ここから始まったんですねぇ。 1958年のことです。William Higinbotham博士が、ブルックヘブン国立研究所でオブジェクトのさまざまな動きを予測する研究として、ゴムまりとミサイルの軌道をシュミレーションしていた時でした。 突然、ひらめいたのです。これって、テニスみたい! って。ということで、この年の10月、Higinbotham博士はテニスゲーム『Tennis for Two』を生み出しました。恐らく、これが世界初のビデオゲームなのではないかと考えられています。 それでは、全てのゲームのご先祖さま『Tennis for Two』のビデオをご用意したので、ご覧ください。 Higinbotham博士は、まず、サーキットボードとコンポーネントをデザインするのに数日、そして、マシーンを組み立てるのに約3週間をかけて、完成させました。そして、1958年10月18日に何百もの人が『Ten
2008年11月09日05:00 カテゴリ書評/画評/品評Lightweight Languages 今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき まずは本書の存在を教えてくれた、梅田望夫に感謝したい。おかげでAmazonが在庫を切らす前に注文することが出来た。 日本語が亡びるとき 水村美苗 弾言かつ断言する。 日本語で何かを成しているものにとって、本書をひも解くことは納税に匹敵する義務である、と。 本書「日本語が亡びるとき」は、今世紀においてこれまで書かれた中で、最重要の一冊(誤読が多かったので、少し表現を具体的にしてみた。確かに元の「今世紀」だけでは今後書かれる本も含まれてしまう)。 ノンフィクションの本を紹介する際、ふだん私はここに目次を入れているのは本blogの読者であればご存知かと思う。しかしこと本書に限っては、それは、入れない。隅から隅まで、頭から順番に最後まで読まれな
前期に引き続いて実践女子短大にゲスト講師で呼ばれて行ってきました。テーマは「テレビゲームの功罪」。なんたって女子短大で、これから多くの学生がお母さんになって、子育てをすることになると予測されるので、その時に役に立つような授業というのがリクエストW 例によって時間がなくて前日に徹夜で準備をしたので、朝食&弁当作りはオミット。まー何事も無理しないのが長続きするコツかとW んでもって内容的には、この手の話にちょっと詳しい人ならフツーに知っているような内容(レーティングとか、シリアスゲームとか)をかいつまんで整理しただけなんですが(直前にお茶の水女子大でやっていたアンダーソン教授の公開講座は非常に参考になりましたW)、いろいろ整理していくと、いわゆる「ゲームバッシング」の理由には、大きく次の2点がありますね。 1:ゲーム自体が引き起こす問題(メディア暴力・いわゆる「ゲーム脳」など) 2:ゲームの「
ネトゲのキャラクターは死ぬべきである - へだちの日記 「死≒そのキャラの終了」という概念を盛り込むとしても、プレイヤーにとって腑に落ちる(流れとして自然である)内容で無ければなりません。また、「現実とは違う仮想空間を楽しむ」ユーザーにとって、死という概念を現実のそれをそのまま持ち込むことは、場合によっては強烈なデメリットになるため、慎重にならざるを得ません。 しかし、現在動いているオンラインゲームにおいて「死/再生(転生)」を上手く演出しているゲームもあります。 Photo by Unreasonable Demands On Air on Flickr - Photo Sharing! 1つは、「理不尽な死」ではなく「選択による死」という形でシステムに組み込んだのがベルアイルの継承システムであったり、マビノギのように転生と言う形で課金に結びつけるものがあります。*2また、「ゲーム
ネトゲのキャラクターは死ぬべきである。でないと、時間をかけたプレイヤーほどレベルが上がって有利になるので、そのゲームばっかりやってる廃人の溜まり場になってしまう。たぶん、ポケモンとかダビスタみたいに「主人公ではないキャラクターを育てる」ようにして、そいつに寿命があるネトゲを作るのが一番いいと思う。できれば、ダビスタのように成長期があって、ピークがあって、そこからだんだん衰えて死んでいくことが望ましい。生物ってそういうものだし、育成ゲームは生き物を育てる楽しさをシミュレートしたものだから。 育てたキャラクターが死んでしまっても、プレイヤーはキャラクターの育て方を学んでいくことができるので、何も残らないわけじゃない。つまり経験値がプレイヤーに残る「不思議のダンジョン方式」だ。とはいえ、本当にゲーム上に何も残らないのもちょっと悲しいので、ダビスタみたいに「殿堂入り」の馬の記録を残すとか、レース
シューティングっていうジャンルのコアって、操作系の単純さにあると思うんですよ。多分だけど。 シルバーガンみたいな例外もあるけれど、シューティングって大体は「ショット」と「ボンバー」とか「ショット」と「パワーアップ」の2ボタンだったりするし、増えても4ボタン以上になることは滅多にない。 多分横シュー含めて、今でも8割がたのタイトルは「2ボタン以内 + レバー」っていう操作系にあてはまるんじゃないかな。 アクションゲームやRPGはいうに及ばず、シミュレーションだのスポーツゲームだの、ありとあらゆるゲームジャンルが「操作系の多様化・複雑化」を含んだ方向でゲーム性の拡充を目指すという道を選んできたのに、シューティングっていう最古のジャンルが、30年近く前の操作系と大して変わらないものを保持し続けている。最新タイトルでも、やろうと思えばファミコンのコントローラーで遊べるのだ。 これは、「シューティン
You can only see through the other person's eyes when you wear these machines, which forcibly put you in the other's place. These were made to obscure the border between identities of two persons. This work has been exhibited in many places. Technically improved each time, however the concept "to make it possible to kiss or to make love with the partner while keeping the machines on" is observed.
トラックバック先に「将棋は奥が深い」という話があった。 世界は面白さで満ちている - 未来私考 これはぼくも前からそう思っていたので、良い機会だからそれがどんなふうに奥深いのか、ぼくなりに書いてみたい。 ところで、笑い話に「少ないおかずでどれだけご飯を食べられるか競い合う男たち」というものがある。昔は、お米に対しておかずの供給量が極端に少ない時期があったので、少ないおかずでご飯をたくさん食べることは、食生活を豊かにするための一つのTipsのように語られていた時期があったのだ。 あるところで、二人の男が「少ないおかずでどれだけご飯を食べられるか」を競い合っていた。一方は、「おれはめざし一匹でご飯一杯を食べられる」と言うと、もう一方は、「おれは梅干し一粒だけでご飯一杯を食べられる」と言った。ところが、そこに第三の男がやって来て「おれは梅干しを食べないでもご飯一杯食べられる」と言った。どういうこ
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Googleは米国時間10月7日夜、最新の広告プログラム「AdSense for Games」のベータをローンチした。検索大手のGoogleにとってはビデオゲーム市場への参入となり、2007年2月に2300万ドルで買収した「AdScape Media」で何を計画しているのかという疑問への答えとなる。 AdSense for Gamesでシニア製品マネージャーを務めるChristian Oestlien氏によると、同プログラムのベータローンチは、Flashベースのカジュアルゲームやいくつかの大型タイトルのゲームに対するさまざまな形式の広告配信に注力するという。 Googleはまず、PlayFish、Mochi Media、Demand Media、コナミなどのパートナーと協業する予定だとOestlien氏は話している。 Oestlien氏によると、コナミはAdSense for Gamesを
1 〔論 文〕 はじめに アマルティア・セン(Amartya Sen, 1933-)1) は,厚生経済学の分野で重要な業績をつくり出 すとともに,経済学を倫理学に結びつける研究 を行った。センの業績は多岐にわたる。個人の 福祉を実現する社会的決定を研究する厚生経済 学では,社会的選択理論が重要なテーマとな る。センはこの分野で,先輩のケネス・アロー (1921-)の業績を受け継ぎながら,彼自身が重 要な発見を行った。それは,個人の自由な選択 を認める「リベラリズム」と,全員一致の選好 を社会的決定とする「パレート原理」とは,両 立しないという「リベラル・パラドックス」の 発見である。そして彼はその解決も探求した。 また,センは,貧困や不平等の経済学を論じ た。ジョン・ロールズ(1921-2002)は,『正義 論』(1971)2) において,功利主義が快楽の増 大を基準として「最大多数
ドナルド・ウィニコット ドナルド・ウッズ・ウィニコット(英: Donald Woods Winnicott、1896年4月7日 - 1971年1月28日)は、イギリスの小児科医・精神科医・精神分析家。特に対象関係論の領域で広く知られる。ウィニコットは英国精神分析協会における独立学派を牽引するメンバーであり、英国精神分析協会会長を1956年-1959年および1965年-1968年の二度にわたり務めた[1]。ウィニコットは本当の自己と偽りの自己、移行対象、独りでいられる能力などのアイディアで最も知られている。ウィニコットは『遊ぶことと現実』[2]を含むいくつかの著書と200を超える論文を執筆した[3]。 人物[編集] イングランドのデヴォン州プリマスの中流階級のメソジストの信仰を持つ家庭に生まれる。両親は、サー・フレデリック(商人)とエリザベス・マーサ・(ウッド)・ウィニコット。1923年アリ
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