タグ

歴史と十二単に関するhiroetteのブックマーク (1)

  • 女房装束

    「十二単」、正式には「五衣・唐衣・裳」と呼びます。 左の写真は、陽子の十二単の晴れ姿です。 古くは「女房装束」「女装束」「裳唐衣」などと呼ばれ「十二単」という言葉はありませんでした。平家物語で、壇ノ浦に身を投げる建礼門院平徳子の装いを「弥生の末(3月24日)のことなので藤がさねの十二単~」と記してあるのが最初だということです。 十二単の来の意味からいうと単(ひとえ)の上に褂(うちき)を十二枚はおってはじめて十二単なのですが、この語感が良かったのか以降、盛んに用いられるようになったということです。 十二単の構成は、まず足には「襪(しとうず)」を着けます。次に紅精好の「長袴(ながばかま)」、「単(ひとえ)」をつけて、その上に「衣(きぬ)」(袿ともいい、五領重ねてるようになってからは「五衣(いつつぎぬ)」と呼びます)「打衣(うちぎぬ)」「表着(うわぎ)」を着重ねて、「唐衣(からぎぬ)」を打ちか

    hiroette
    hiroette 2012/03/13
    十二単の説明が図入りでわかりやすく解説されています。
  • 1