残れないのか。まあ個人的な意見としてはこうした「釣れた」とか「皆さんに考えてもらうこと自体が芸術です(キリッ」とかいう時点で,芸術ってとっくに終焉してるよなぁと。 東浩紀がヲタも現代アートもハイコンテクストな世界であり,片方に無知な状態で村上隆を批判するのはお門違いだというようなことを言っていた。悔しいがこれには賛同したい。現代アートはまさにハイコンテクストな世界だと思うし,批判するならその構造自体を批判する必要がある。その上で,私はまさに「現代芸術そのもの」を批判している。 で,村上人は「現代芸術の世界において日は搾取される

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    highcampus 2010/10/19
    芸術、現代アート
  • index.php?Diary%2F2009-05-12

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    highcampus 2010/10/13
    べっかんこうはアニメ絵っぽいから、アニメ界に行くと印象薄くなるという話/果たしてそうだろうか