先日、いつも言葉のあらしが吹き荒れている混沌の地であるところのぼくらのX(元Twitter)で、このような話題がありました。 「日本のフィクション作品」は「公権力が悪役である作品が少ない」ということなのですが、はっきりいってひじょうに目の粗い話なので、これ自体はどうということはありません。 じっさいのところ、反体制側が公権力を打倒する話も探せばいくらでもあるだろうし、現実にいくつものタイトルが挙げられている。 そしてまた「多い/少ない」にはしょせん主観以上の基準がありません。さらにいうなら、何をして体制と呼び、反体制と考えるかも人によって違っているところでしょう。 つまり、厳密な議論に堪える強度を持たない言説に過ぎないわけです。 ただ、ここから派生していける話はちょっと面白い。「それでは、物語のなかで公権力、あるいは反権力はどのように描写されるべきなのか」というテーマですね。 この問題、い