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ブックマーク / indietokyo.com (8)

  • [428]トミー・リー・ジョーンズ監督作『ホームズマン』におけるマルコ・ベルトラミとバック・サンダースの音楽 | IndieTokyo

    2016年11月に開催予定の「第8回京都ヒストリカ国際映画祭」にて、トミー・リー・ジョーンズが監督と主演を務める『ホームズマン』が日初公開される。『ホームズマン』は、西部開拓時代が舞台となっている。登場人物の1人であるメアリーは、ネブラスカの過酷な生活で精神を病んでしまった3人の主婦を、教会の女性のもとに送り届けようとする。しかし、女性のみの旅には不安があり、共に付き添ってくれる男性が必要であった。そこで、縛り首になりかけていたジョージ・ブリッグスを助け、その代わりにアイオワへの旅に同行してもらう。 その音楽を担当したのは、マルコ・ベルトラミと、バック・サンダースであった。彼らが作り上げたのは、伝統的なオーケストラの音楽ではなかった。映画の絶望的な雰囲気を捉えるために、この映画のためだけに新たな音を作り上げていったのである。監督のトミー・リー・ジョーンズは、映画へのスコアリングをとてもシ

    [428]トミー・リー・ジョーンズ監督作『ホームズマン』におけるマルコ・ベルトラミとバック・サンダースの音楽 | IndieTokyo
    hystericgrammar
    hystericgrammar 2016/10/17
    トミー・リー・ジョーンズ監督作『ホームズマン』におけるマルコ・ベルトラミとバック・サンダースの音楽
  • [404]F・コッポラによる”Live Cinema”のワークショップ | IndieTokyo

    先日、フランシス・フォード・コッポラが母校であるカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)にて二ヶ月間にわたり”Live Cinema Project”のワークショップを行った。 この企画は”Distant Vision”というタイトルがつけられており、イタリア系移民の一家を3世代に渡り描いた叙事詩的な物語であるという。「これは、テレビが発明され発展を続け、そしてその存在がインターネットにとって変わられるという時代を生きた家族の物語です。そこで私はこの物語の演出を、テレビの生中継として行いたいと思いました」とコッポラは語っている。既に昨年、学生向けワークショップとして50分程度のものを制作している。*1 コッポラはこの企画を考えたきっかけについて、数年前に3Dが”未来の映画”としてもてはやされたことを挙げている。「その頃『アバター』が公開され、みんな3Dこそが映画の未来だというように語っ

    [404]F・コッポラによる”Live Cinema”のワークショップ | IndieTokyo
  • [405]世界映画界で絶賛された『彷徨える河』 | IndieTokyo

    10月にいよいよ日公開される『彷徨える河』(2015)は、幾つかの観点からきわめて注目すべき作品である。まず、深遠なアマゾンのジャングルを彷徨い、その大河を遡っていく白人探検家の姿をスペクタクルかつ幻想的な展開で描いた作品として、映画ファンにとってはフランシス・コッポラ『地獄の黙示録』やヴェルナー・ヘルツォーク『フィッツカラルド』、そして『アギーレ/神の怒り』を容易に想起させるものであることが一つ。そしてもう一つは、滅び行く先住民族のシャーマンを主人公とし、彼らの文化や魂を彼ら自身の側から描こうと試みた作品であることだ。 これに比べれば、先述した映画史上名高い作品たちは、白人探検家の眼差しを通じ彼らの心の中に巣くう「闇の奥」と出会うこと、つまり征服者である白人の罪悪感を含む心の最深部に遡行していくことこそが重要なテーマであり、ジャングルはあくまでその道具立てや鏡でしかなかった。『彷徨える

    [405]世界映画界で絶賛された『彷徨える河』 | IndieTokyo
  • 『ハンナだけど、生きていく!』とは?“マンブルコア”とは何か? | IndieTokyo

    『ハンナだけど、生きていく!』とは? “マンブルコア”とは何か? 山崎まどか×樋口泰人 IndieTokyo第3回Home Party 今年9月、IndieTokyoは第1回配給作品として、1アメリカ映画を公開する。ジョー・スワンバーグ監督『ハンナだけど、生きていく!』。“マンブルコア”と呼ばれる今世紀アメリカ映画界を代表するムーブメントの、その中でも代表作のひとつと目される作品だ。では、『ハンナ』という映画の魅力とは何なのか、そして、“マンブルコア”はアメリカ映画界にどのような影響を与えたのか。「爆音映画祭」を主宰する映画評論家の樋口泰人と、コラムニストの山崎まどかに話を伺った。 また、『ハンナだけど、生きていく!』の監督ジョー・スワンバーグが作の制作状況や見所について詳細に語ったインタビューがWebDICEに掲載されている。そちらも併せて読んでいただきたい。 “マンブルコア”のは

    『ハンナだけど、生きていく!』とは?“マンブルコア”とは何か? | IndieTokyo
  • [249] 「ウェス・アンダーソン映画における本」ビデオ公開 | IndieTokyo

    ウェス・アンダーソン映画における文学の影響に注目した記事を紹介しよう。 ウェス・アンダーソンが描く世界にはがたくさん登場する。ウェスの映画のなかで、完全に一つの作品を原作としている映画はないが、ウェスは「」そのものを映画に登場させたり、映画のストーリーをある文学を元にしたりという形で、その文学好きを表している。 ウェスの初めの2作品、『アンソニーのハッピー・モーテル』と『天才マックスの世界』で、すでに文学の影響がちらり垣間見得る。『天才マックスの世界』はJ.D.サリンジャーの有名な『ライ麦畑でつかまえて』にインスパイアされたといわれる。彼が大成した3作目、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ(’01)』は、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』というタイトルのの中のお話という入れ子構造になっている。この構造は『グランド・ブダペスト・ホテル(’13)』でも見られる。『ムーンライズ・キングダム(’1

    [249] 「ウェス・アンダーソン映画における本」ビデオ公開 | IndieTokyo
  • [242]ジャン・グリュオー、もう一人のヌーヴェルヴァーグ | IndieTokyo

    去る6月7日、フランスの映画家ジャン・グリュオーが90歳にしてパリで亡くなった。ヌーヴェルヴァーグの「灯台守」(*1)などとフランス各紙で形容される故人はどんな人物であったのだろうか。 グリュオーは1924年8月3日にパリ郊外フォントネー=スー=ボワで生まれる。若い頃は神学校でカトリシズムを学び、後に共産主義に傾倒するが、彼の情熱が映画から離れることは生涯なかった(*2)。50年代半ばには、足繁く通ったカルチェ・ラタンの映画館やシネ・クラブ、シネマテークで出会った将来のヌーヴェルヴァーグの担い手たちと自然と親交を深めた。しかし当時のグリュオーはマルセル・エイメやジャック・オーディベルティの舞台に出演するなどして、もっぱら演劇に熱を燃やしていた。そんな彼にジャック・リヴェットが『パリはわれらのもの』の共同制作話を持ち掛け、同時期にフランソワ・トリュフォーがロベルト・ロッセリーニの助監督の

    [242]ジャン・グリュオー、もう一人のヌーヴェルヴァーグ | IndieTokyo
  • [232] オリヴェイラの家、死後の告白 | IndieTokyo

    今年の4月に死去したポルトガルを代表する映画作家、マノエル・デ・オリヴェイラが自分の死後、発表するよう言付けていた作品『Visita ou Memória e Confissões』(『訪問、もしくは記憶、そして告白』)が今回のカンヌ映画祭で上映された。*(1) ずいぶん前から、オリヴェイラのファンやシネフィルのあいだで、その映画の存在がまことしやかにささやかれていたが、ついにその全貌が明らかとなった。映画が作られたのは今から30年前、1982年に撮られたもので、自分の家とそれに纏わる家族の歴史、そして自らの人生を振り返る、自伝的ドキュメンタリーのようだ。オリヴェイラがこうした作品を撮った背景には、映画を撮るために度重なった借金を返済するため、1942年に建てられ、40年ものあいだ過ごした我が家を、泣く泣く売却することになったことがきっかけとなっている。*(2) 「家というものは様々な部屋

    [232] オリヴェイラの家、死後の告白 | IndieTokyo
  • [218]イラン映画界のパラドックス

    ここ数年の映画界に於いて“イラン”という言葉を頻繁に見かける。実際、イランの映画作家たちの突出した世界的飛躍にお気づきだろうか。アカデミー賞、セザール賞、ゴールデン・グローブ賞で外国語映画賞受賞、ベルリン国際映画祭では最高賞の金熊賞に輝くなど世界にイラン映画の質の高さを知らしめたアスガー・ファルハディ監督作『別離』(2011)を筆頭に、今年2月に開催されたベルリン国際映画祭金熊賞を監督不在のまま(反政府的活動を支持したとして現在出国できず)受賞した『Taxi(原題)』のジャファル・パナヒ。さらには以前何度かWorld News[132][212]でも紹介したIndie Tokyo猛プッシュの新鋭女性監督で、長編処女作『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』が好評のアナ・リリ・アミリプールもイラン系アメリカ人だ。この作品は、あくまで架空のイランが舞台のアメリカ映画であって、イラン映画ではない

    [218]イラン映画界のパラドックス
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