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物語+神話+歴史と考察に関するhongkongKimcheeのブックマーク (10)

  • Matzにっき(2007-07-02)

    << 2007/07/ 1 1. [教会] 第一安息日 2 1. 2ちゃんねる実況中継 あるベルギー人から見た日 2. Programming for the masses 3. とりあえず暇だったし何となく始めたブログ - flymake でリアルタイム文法チェック 4. cdiggins.com >> My Goal: Naive Programming 3 1. mixiが自社開発の検索エンジンに移行、ウェブ検索はYSTに:ニュース - CNET Japan 2. [Ruby] CodeZine:Java開発者のためのRubyガイド(Word, 言語比較) 3. 旭川に移動。 4. [Ruby] 世界に広がるオブジェクト指向スクリプト言語〜Rubyについて開発者が語る 4 1. 旭山動物園 2. インタビュー 3. [Ruby] Rhino on Rails 4. [言語] ITm

    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/07/22
    日本人の民族性を鋭くし指摘
  • Atahualpa :: TYPE-MOONは「セカイ系」の終わりを告げるのか?

    この夏、ろくに更新もせずに何をやっていたかといえば、TYPE-MOONの美少女ゲーム『月姫』と『Fate/stay night』にハマり狂っていたのですよ! こういった設定が山ほどある作品に僕はめっぽう弱くて、いまだにネットで「月姫研究室」を貪るように読んでいたりするのだが、それにしても、この一連のTYPE-MOON作品から、ノスタルジックな感慨ばかりわき起こってくるのは何故だろうか。雑誌や同人誌でゲリラ的に発表されるサイドストーリー、物語の背後に隠された裏設定とそれをまとめた用語集、登場人物と世界観を同じくするスターシステム……これはまるで『魑魅戦記MADARA』のようではないか。 80年代に大塚英志によって『物語消費論』の実践として展開されたMADARAシリーズ。一作目は当時の流行に乗っかっただけのファンタジー漫画だったのが、完結と同時に「MADARAプロジェクト」と銘打って108のサ

    Atahualpa :: TYPE-MOONは「セカイ系」の終わりを告げるのか?
  • ストックキャラクター - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ストックキャラクター" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年1月) ストックキャラクターは、Damsel in distressやプリンス・チャーミング(画像は『眠れる森の美女』)などのストックキャラクターを使用するおとぎ話を含む、フィクションにおいて重要な役割を果たします。 ストックキャラクターとは、文化的類型(またはステレオタイプ)に強い基盤を持った個性、しゃべり方、その他の特徴を持つ、架空の人格である。 概要[編集] ストックキャラクターは、ある特定の文化に属する人にはただちに理解できる。そのため、喜劇やパロディ

    ストックキャラクター - Wikipedia
  • 「欲望する父」と「抑圧する父」

    最初に断っておきたい。この文章における「父」とは具体的な父親のことではなく、「父性」などのような、象徴的な父のことを指す。 この象徴的父は超自我でもある。象徴的ファルスΦが大文字の他者Aに及ぼす暗喩作用そのものと言ってもいいだろう。超自我は抑圧を役割としているので、これを象徴的父の一つの側面として捉え、「抑圧する父」と呼ぶことにしよう。象徴的父を「一」という固有性に凝縮したのが「父-の-名」である。 男性にとっての象徴的父は、この「抑圧する父」的な側面の印象が強くなるだろう。男性はエディプスコンプレックスを「父の名」による去勢で終焉するからだ。それは、男性の精神世界においては「トラウマ的な」イベントとなる。 しかし、女性は違う。 女性は原抑圧によってエディプスコンプレックス(エレクトラコンプレックス)が始まる。象徴界に参入してから父親を愛するようになる。そこで、象徴的父から与えられた、象徴

    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/06/24
    心理学・精神分析学の観点から象徴的父性について
  • 「消費者」という権力者

    以下は、私が「今の」オタクたちを現実あるいはネットにおいて、精神分析的な視点で観察し続けてきた経験を元に述べている。 オタクたちは、「権力」を連想させるシニフィアンに対しアレルギー的な拒否反応を示す。それは例えば「芸術」だったり「学問」だったり「知」であったり「純文学」であったりする。オカタく自身を抑圧しそうなシニフィアンに対し、面白いほど、被害妄想と言ってよいほど反応する。オタクたちと議論した者なら誰でも経験あるだろう。ただし、向こうから擦り寄ってくる相手にはだらしなく無防備になる。「芸術」や「学問」や「知」や「純文学」というシニフィアンを利用して「オタク」というシニフィアンを肯定あるいは擁護する言述には、その文章に自分たちを同一化させるほど喜んで受け入れる。例えば最近ヨーロッパなどでオタク文化の表現作品が広まりつつあるが、外国人に愛される作品と自分たちを同一化したような言動をする。まる

  • 萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ

    萌えとロングテール 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前回) ムイミムイミムイミミーちゃんよ!! - ロリコンファル メタ的な快楽的差異だけがあるのだ、無意味万歳って話ですよね…(^^; 作品に物語としての意味を見出すべきだという論説に「メタ的差異の無意味万歳」 という意見を出すのは…、う〜ん、噛み合ってないような……。 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 - 絵文録ことのは 世界全体=物語派←→世界の一部である人物=キャラ萌え 人物の全体=キャラ萌え←→人物の一部の特徴=属性萌え こう書いてみると極めて当たり前のことでしかないのだが、視野の広さ、見ている範囲の違いは歴然としているといえよう。 それがですね、萌えは無意味だとか視野が狭い、といった常識的な思考をひっくり返したのが、前のエントリなわけですよ。でも前回ちょっと硬めに書いたら、

    萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ
    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/06/23
    ・・・「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立
  • 図解・キャラ萌えの構造 - 萌え理論ブログ

    図解・キャラ萌えの構造 萌え理論Blog - 萌えにもロングテールの物語性がある(前回) 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前々回) この書き方だとサイレントマジョリティーはついてこれない気がする。 図で説明したほうがわかりやすい気がする。 (はてブのコメント) 賛否以前に、そもそも私の主張が十分に理解されていないようなので、改めて解説します。まず最初に図から見てみましょう。 作品の立体像 古典的な基準で優れた作品は、立体的な構造をしています。鑑賞者は何回も作品を鑑賞し、角度を変えて見ることで、作品の異なる面を発見します。人物造形、物語の筋、設定や世界観、文体やタッチなど様々です。さらに、業界人でないと分からない楽屋や舞台の裏面もあることでしょう。 さてここで、もちろん人物も一つの面です。が、人物だけ、さらに特定の人物だけを見ている場合に、文字通り

    図解・キャラ萌えの構造 - 萌え理論ブログ
  • たまごまごごはん - 恋するヒロインがぼくらは大好きです。「男女とも楽しめる少女漫画会議」第一部~男から見た少女漫画の思い出~

    女性は最近では少年漫画を気軽に買えるようになりつつあります。しかし、男性にはなかなかハードルが高い位置にある、少女漫画の世界。 それはもったいない!男性でも女性でも楽しめる少女漫画を読みたい! ということで、今回は色々なマンガ好きサイト管理人に集まっていただき、様々な視点から「少女漫画」について語っていただきました。 第一部では「少年漫画好きの男性たち」から見ての少女漫画の感覚について、語っていただいています。特に思い出に残っている作品をあげてもらい、そこから「男性から見た少女漫画観」をくみ上げてみようと言う試みです。 第二部ではメンツを変えて、「少女漫画が好きな男女から見た、男性でも女性でも楽しめる少女漫画」ということで、少女漫画に詳しい方々にオススメの作品を語っていただき、男性と女性の間の少女漫画観を語っていただきました。 〜参加者〜 たかすぃ・(マンガがあればいーのだ。) たまごまご

    たまごまごごはん - 恋するヒロインがぼくらは大好きです。「男女とも楽しめる少女漫画会議」第一部~男から見た少女漫画の思い出~
  • フィーチャーから見る格闘ゲームの歴史 - うさだBlog

    # * 投げ スト2。ガードと同時に導入された対ガード兵器。これが無ければガードしていると永久にダメージをらわないクソゲーになるわけで、非常に重要な存在。しかし当時は格闘ゲームというジャンルが登場して日が浅かった事もあり、この「安定なはずのガードを崩される」事自体を理不尽な現象と捉える人間が多く、さらに投げに行く側のリスクがかなり低かった事、そしてダメージが非常に大きかった事が相まって、打撃で固めて投げに行く事を「卑怯な事である」とする風潮が蔓延、そのせいでガードを崩す手段としては満足に機能しなかった。この風潮はその後もずっと続き、通常投げはリスク上昇とダメージ低下の弱体化を受け続けた。また同時に空中ダッシュ攻撃に代表される高速中段を採用するゲームが増え、そこでは空中ダッシュ攻撃が投げに代わってガードを崩す主要な手段になったため、投げの存在感はさらに薄くなった。投げは現在も多くのゲーム

  • TINAMI - TINAMIX Archives

    このページは2000年1月から一年半にわたって更新されていたウェブマガジン「TINAMIX」のアーカイブ版です。 現在は更新を停止しています。

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