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  • 子規と漱石 (壺 齋 閑 話)

    漱石は子規の死後数年たった明治四十一年に、雑誌ホトトギスの求めに応じて子規の思い出を口述筆記させた。その中に次のようなくだりがある。 「なんでも僕が松山に居た時分、子規は支那から帰って来て僕のところに遣って来た。自分のうちへ行くのかと思ったら、自分のうちへも行かず親類のうちへも行かず、此処に居るのだといふ。僕が承知もしないうちに、当人一人で極めて居る。」(漱石談話 正岡子規) この話は、お山の大将でないと気がすまない子規の性格を面白おかしく述べたもので、大分誇張が混じっている。話の中では子規のほうから勝手にやってきて、漱石の承諾もないままに居座ったようになっているが、事実としては、子規の病を知った漱石が、自分のところで静養するようにとの配慮から、わざわざ招いたのである。 当時子規の故郷松山の中学教師に赴任していた漱石は、年来の親友子規と一緒に暮らせることを喜んだにちがいないのだ。漱石は子規

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