神奈川県相模原市の石油販売業ライオンズ石油社長の佐藤太治は、通産省内で記者会見し「160円前後の市価よりも大幅に安い138円の輸入ガソリンを販売する」と発表した。時は昭和59 (1984) 年12月6日、戦後政治の総決算を標榜する中曽根政権が参加したプラザ合意の9ヶ月ほど前にあたる。東京都北区出身、昭和28年3月生まれの佐藤は、当時31歳。富士短大卒業後、建売会社の営業マンを経て50年4月ガソリンスタンドの経営を始める。彼は自分自身を信長に見立て、現代の楽市楽座を実現するのが夢であった。 佐藤は休日が大嫌いである。毎朝6時に起き、帰宅は11時を過ぎる。人生50年とすれば、残された時間は僅か6,000日しかないのだ。 全国約59,000のガソリンスタンドは過当競争に喘いでいた。石油ショック以降、少燃費エンジンの開発等により、昭和45年に自動車1台当たり平均1,551?だったガソリンの消費