南方を探検するための笹森儀助の服装。落ちてくるヤマビルを避けるため[1][2]コウモリ傘を持ち、蚊を追い払うため[1]に腰に団扇をさしているが、暑さのためにまくしあげた[2]単衣の下からは、虫に刺されて腫れた[1]足が露出している。 笹森 儀助(ささもり ぎすけ、弘化2年1月25日(1845年3月3日) - 大正4年(1915年)9月29日)は日本の探検家、政治家、実業家。当時の日本において辺境の地であり、その実態がほとんど分かっていなかった南西諸島や千島列島を調査した他、奄美大島の島司や第2代青森市長も務めている。 また、南西諸島調査の詳細な記録である著書『南嶋探験』は、柳田國男など後の民俗学者に大きな影響を与えた。 経歴[編集] 1845年(弘化2年)、陸奥国弘前在府町(現・青森県弘前市在府町)に、弘前藩士・笹森重吉の子として生まれる。藩校稽古館(現・東奥義塾高等学校)で学んだ後、弘前
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