大阪選挙区で日本共産党の議席を取り戻すことができました。実に15年ぶりです。 大阪の党は、僕が生まれる前の1973年に沓脱タケ子さんが、88年には吉井英勝さんが定数1の参院補選で勝利しました。国民のくらしと営業を守って、ひたむきにたたかってきた歴史のある党参院議員に加えてもらい、感無量です。開票日も翌日もほとんど眠れませんでした。 選挙戦で、僕は「自民党と対決」「維新の会に痛打を」と、消費税増税中止、原発即時ゼロ、9条改憲阻止、若者をすりつぶすブラック企業根絶など、あらゆる問題で抜本的対案を示す日本共産党の姿を目いっぱい訴えました。当選が決まってからは、国民のみなさんの期待と願いを前進させなければと、時がたつにつれ、じわりじわりと責任の重さを痛感しています。 高校でラグビーをしていたことから、大阪府議候補(2003、07、11年)での売り出しは「熱血ラガーマン」とか「突っ走れ、コータロー」