ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (260)

  • 教誨師(きょうかいし)の みなさんへ。 - hituziのブログじゃがー

    森達也(もり・たつや)『死刑』朝日出版社 このを よんでいて、どうしても かきたくなりました。 2006年12月の時点で、全国の教誨師の数は総計1551人。そのほぼ7割は仏教系の僧侶で、残りの3割強を神道系とキリスト教系が占めている。(185ページ) 教誨師は なにをするのか。 徳性の育成を目的とする教育活動。つまり受刑者の改悛や反省の手助けをして、社会復帰するときのために矯正することだ。でも教誨師の使命はそれだけではない。広辞苑には「刑務所で」と記述されているが、例外的に拘置所にも出入りする。死刑囚への教誨だ。(185ページ) 死刑囚は、「心安らかに吊るされるために教誨を受けるのだ」(185-186ページ)。 森達也は、教誨師のTさんにインタビューしています。 死刑囚は半分以上が教誨を受けています。一回につき30分から40分。基的に僕はしゃべらない。聞くばかりです。できるだけ聞く。そ

    教誨師(きょうかいし)の みなさんへ。 - hituziのブログじゃがー
  • 不平等な関係が「本名と通名」のジレンマを うみだす。 - hituziのブログじゃがー

    名? |liangのブログ まず、うえの記事を ごらんください。 いろいろな論点があるわけですが、ひとつ たいせつな点が論じられていないように感じました。それは、日社会において、多数派である日人は「名と通名」のジレンマを かかえていない。それにたいして、少数派である朝鮮系の住民だけが「名と通名」のジレンマに なやまされている。その非対称性が問題だということです。関係が不平等だということです。 少数派には通名がある。多数派には通名がない。 その不平等な関係に問題があるのですから、 そもそも「名」という名辞そのものがいかがわしくないか。当の自分どうように。というのは、もっとも「いかがわしい」ものを 放置してしまっているように感じます。もっとも、liangさんには とっくのむかしから わかっていることなのだと おもいますが。この記事で liangさんが とりたてて かいておられない

    不平等な関係が「本名と通名」のジレンマを うみだす。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/03/26
    属性を もたない多数派は、いつも「だれでもない わたし」という自由な個人なのですよね。おかれた境遇が、圧倒的に ちがう。
  • 責任を ひきうける。 - hituziのブログじゃがー

    いくつかのはなし。「悪意ある責任論」の問題、いわゆる「たち位置(ポジショナリティ)」について、「おまえだって」という批判について。 差別について。 - hituziのブログじゃがー たとえば、わたしは知的障害者の施設で しごとをしてます(「あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。」)。わたしの職場はグループホームも いくつも運営しているのですが、わたしの部署は入所施設です。社会の都合で、制限された空間を いきているひとがいます。そこで しごとを している わたしは、毎日の業務で なにを どうしようとも、正義などではありえないのです。これは社会全体の問題ですから、社会をつくりなおさないかぎりは、胸をはれる日など、おとずれはしないのです。それまで わたしは、差別者でありつづけるのです。 でもだからといって、わたしが自己批判をつづけて絶望して、無気力になって、死んでしまえば正義にな

    責任を ひきうける。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/03/24
    はなしが あっちこっち いきますが。おゆるしください。/ここ だいじ。"だれにも責任はありますが、そのなかでも責任重大な ひとたちのことを わすれることはできません。"
  • 差別について。 - hituziのブログじゃがー

    差別。「差別はいけません」。「なくそう差別」。 うーーん。どうなんでしょうね。ちょっと、小山エミ(こやま・えみ、macska)さんの解説を みてみましょう。 macska dot org 差別についての、ごく基的な考え まず、一番大事なこと。わたしは「差別」という言葉で社会の諸制度や、それを含んだ社会システムのことを指す用法を取り、一般に「差別」と呼ばれる個別の行為や発言などは「差別的」と呼んで区別している。つまり、特定の人々に対して「不利益・不平等な扱いをすること」という行為のレベルではなく、特定の人々が「不利益・不平等な扱い」を受けるような社会のありかたを「差別」と呼び、個々の不平等な扱いは「差別的」もしくは「差別行為」として区別している。それは、「差別」とは主に社会のありかたの問題であり、個々の行為や発言などのことではないと考えているから。 いやあ、すばらしい。そのとおりですよね。

    差別について。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/03/15
    「「革命」と「少しずつよくなれ」」でも かきましたけども、くりかえし、ひきつづき社会をよりよくしていく、差別をなくしつづけていく。その方向に むかうということです。http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20080607/1212803792
  • べてるの家の「弱さの情報公開」。 - hituziのブログじゃがー

    べてるの家 べてるの家を ご存じですか? わりと有名ですね。 であれば、つぎの2冊をおすすめします。 『べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章』医学書院 『べてるの家の「当事者研究」』医学書院 さて。きょうは『安心して絶望できる人生』生活人新書の一部を紹介します。「弱さの情報公開」という視点です。 …「問題」を起こさないことよりも、相談する力を身につけることと、浦河[うらかわ]流のいい方をすると「弱さの情報公開」が、地域の中で生き抜く大切な条件となるのです。 世は「個人情報保護」の時代です。しかし、個人の持つ情報の中で秘匿[ひとく]すべき情報はごく一部で、ほとんどが地域で暮らす一人の市民の有用な生活体験として共有すべき大切な情報なのです。ですから、早くから浦河ではそこに着目して、「弱さの情報公開――困った体験、失敗の体験、苦労の体験の公開」を提唱してきました。 「弱

    べてるの家の「弱さの情報公開」。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/03/14
    うつを いきるために。
  • なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。 - hituziのブログじゃがー

    「われわれ」を想像する権利 - Danas je lep dan. うえの記事の、最初の部分に違和感がありました。全文は うえのリンク先を よんでください。一部分だけ引用します。 前に書いた 真に他民族を尊重するということ - Danas je lep dan. の補足のようなもの。 ぼくは前々から構築主義※1を支持しながらアイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持している事について矛盾があるのではないかと感じていて,その二つの立場の整合性を取ろうとしたのが前掲エントリなんだけれど,図書館で雑誌をパラパラとめくっていたらしっくりくる表現を見つけた。 ※1:構築主義と源主義の違いについては,質主義と構築主義 - Danas je lep dan.を参照。 「構築主義を支持」するなら、「アイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持」するのは「矛盾」でしょうか。そんなことはありません。

    なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。 - hituziのブログじゃがー
  • 朝鮮人差別について。 - hituziのブログじゃがー

    三浦耕吉郎(みうら・こうきちろう)編『構造的差別のソシオグラフィ』世界思想社 「私たちがある種の関係性のなかにおかれると、個々人のなかの偏見や差別意識の有無とは無関係に、差別に荷担させられたり、差別を引き起こしてしまうことがある」(みうら「序章 〈構造的差別〉のソシオグラフィにむけて」3ページ) マイノリティについて - hituziのブログじゃがー マイノリティは、ただマイノリティなのではない。マジョリティ(多数派)との関係において、マイノリティであるのだ。 日国籍を 一方的に おしつけ、うばいとる。 さて、かんたんに歴史的事実から。在日コリアン弁護士協会 LAZAK編著『裁判の中の在日コリアン』現代人文社より。 1910年のいわゆる日韓併合によって、朝鮮は日の領土とされ、朝鮮人は一律に日国籍を取得しました。その後、日による朝鮮半島の植民地支配が行われていた間、日国籍を有し、日

    朝鮮人差別について。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/03/12
    戸籍の問題について、もっともっと かんがえていきましょう。/差別は構造の問題だって いってるわけで、社会的弱者が権力者、多数派を差別することはできない。非対称な関係性が差別だということ。権力の問題。
  • 冷静で いられるということ。 - hituziのブログじゃがー

    そんなの どうでも いいじゃん。関係ないし。ほっとけば いいんだよ。 そんな無関心。アッケラカン主義。もしかすると、それも必要であるかもしれない。けれども、「気にするほうが おかしい」とは いえないはずのものです。いってはいけないことです。 くだらない権力者がいて、ろくでもないことを いっている。それにたいして、「ふん。ばーか。」で かたづけるのも ひとつの見識だろうけれども、そうではなくて「ふざけるな!」と批判するのも必要なことだ。その都度、自分の思想信条によって批判したり、アッケラカン主義を 発揚したりすれば いいことだ。どちらにも、おなじく理念がある。 こういうときに、いちばん気にさわるのが「気にするほうが おかしい」という イヤミな発言だ。さも、自分は冷静で いられる ご立派な人格者のような口調が、わたしは きらいです。 「冷静に」と おっしゃる あんたこそ - hituziのブロ

    冷静で いられるということ。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/03/04
    ぶるるん ぶるるん!
  • わしもスターダストや(福祉労働者のために)。 - hituziのブログじゃがー

    京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy : 個人ビラ(挑戦状)作りました(文責:unagi) わたしは、ユニオンエクスタシーのストライキに、心から賛同します。 わたしも、福祉の現場に身をおくスターダストです。 やっすい給料で、慢性的な人手不足で、かんがえつめたら ゆーうつになり、けれども やめるということが できないくらいに たくさんの笑顔に ひきとめられ、けれども いつも笑顔なわけじゃないという当然なことに胸を しめつけられ、ただ、いろんなことを ごまかすことで、毎日の しごとを こなしていく。 福祉労働者は、ゆーうつになるヒマもない。 社会が排除した。その排除とセットにあるものが、福祉施設だ。 どう かんがえても、おかしい。施設で 利用者の生活を 制限する。管理する。うばいとり、あたえる。それを させているのは社会だ。 けれども、現場に いないことで、だれもが わすれてしま

    わしもスターダストや(福祉労働者のために)。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/03/02
    連帯のために。
  • ヤスクニは宗教的に ふるまうことで機能する軍事施設である。 - hituziのブログじゃがー

    ヤスクニは軍事施設である。それは、たくさんのひとが指摘してきたことだ。はじめて きいた意見であるなら、「靖国 軍事施設」で検索してほしい。 『天皇・天皇制をよむ』東京大学出版会から おさらいしよう。 戦前において靖国神社は、陸軍省・海軍省が共同で所管し、天皇自らが戦没者の霊を祀る[まつる]ためにしばしば親拝(天皇自らの参拝)するきわめて特殊な、天皇の国家の戦争政策と切り離すことができない神社であった。靖国神社の責任者である宮司には退役陸軍大将があたり、神社の運営費は陸軍省予算から支出され、社域の警備には憲兵があたっていた。(238-239ページ) ヤスクニは、だれを まつったのか。 …祀られた戦没者は、日人であっても、あくまで天皇制政府側に限られ、戊辰[ぼしん]戦争における旧幕府側や西南戦争における薩摩[さつま]側の戦没者、あるいは佐賀の乱・竹橋事件などにおける反乱者(処刑者)などは除外

    ヤスクニは宗教的に ふるまうことで機能する軍事施設である。 - hituziのブログじゃがー
  • 「反対の声にだけ「対話」を要求する」論法。 - hituziのブログじゃがー

    オカルトなナショナリズムに支配された社会であるということ。 - hituziのブログじゃがー うえの記事に、つぎのようなコメントが ついていました。 ハイ、終了。残念。>『ちょっとでも かんがえてみれば、天皇制なんて いやだと感じるのが あたりまえなんだよ。 「ちょっとでも かんがえてみれば、天皇制なんて いやだと感じるのが あたりまえなんだよ。」というのは、わたしの文章です。おそらく、このコメントを かいた ひとは、天皇制を「いやだと感じない ひともいる」、だから、「いやだと感じるのが あたりまえ」というのは「議論を おわらせてしまう」、「対話にならない」という指摘なのだろうと おもいます。わたしは、こういう指摘が ものすごく きらいです。良識ぶった発言ですが、まったくもって不誠実な態度です。こういう態度を「民主主義的」などと みとめることはできないのです。 天皇を あがめてみせるのは

    「反対の声にだけ「対話」を要求する」論法。 - hituziのブログじゃがー
  • なにが「価値」を演出するのか。 - hituziのブログじゃがー

    ついさっき、すべて つながっている。 - ニートのあしたを かいたのですが、要は希少性の議論ですね。 hituziのブログじゃがーだと、つぎの記事で説明したようなことです。 「ありがたい」ということ。 - hituziのブログじゃがー ヤマダカント「ありがたられ効果」 - hituziのブログじゃがー 独占の問題については、あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがーも よんでください。 さて、稀少性とイリイチで検索してみると、つぎの記事を みつけました。わかりやすいです。ぜひ ごらんください。 稀少性と依存(隷属)状態 - heuristic ways すこし関連する議論として、ケータイの可能性と差別性 - hituziのブログ 無料体験コースも。

    なにが「価値」を演出するのか。 - hituziのブログじゃがー
  • だれが「菜食主義」と名づけるのか。 - hituziのブログじゃがー

    「菜主義」という表現に ひさしぶりに接して、苦笑してしまいました。いやあ、わたしは ほんとに菜主義というフレーズが きらいなんですね。 菜主義といえるかもしれないのは、ビーガン(vegan)の ひとたちですよね。16才のころの わたし。ビーガニズム(veganism)=菜主義とは いえるでしょう。けども、菜主義というのは やっぱり いやで、脱肉や非肉主義などと表現したい。 菜主義って、どう かんがえても自称するための表現じゃないですよ。たんに菜なら ともかく。 「わたしは菜主義者よ。あなたは肉主義者ね。」 わらえませんか? それにしても、「肉主義」。どうですか。あなたは肉主義ですか。もっといえば、肉至上主義ですか。 いまの日では肉は制度化されています。それが当然のものとされています。ですから、現代日は肉主義社会と いって かまわないはずです。強制肉社会

    だれが「菜食主義」と名づけるのか。 - hituziのブログじゃがー
  • 拍手は あとでいい。 - hituziのブログじゃがー

    だれが ほめられるべきとか、そんなことは あとで かんがえたらいい。議論の目的は、支配と殺害と破壊を とめることにある。それが達成されないかぎり、だれも えらくなどない。ほめられるべき ひとは いない。それぞれが それぞれの立場から、やめろ!と主張しつづけるだけだ。 だれかに拍手を おくるのは、目的が達成されてからで いい。だって、なにも おわっていないじゃないか。もっともっと、ずっとずっと、やめろ!と いいつづけよう。イスラエルが支配と殺害と破壊を やめるときまで。やれることを やろう。いま必要なのは批評家じゃないはずよ。

    拍手は あとでいい。 - hituziのブログじゃがー
  • オカルトなナショナリズムに支配された社会であるということ。 - hituziのブログじゃがー

    いまだに日に天皇制というものがあるということは、要するに、日社会は きしょくわるいくらいにナショナリズムが のさばっているということだ。ウヨクに支配された社会。反動保守というか、そもそも前進したことなんて ほとんど ないじゃないか。天皇制は ゆるがず、戸籍制度を 廃止しようという主張は 存在すら認知されていない。 天皇誕生日だの、建国記念の日だの、みどりの日だの、昭和の日だの、くそくらえだ。ふざけるな。 いまね、みどりの日 - ウィキペディアを みたよ。あきれるね。 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としている。…中略… 1948年の祝日法施行以来、昭和天皇の誕生日である4月29日は、国民の祝日である「天皇誕生日」とされていた。その後1989年(昭和64年)1月7日の今上天皇即位により、天皇誕生日は今上天皇の誕生

    オカルトなナショナリズムに支配された社会であるということ。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/02/16
    あたりまえなことなので冷静な状態で淡々と かきました。
  • つねちゃん、やねちゃん、おかやまツアー。 - hituziのブログじゃがー

    常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)さんが あそびにきました。 - hituziのブログじゃがー 2月10日に、ツネノさん(id:toled)が もう一度 おかやまに あそびにきました。今回は、すてきなアナーキストを つれてきました。やねごんさん(id:lever_building)です。 高速バスで おこしだったので朝の6時50分に おきて、岡山駅に むかいました。お茶しながら たのしく おはなししたあと、岡山城に むかいました。 すると! おかやまで まちづくりとしてユニバーサルデザインを推進する事務所を みつけたのです。ぶらっと おじゃまし、いろいろ たのしく おはなしして、「のユニバーサルデザイン」についての展示物を 拝見しました。わたしは おかやま市民なので入会書を いただいてきました。書類に「性別欄」があったので、おもわず「性別欄というのはユニバーサルデザインの視点からいって問題

    つねちゃん、やねちゃん、おかやまツアー。 - hituziのブログじゃがー
  • 「ニートのあした」が はじまった。 - hituziのブログじゃがー

    ニートのあした」宣言 - ニートのあした 人生たのしいですね。希望を つくるのは、いつも絶望からです。わたしは2月9日に絶望しました。けれども、2月10日(ニートの日)に id:toled((元)登校拒否系)、id:lever_building(やねごんの日記)、id:hituzinosanpo(hituziのブログじゃがー)が あつまって、「ニート宣言」を 全世界にウェブで配信しました。2月11日は「ニートのあした」です。 「建国記念の日」??? はあ? ふざけるな紀元節!!!! 2月11日は、「ニートのあした記念日」に きまってるじゃないか! 2月11日に しごとに いかないのは、紀元節だからじゃない。ニートのあしただからだ! さあ、ニート革命だ! 強制労働社会に請求書を おくりつけよう。 しごとを わけてあげる。だから、カネを わけて。 ニートが ほんきを だしたら、どうなると お

    「ニートのあした」が はじまった。 - hituziのブログじゃがー
  • バトラー『ジェンダー・トラブル』。 - hituziのブログじゃがー

    2月の研究会(第66回)のお知らせ - Net-M研究会 参加してきました。読書会って、たのしいですねー。ひさびさに、いい刺激を いただきました。とりあげたのはバトラーの『ジェンダー・トラブル』。一時期わたしも おかやまで研究会に参加していましたが、そのときもバトラーについて議論したのでした。ですので、『ジェンダー・トラブル』やジェンダーについては、なにかと関心がありますし、これまで あれこれ かいてきました。 ジュディス・バトラー - hituziのブログ 無料体験コース 人と人の間にあるもの - hituziのブログ 無料体験コース 線ひき問題 - hituziのブログ 無料体験コース 人工物としての自然 - hituziのブログ 無料体験コース ジェンダーは行為だ、するものなんだ。 - hituziのブログ 無料体験コース 性差別と性別主義 - hituziのブログ 無料体験コース

    バトラー『ジェンダー・トラブル』。 - hituziのブログじゃがー
  • 常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)さんが あそびにきました。 - hituziのブログじゃがー

    きのう(1月27日)、よるの8時半に しごとが おわり、岡山駅に かけつけて、ツネノさんを むかえにいきました。ツネノさんは、『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』理論社を 貴戸理恵(きど・りえ)さんと かいています。9時すぎに 家について、さっそく はじめたのがユーストリーム。idを つくって、ウェブカメラを 公開して、それを 宣伝して、はなしはじめるという(hituzinosanpo @ Ustream.TV)。 うおおおーーーーナマです。今です。いまやってr4うおあえ - (元)登校拒否系 ウェブカメラで ライブ中です。(でした。) - hituziのブログじゃがー まともに ふたりで はなしをする ひまもなく、ただパソコンにむかって さわいでいました。すると、ツネノさんのファンの みなさんが たくさん あつまってきて、「右のおっさんだれ?」(わたしのこと)とか いわれつつ、『図解雑

    常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)さんが あそびにきました。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/01/29
    あこがれのツネノさんと。ついに。
  • ドキュメンタリー映画『靖国』(ヤスクニは軍事施設だ)。 - hituziのブログじゃがー

    わたしは大学生のころ ペキン語(漢語)を かなり べんきょうしました。チューカ料理屋で4年間 バイトしながら調理補助と通訳みたいなことを していたので、それなりに上達しました。 さて、ペキン語を まなんだことの ある みなさん。中国台湾にいって、日人が ペキン語を はなすということが めずらしいというだけで、ほめられたり、感謝されたり、それだけで親近感を もっていただいたり…。たくさんの たのしい経験を したはずです。わたしも そうでした。その一方、日人が だれかに、日語を べんきょうしてくれて ありがとうということは、かなり すくないように感じます。西洋人が べんきょうすると、にやにやしながら おもしろがる ひとも いますが。 さて、ドキュメンタリー映画の『靖国』。異様な別世界のような きもちわるい空間。それが靖国神社です。わたしも一度いきましたから、よく わかります。ここに、た

    ドキュメンタリー映画『靖国』(ヤスクニは軍事施設だ)。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/01/26
    ヤスクニを つぶすために。/あ、「名誉戦死」って。「名誉の戦死」になおしました。