福島原子力発電所の事故以来、御用学者という言葉が氾濫している。もともとは、御用学者は江戸時代に幕府に雇われて歴史などの研究をしていた人を指していた。私が子どもの頃のチャンバラ映画では、十手を持った役人が「御用だ、御用だ、お上の御用だ」と走り回っていた。いまでも京都の町には、「宮内庁御用達」という店がたくさんある。要はお上の下僕である。一方、学者という言葉には、迎合せず真理を探究するというニュアンスがある。この御用と学者という正反対のニュアンスをもつ2語を結合させたところが絶妙の皮肉で面白い。 1960年に水俣病の有機水銀原因説をはぐらかすために、日本化学工業協会が日本医学会会長を委員長として多くの東大教授などを集めて水俣病研究懇談会を組織した。これによって水俣病の原因があいまいにされたために、単に加害企業の責任逃れだけではなく、水銀の放出が続き被害は拡大したのである。これが御用学者という言