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考察とブログに関するhongkongKimcheeのブックマーク (36)

  • xenothのブログ

    日記における、エクリプスフェイズの紹介や翻訳記事([EP]タグがついている記事とします)を、『Eclipse Phase』のCreative Commons Licenseに従い、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike(http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/)の条件で、配布するものです。(C)Posthuman Studios, LLC. http://eclipsephase.com xenoth 要約 ・作品を見て、わかりやすい特徴をピックアップする ・適度に一般的なテーマに、こじつけて時代性と言い張る ・批評に見える文章(批評モドキ)が完成する 分析と検証 批評というのは、作品の分析です。 まず、その作品が、どんな部品で出来ているのかを解析し、そして、それ

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  • ARTIFACT@ハテナ系[B!]新着記事・評価 - はてなブックマーク

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  • テレビ番組の低俗化に関する一考察

    最近のテレビは面白くない・テレビ番組の低俗化が一層進んでいる・民放は視聴者を馬鹿にしたような番組しか作らない・最近の若い人たちはもうテレビは見ない、などの声は何年も前から聞く。その割になぜテレビ局のビジネスモデルが破綻しないのか、なぜ民放のプロデューサーたちが高給をもらい続けることができるのかが私には不思議でしょうがないが、そこはあまりにも奥が深い話なのでひとまず置いておいて、まずは「(視聴者が必ずしも望んでいないのに)なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」とう部分にフォーカスを当てて、一つづつ疑問を解消していきたいと思う。 私は「なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」という疑問に対する答えは、マクドナルドに代表される「ジャンクフード・ビジネスモデル」にあると思う。「ジャンクフード・ビジネスモデル」とは、慢性的な料不足にあった原始の時代から人間のDNAに刻み込まれた「とりあえ

    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/08/23
    ジャンクフード・ビジネスモデル≒テレビ番組の低俗化>
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オマーン旅行 2024 2024年のゴールデンウィーク前半はオマーンの首都マスカットに旅行に行ってきたのでその旅の記録を書く。 GWにが子どもを実家に連れて帰るとのことで、5日間の自由時間が手に入ったので、ここぞとばかりに海外旅行行きを決めた。 なぜオマーン 5日しかなく、複数国を…

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  • ◆Midnite Blaze◆

    ※元記事は↓です。 【知はうごく】「模倣が生む才能」著作権攻防(6)−3 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/comic/37339 JASRACにしても夏目氏にしても、同人市場の中でかなりのウェイトを占める成年向け同人誌についてどう考えているのかが非常に気掛かりです。 一次創作者に対して著作権料が支払われるのは公正かもしれないけれど、仮にエロ同人サークルからの徴収が確立したら、それが実質的に「原作者公認」とみなされてしまって不都合が生じる恐れもあるんじゃないでしょうか? 自分もエロ同人誌は大好きなので(笑)偉そうなこと言える立場じゃありませんが、正直これは物凄い地雷原だと思います。 具体的な問題点を書き出してみる とりあえず「同人擁護派の意見なので論拠が大幅に偏っている」ということは前置きしたうえで。 認可制を導入した場

    ◆Midnite Blaze◆
  • ラノベの販売不振

    密かに読ませていただいております(?)REVさんのブログで紹介されていたライトノベルに関するエントリがちょっと興味深かったので触れてみたいと思います。 ホント、どうすれば良いんでしょう?(元村良一 個人ページ「元」) ライトノベル格差社会(のべるのぶろぐ) 私はしばらく前に書店員を辞めた人間なので、最近のライトノベルの売れ行きがどういうコトになっているのかは詳しく知らないんですが、私の実感としても「ラノベは売れる」という印象が強いです。なぜそういう「売れる」「売れない」の差が発生するのか、といえば、「のべるのぶろぐ」さんで指摘されている通りだと思います。以下引用。 売れる店には厚く配され、売れない店には配0の仕打ち。新刊が無い店にお客様がつくはずものなく、人はますます売れる店に流れ、売れる店と売れない店の差は広がり、以下循環。 新刊の配数というのは基的に出版社と書店のパワーバランス

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    hongkongKimchee 2007/08/01
    本屋の売り方なども
  • はてな:日本のIT・WEB制作業の人材確保裏事情 - カレーなる辛口Javaな転職日記

    http://q.hatena.ne.jp/1184913023 こっちは「こちら側」の話. 私はITWEB制作業に関する会社で人事をしております。 A:私も数年人事をしておりますから、面接時の受け答えや実績・履歴内容で判断しております。 まず人事の人間が技術者の面接をする.これがダメなIT企業の特徴です.*1 特に「面接時の受け答え」なんてのは,どーでもいい話です.履歴書もほとんど参考になりません.*2そんなものでしか判断できない人間を外して,現場の技術者に面接させましょう. なぜ、IT業界だけモラル低下がひどいのかよく理由がわかりません。 あんたみたいな『無能な』人事担当者がいるからでしょう. 一般的な制作料金(外注依頼費・給与)を計上しているつもりですし、(中略) 他の同業他社に聞くと、どこも同じような人材トラブルに見舞われているようです。 技術者が質・量共に,圧倒的に不足した結果

    はてな:日本のIT・WEB制作業の人材確保裏事情 - カレーなる辛口Javaな転職日記
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    hongkongKimchee 2007/07/22
    マネージメント、人材・組織論
  • 萌え理論Blog - なぜ魔王は世界征服できないのか?

    なぜ魔王は世界征服に常に失敗するのでしょうか。ここでは解答を出すというより、そもそもどういう条件で勇者と魔王が戦っているのか、に焦点を当て整理することで、RPG世界の表面上に出ないパワーバランスを考察しました。(以下では性格上、RPGのラスボスについてのネタバレを含みます。) 世界征服問題の五大論点 魔王の戦力 人間の戦力 双方の目的 勇者の存在 勇者の復活 魔王の戦力 1.「魔王の戦力」では、魔王と魔物の関係が問題になる。魔物は魔王に能的に従うのか、野生から訓練・調教するのか、それとも契約を結ぶのか*1。人間のように秩序立った命令体系が末端まで行き届いていない場合、勇者を狙い打ちするのは難しい*2。 「ドラゴンクエスト5」では魔物が仲間になるゲームシステムを導入*3しており、それが戦闘を面白くしているのだが、人間=善・魔物=悪の図式も崩れる*4。戦闘をプログラムされたキラーマシンですら

    萌え理論Blog - なぜ魔王は世界征服できないのか?
  • 最速インターフェース研究会

    http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50957890.html まず、Object.prototypeにメソッドを生やしてしまうとfor inでキーを列挙するときにいちいちhasOwnPropertyを使わないといけなくなるので普通は使いません。影響が大きすぎるので、よっぽど変態的なライブラリじゃないと使わない。他のライブラリと組み合わせるとほぼ確実に問題が起きる。それから、deep_cloneが欲しい場合はJSONを作ってevalすればよい。パフォーマンスを気にする場合とか、浅いコピーが必要な場合はそれなりに工夫する必要があるけど。 で、JSONにするのにFirefoxだとtoSourceというのが使える。unevalというラッパーがあって、これだとnullでも平気。 http://subtech.g.hatena.ne.jp/cho45/

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    hongkongKimchee 2007/07/22
     “livedoor ReaderにはてなスターをくっつけるGreasemonkeyスクリプト” Ajax
  • Twitterで何をつぶやくのか - 北の大地から送る物欲日記

    Twitter にブックマークをポストするのがネチケット違反になる日は近いのではないか。なぜなら、Web で見てる人にとってはヒジョーにうざいから。 と、それに対するはてブコメント はてなブックマーク - Twitter / Kazutoshi Ono: Twitter にブックマークをポストするのがネチケッ... を読んで。 「今何してる?」をつぶやくサービス、Twitterですが、その使い方は人それぞれ。 つぶやく内容がユーザーそれぞれに違うように、それぞれのユーザーのHomeに流れているログもそれぞれのFriends集団の面子、数などによってバラバラだったりします。 何をつぶやくのか 何をつぶやくのかは、そのユーザー次第。素直に「今、何をしてるか」をつぶやくのもいいし、他人のつぶやきに突っ込みを入れるのもいい。 「今、何をしてるか」ってのにはいろんなバリエーションがあって、 今○○に

    Twitterで何をつぶやくのか - 北の大地から送る物欲日記
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    hongkongKimchee 2007/07/07
    Twitter。みんなはミニブログをどう/なぜ使っているのか
  • こんな子どもが親を殺す - 井出草平の研究ノート

    こんな子どもが親を殺す (文春新書) 作者: 片田珠美出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2007/01メディア: 新書 クリック: 7回この商品を含むブログ (12件) を見る だが、世の中に「自己の開花」「自己実現」「自分らしさ」をすべて求めることが許されるような仕事がどれだけあるだろうか? たぐいまれな天賦の才に恵まれた人々やごく一部の特権階級を除けば、多くの人々は、「自分らしさ」をある程度犠牲にしながらも、少しばかりの「自己実現」をめざして、日々の仕事をこなしているのではないか。それを受け入れられず、「自己の開花」「自己実現」「自分らしさ」などを求めすぎた若者が行き着く先がひきこもりであるように思われる。そして、その根底には、「すべて可能である」という自己愛的万能感を助長するような幻想が潜んでいるのである。 このように、ひきこもりの若者は、自己愛的万能感からなかなか抜け出せずにい

    こんな子どもが親を殺す - 井出草平の研究ノート
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    hongkongKimchee 2007/07/07
    "ニート"と"ひきこもり"に関する調べもの
  • 近藤直司「青年期ひきこもりケースと「ひきこもり」概念について」 - 井出草平の研究ノート

    近藤直司,2006, 「青年期ひきこもりケースと「ひきこもり」概念について」 『精神科治療学』21(11);1223−1228. 「ひきこもり」という概念についての論文。 近藤直司氏というと「ひきこもり」はすべからく診断名がつくという立場の人。 以下は斎藤環によって広く一般化した「ひきこもり」という概念についての検討。 いずれにしても,精神医学ではひきこもりを症状ないしは状態と捉えるのが一般的であり,症状・状態の背景には,その原因となる疾患・障害が存在するというのが基的な考え方であった。しかし,こうした精神医学的常識は,社会的ひきこもりの「定義」が普及した頃から,にわかに混乱し始めたように思われる。たとえば斎藤は,「社会的ひきこもり」を「二十代後半までに問題化し,六カ月以上,自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており,ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」と定義し,

    近藤直司「青年期ひきこもりケースと「ひきこもり」概念について」 - 井出草平の研究ノート
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    hongkongKimchee 2007/07/07
    "ニート"と"ひきこもり"に関する調べもの
  • 芸術至上主義

    19世紀フランス。1814年ナポレオン失脚からの王政復古、七月革命、二月革命で帝政に逆戻りし、ナポレオンの甥は1870年に失脚する。 そんな時代の芸術はどうだったであろうか。 当時のフランスは「芸術」ブームだった。「芸術」「芸術家」という「名詞」が一般市民に浸透し、自称「芸術家」が巷に沸きかえり、国家もその思想を容認した。 そんな中、1835年ある文芸雑誌で、テオフィール・ゴーティエが「芸術のための芸術」という思想を宣言する。これが「芸術至上主義」と呼ばれる、時代性の強い一つのトレンドである。 「芸術至上主義」と銘は打ってはいるが、文芸がメインなのだ。文芸としては、ロマン主義からレアリスムへの移行時期とも言えるかもしれない。 しかし、逆説的にこの時期から1860年ぐらいまでは、フランスは普遍的な文芸作品を、一部を除いて生み出せなかった。つまりこの世代はその前後と比して不作の時期とも言えるの

  • 「ヤンキー文化」と「オタク文化」

    斎藤環氏著『文学の徴候』を(一年ぐらいかけて(汗))読了した。ほとんど読んではいたんですが読んでなかった章とかをふと思い出して読み通してみた、という感じです。 で、最後に金原ひとみ氏に触れているんですが、その内容はともかく、「ヤンキー文化」に言及していることに目が行きました。そのあたりのくだりを引用します。 ===== 現代の若者は、コミュニケーションを軸として、おおまかに「ひきこもり系」と「じぶん探し系」という、二つの部族として棲み分ける。「ひきこもり系」とは、コミュニケーションが不得手で対人関係が少なく、しかし「自己イメージの不確かさ」についての葛藤が少ないタイプの若者たちだ。彼らは自己の内的過程に没頭する傾向が強く、そのぶん創造性も高い。いわゆる「おたく」もここに含まれる。いまどき創作活動に関心を持つような若者は、そのほとんどが「ひきこもり系」だ。 一方、「じぶん探し系」の若者は、過

  • 「欲望する父」と「抑圧する父」

    最初に断っておきたい。この文章における「父」とは具体的な父親のことではなく、「父性」などのような、象徴的な父のことを指す。 この象徴的父は超自我でもある。象徴的ファルスΦが大文字の他者Aに及ぼす暗喩作用そのものと言ってもいいだろう。超自我は抑圧を役割としているので、これを象徴的父の一つの側面として捉え、「抑圧する父」と呼ぶことにしよう。象徴的父を「一」という固有性に凝縮したのが「父-の-名」である。 男性にとっての象徴的父は、この「抑圧する父」的な側面の印象が強くなるだろう。男性はエディプスコンプレックスを「父の名」による去勢で終焉するからだ。それは、男性の精神世界においては「トラウマ的な」イベントとなる。 しかし、女性は違う。 女性は原抑圧によってエディプスコンプレックス(エレクトラコンプレックス)が始まる。象徴界に参入してから父親を愛するようになる。そこで、象徴的父から与えられた、象徴

    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/06/24
    心理学・精神分析学の観点から象徴的父性について
  • 「消費者」という権力者

    以下は、私が「今の」オタクたちを現実あるいはネットにおいて、精神分析的な視点で観察し続けてきた経験を元に述べている。 オタクたちは、「権力」を連想させるシニフィアンに対しアレルギー的な拒否反応を示す。それは例えば「芸術」だったり「学問」だったり「知」であったり「純文学」であったりする。オカタく自身を抑圧しそうなシニフィアンに対し、面白いほど、被害妄想と言ってよいほど反応する。オタクたちと議論した者なら誰でも経験あるだろう。ただし、向こうから擦り寄ってくる相手にはだらしなく無防備になる。「芸術」や「学問」や「知」や「純文学」というシニフィアンを利用して「オタク」というシニフィアンを肯定あるいは擁護する言述には、その文章に自分たちを同一化させるほど喜んで受け入れる。例えば最近ヨーロッパなどでオタク文化の表現作品が広まりつつあるが、外国人に愛される作品と自分たちを同一化したような言動をする。まる

  • キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え - 萌え理論ブログ

    立体 Something Orange (…)このようにキャラとキャラの関係性をえがくだけで無限に新作を生み出していくこともできると思う。 しかし、それは、それだけでは「物語」ではない。物語未満の何かである。そういった複数の関係性を収斂し、ひとつの方向へすすめて行く指向性があってはじめて、そこに物語が生まれる。 つまり、「キャラ萌え」とは作品の一要素なのだから、それを作品から排除してしまった時点で、既に「トータル」で作品を見れなくなっているのではないか。 たとえ「ストーリーとか作者の考え方とか、それ以外のディティール」を完璧に把握できていたとしても、「キャラ萌え」という要素を「抑圧」していれば、それだけで作品を十全に把握できていないということもありえるはずだ。 ロジックの整合性から言うと、(自ら主張するように)キャラのみでは物語未満なのだから、そういう「木を見て森を見ず」(キャラだけ見て物

    キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え - 萌え理論ブログ
  • 萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ

    萌えとロングテール 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前回) ムイミムイミムイミミーちゃんよ!! - ロリコンファル メタ的な快楽的差異だけがあるのだ、無意味万歳って話ですよね…(^^; 作品に物語としての意味を見出すべきだという論説に「メタ的差異の無意味万歳」 という意見を出すのは…、う〜ん、噛み合ってないような……。 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 - 絵文録ことのは 世界全体=物語派←→世界の一部である人物=キャラ萌え 人物の全体=キャラ萌え←→人物の一部の特徴=属性萌え こう書いてみると極めて当たり前のことでしかないのだが、視野の広さ、見ている範囲の違いは歴然としているといえよう。 それがですね、萌えは無意味だとか視野が狭い、といった常識的な思考をひっくり返したのが、前のエントリなわけですよ。でも前回ちょっと硬めに書いたら、

    萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ
    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/06/23
    ・・・「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立
  • 図解・キャラ萌えの構造 - 萌え理論ブログ

    図解・キャラ萌えの構造 萌え理論Blog - 萌えにもロングテールの物語性がある(前回) 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前々回) この書き方だとサイレントマジョリティーはついてこれない気がする。 図で説明したほうがわかりやすい気がする。 (はてブのコメント) 賛否以前に、そもそも私の主張が十分に理解されていないようなので、改めて解説します。まず最初に図から見てみましょう。 作品の立体像 古典的な基準で優れた作品は、立体的な構造をしています。鑑賞者は何回も作品を鑑賞し、角度を変えて見ることで、作品の異なる面を発見します。人物造形、物語の筋、設定や世界観、文体やタッチなど様々です。さらに、業界人でないと分からない楽屋や舞台の裏面もあることでしょう。 さてここで、もちろん人物も一つの面です。が、人物だけ、さらに特定の人物だけを見ている場合に、文字通り

    図解・キャラ萌えの構造 - 萌え理論ブログ
  • 『ひぐらしのなく頃に』アニメ 「読む消費」から「スローリーディング」へ

    いろいろとばたばたしてます。 ひぐらしのなく頃に。 私これゲームはやってないんですよね。アニメだけしか見てませんが、アニメは面白かったと思います。 私の好きな不条理系というか、メタ的な匂いがしたのに実は謎解きミステリの感動想起手法を使っているという、妙な感覚を味わいました。 これを言葉でどう説明したらいいのかなあ、なんて思いつつ、まあどうでもいいかなんて思っていたら、東浩紀氏が鋭い批評を書いていました。 >閉域(繰り返される日常=悪夢)からの脱出方法が、メタフィクション的にメタレベルに向かうものではなくて、なんというか、ゲーム世界からプレイヤー世界に移行するような感じへと変わっている。 おお、とうなりましたねえ。 まさにこんな感じです。というと手抜きのように思われそうなので、私の言葉で言い直してみます。 劇場を考えてみると、皆さんが持っている劇場のイメージというのは、舞台に額縁がありますよ