【三井本館】旧三井財閥の本拠、「東洋一の大金庫」と旧社長室を特別見学 5/25(土), 5/26(日) ガイド:三井住友信託銀行日本橋営業部 4,000円(要申込)
日本の各地には、伝統的なスタイルの家屋が建ち並ぶ町並みが存在する。高度経済成長期から現代にかけての都市開発や建て替えによってその数はだいぶ減ったものの、それでも今もなお昔ながらの風情を残す地域は少なくない。 私は全国の古いモノ巡りをライフワークとしており、これまでそれなりの数の町並みを見てきた。今回はそんな私の偏見と独断による、すごいと思った町並みを紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 奇跡の寺内町「奈良
3連休初日。美術館はどこも閉まっているし、閉じこもってばかりでも陰鬱なので、昨日予約を取って、出かけることにした。横浜から東海道線で小田原へ。ぶらぶら歩いてこちら 小田原の老舗、だるま料理店へ。外まで並んでいたけど、広いので比較的スムーズに案内された。 天丼と刺身と地魚の寿司。食べ過ぎである。寿司は2人で分けましたけどね。美味しかったです。 ういろうを買いつつ、小田原城へ。小田原評定の人形がいたのだが 真ん中氏直、左が氏政で右が氏照。端の2人は重臣としか書いてないが、誰ですかね?松田憲秀と誰かだろうけど。 天守閣から街を眺めてから、駅へ。熱海で乗り換えて伊東まで。無料の送迎バスに乗せてもらい、こちらにやってきました はい、川奈ホテルである。ゴルフ場から始まって、ホテルは1936年開業。建物はその当時のもの。クラシックホテルの会の9軒の中ではいちばん新しいのかな。建物はさすがに重厚感あります
旅をしていると、「47都道府県すべてに行く」という目標はわりとすぐに達成できる。でも「日本の全市町村に行く」となると? あまりの高いハードルに、目指す人さえあまりいないチャレンジである。 しかし昨年の2018年1月、「平日は会社勤めをしながら、この一年だけで全市町村を巡りきる」と宣言した方がいた。高いハードルの、そのさらに上を越える果てしない挑戦である。 あれから一年が経った。その方は、一体どんな2018年を過ごしたのだろうか。お話をうかがった。
近年、日本で宗教の観光利用が盛んになっている。パワースポットやスピリチュアルという表現をはじめ、「政教連携」といった言葉まで使われるようになっている。宗教と観光が一体となって地域を動員するようになった背景を、 宗教学・観光社会学を専門とする北海道大学准教授・岡本亮輔氏が読み解く。 宗教の観光資源化が目立ってきた 日本政府観光局によると、2017年の訪日外国人観光客数が2869万人となり、過去最大となった。前年比で19.3パーセントという驚異的な増加である。そして、こうした観光客を呼び寄せるべく、各地で様々な試みがなされている。 中でも筆者が注目したいのは、宗教の観光利用である。 たとえば、日本には17の世界文化遺産があるが、そのうち10は宗教関連の物件と言ってさしつかえない。 ・法隆寺地域の仏教建造物(奈良県、1993年) ・古都京都の文化財(京都府・滋賀県、1994年) ・厳島神社(広島
唐突な話で申し訳ないが、年のせいか、すっかり酒が弱くなった。20代や30代の頃は、朝までガンガンに飲んでも翌日はシャキッと目覚めてバリバリ仕事をしていたが、アラフィフとなった今では、焼酎を2、3杯飲んだだけで酔ってしまう。 で、そのたびに思う。 家に帰るのが面倒くさい、と。 タクシーでサーッと帰るにしても、サウナやカプセルホテルにしても結構なお金がかかる。お店で酔っ払ったまま、その場で寝たいのだ。 一見「うまい居酒屋さん」だが ある日、後輩から飲みに誘われて、JR東海道本線共和駅近くにある「Imura(イムラ)」という居酒屋さんへ行った。 名古屋駅から快速に乗れば2駅、16分ほどで着くが、普段は名古屋駅や栄界隈で飲んでいるので、交通の便は良いとは言えない。しかし、後輩があまりにもすすめるので、正直、仕方がないと思ってお店へと向かったのだった。 「Imura」は、井村稔さんと娘の真菜さんが切
新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、自粛が長期化する皆さんの「#StayHome」生活のなかで心配される運動不足やストレスを、いわきの炭砿遺産の魅力を伝えるコンテンツをを提供することで少しでも和らげていただきたいと、「おうちで炭砿」と題したシリーズを展開しました。 今回お世話になっている福島工業高等専門学校の布施研究室の制作・提供による炭砿遺産の「VRツアー」の映像を公開します! 布施研究室は、20年前から全天球360度VR映像の制作などを通した社会教育環境の充実を図る研究を行っており、そのノウハウを、地元いわきの観光や地域の活性化のために投入しています。そうした研究から生まれた大変貴重な映像を、どうぞごゆっくりお楽しみいただき、いわきの魅力を掘り下げてみてください。
東京から東武特急スペーシアで片道2時間。首都圏近郊の大温泉地として名を馳せる栃木県日光市(旧塩谷郡藤原町)にある「鬼怒川温泉」。かつて昭和の時代にレジャーの王道だったベタな温泉観光もとっくに衰退し、全国各地の温泉地が寂れていく中で、東京近郊で電車で行ける範囲で現在も観光客が安定しているような場所はここ鬼怒川か、箱根や熱海くらいなのではないか。 そう言えば我々が鬼怒川温泉に来て街並みをまともに見る機会は、これまで無かった気がする。有名過ぎるし関東近県なのですぐ行ける場所だと高をくくっていたのもあったが、実際に来てみると、北関東屈指の温泉街という勝手な想像で描いた風情とは少し違っていたものだった。ベタな昭和の温泉地には付き物の土産物屋は殆ど無いし、射的屋なんかも数える程しかない。 鬼怒川温泉の温泉街自体も南北に長いので、温泉街のメインが定まらずはっきりしないのもあるが、こうも土産物屋が閉まった
2月末から3月頭にかけて北京に行ってきました。これから数回に分けて北京旅行について書いていくのでヨロシクお願いします。第一回目は、有名な「鳥の巣」があるオリンピック公園です。 2008年に北京オリンピックが開催されたときにメイン会場となったのがこのオリンピック公園です。今は外国人をはじめたくさんの観光客が訪れる観光名所となっており、ぼくもその一員としてしっかり楽しんできました! ▲はしゃぐ日本人 北京というか中国は、だいたいの事が漢字で書いてあるので、書いてある事が何となくの範囲では理解できます。例えばオリンピック公園に行くためには、地下鉄10号線の北土城という駅で地下鉄8号線に乗り換え、「奥林匹克公園」という駅で降ります。これはつまり、「奥(オゥ)林(リン)匹(ピッ)克(クゥ!)公園」という意味であり、やや無理がありますが日本人フレンドリーな駅名であることが分かります。 奥林匹克公園駅を
長崎の沖合いの島、端島。周囲1200mの小さな島。1810年に石炭が発見され、明治に入ってから本格的に開抗されたこの島は、良質の石炭を産する島として海底炭鉱の開発がすすめられ、三菱石炭鉱業の主力炭鉱として栄えていた。小さな島は埋め立てによって次第に拡張され、本来の島は現在の1/3ほどの面積だったという。それでも狭い島に大勢の人が働くために、鉄筋コンクリートの高層アパートが林立し、最盛期には5000人以上の人々が生活していた。 細長い狭い島に高層建築がひしめく異様な姿が、三菱造船長崎造船所で建造された戦艦『土佐』に似ていることから、軍艦島と呼ばれた端島。その島の炭鉱は1974年1月15日に閉山され、4月20日には無人島になった。多くの建物は取り壊されることもなく、往時の姿をとどめたまま次第に朽ち果てていく。いつしか、軍艦島は“廃墟の島”として好事家に知られる島になった。 NHKのドラマのロケ
2011年12月01日00:00 by hineri その記事は既に無いんよ。 カテゴリ雑記 今このページを見てるって事は、君は旧ひろぶろの記事を閲覧しようとしてここへ来たんだね。 でもその記事はもう無いんだ。 詳しくはこのブログの「このサイトについて」の所に書いてあるけど、 今“この”サイトを管理している「僕」は初代管理人じゃない。 で、君がどんな記事を見ようとしたのかわからないけど、 その記事は管理人が代替わりする時に消えちゃったってわけ。 正直言って「僕」にもよく分からないんだよ。 どこまでが運命で どこからが選んだ人生なのか まさか「僕」が「ひろぶろ」の管理人になるとはね…。 フフフッ でもまあ、今は「僕」が、面白おかしくもちょっと怖い動画とかをさ、 毎日新しく頑張って更新してるから、是非このブログのTOPへ行って、 最新のオモシロ動画、ネタ動画を閲覧してみてちょ。 だって君は本当
産業遺産(さんぎょういさん)とは、ある時代においてその地域に根付いていた産業の姿を伝える遺物、遺構、遺跡である。一方で歴史的背景があり、かつ現在も稼働している事例もあり、これは稼働遺産として区分される。日本の近代化遺産に顕著なように、産業遺産は産業革命以降の鉱工業の遺産を指す場合にしばしば用いられるが、「産業」には農林水産業や商業なども含まれるため、何をもって産業遺産とするかについては、専門家の中でも定義が一様ではない。 国際産業遺産保存委員会 (TICCIH) は、2003年に採択したニジニータギル憲章において「歴史的・技術的・社会的・建築学的、あるいは科学的価値のある産業文化の遺物からなる」と定義している[1]。 歴史[編集] 「産業遺産」は英語の Industrial Heritage を翻訳したものである。イギリスで産業考古学が成立した後、研究対象の明確化のために定義付けられた語で
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