【1月のヤバい女の子/王子様とヤバい女の子】 ●猿婿入り いつか王子様が攫われた私を助けに来てくれる。ちょうどこんな顔をした王子様が。 ――――― 《猿婿入り》 老人は途方に暮れていた。畑へ牛蒡堀りに来たが、朝からひとつも掘れていなかった。痛む腰をさすり、広大な土地を前に困り果てていた。そこへ一匹の猿が現れ、自分が掘ってやろうかと名乗り出た。 「そのかわり、お前の娘を嫁に欲しい」 猿は労働の対価を提示して、軽々と牛蒡を掘ってみせ、三日後に嫁を迎えに来ると言って立ち去った。 老人は軽はずみな口約束をしてしまったことを後悔し、とぼとぼと家に帰った。昼間のできごとを娘に話すが、長女と次女はとんでもないと断ってしまう。狼狽する父の様子に、末娘だけが「親孝行のためなら」と首を縦に振った。彼女は結婚の話を受ける代わりに、嫁入り道具を用意してくれるよう父親に頼んだ。石臼、杵、米である。 約束の日、猿が迎
--「リベラシオン」2018年1月14日掲載-- Catherine Deneuve : «Rien dans le texte ne prétend que le harcèlement a du bon, sans quoi je ne l'aurais pas signé» あの文章は、どこにおいても、セクシャル・ハラスメントを正しいとはまったく述べてはおらず、そうでなければ私は署名しなかったでしょう。 「性的自由」を守るために「しつこく言い寄る自由」を訴える声明文に署名をしてから1週間後、カトリーヌ・ドヌーヴは、自ら署名したことを認めながらも、他に署名した何人かによる言動とは距離を置いていることを明かす。そしてこの文章によってショックを受けたかもしれない性的暴行の被害者達に対してお詫びの気持ちを述べている。 カトリーヌ・ドヌーヴは、1月12日(金)に私たちが電話で行ったインタビュー
星野源『Family Song』が発売になった。 発売前のMVをふと観てなにげなく聴いたとき、ふわー!と、何とも言えぬ多幸感に包まれて自分でもおどろいた。 ちょうどお盆だった。 毎年、お盆と年末年始はなんとなく家族について考える時期だ。 我が家では、物心ついたときから父も母も親戚とは縁がなかったので、わたしには会える親戚がいない。子供の頃から自宅は賃貸で、現在はわたしの借りている部屋に母も一緒に住んでいるため、実家というのも存在しない。 まあこれはこれで気が楽で、イヤだと思うことは特になかった。それでも、お盆や年末年始に帰省するひとたちを見て、帰る場所があっていいなあ、会いに行く人がいていいなあ、と思うことはある。 「家族」について思うとき、いつも自分に足りないなにかを感じていた。 この『Family Song』も、題名から家族の歌だとわかっていたので、共感はしないだろうと多少ナナメに聴い
震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ
「はだしのゲン」閲覧制限に関する図書館関係団体等の動き 漫画「はだしのゲン」について,松江市教育委員会が2012年12月に松江市内の市立小中学校に対して閉架措置及び貸出閲覧制限を求めていたことが,2013年8月に報じられた。この件は,その後新聞,テレビ等のマスメディアも大きく取り上げ,表現の自由,知る権利の保障,表現が子どもの教育に与える影響,歴史認識,図書館の在るべき姿や役割などをめぐって,各所で様々な議論を喚起するに至った。また作品自体を改めて読み直す動きも起こり,増刷が行われていることも報じられている。松江市教育委員会は,8月26日に臨時会議を開き,教育委員会事務局の手続きの不備を理由に閉架措置要請の撤回を決定した。それを受け中国新聞社が行ったアンケートでは,市内の9割の学校図書館で既に開架したか,あるいは近く開架すると回答したと報じられている。この一連の動きの中で,図書館関係団体が
まずはカレントアウェアネスの話から NDLこと国立国会図書館の刊行物に『カレントアウェアネス』というものがあります.図書館や図書館情報学などに関する記事を掲載する季刊誌で,1979年に創刊,少し前に30周年を迎えました.カレントアウェアネスの各記事には「CA****」という通番が振られており,それによると,これまでに1767本の記事が掲載されたことが分かります. このカレントアウェアネス,現在はNDL関西館の図書館協力課にある調査情報係が編集・発行をおこなっていますが,1979年の創刊当初は総務部企画教養課(内の図書館情報室)→1984年からは参考書誌部一般参考課(内の図書館学資料室)→1986年からは図書館協力部図書館研究所と,その担当部署は移り変わってきています. 刊行頻度も当初月刊だったものが,2002年に関西館に移ってからは季刊になっています. また,当初カレントアウェアネスはND
Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese 大友良英 2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から 大友です。よろしくお願いします。本日の講義のタイトルは、「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」です。僕はこの10年ぐらい、芸大で年1回くらい講義をやっていて、音とか、ノイズとか、アンサンブルってなんだろうとか、そういう話をしてきたんです。なので、最初にこのオファーをもらった段階では、今日のようなことは想定外だったんですけれども、3月11日の震災があり、僕は福島で育ったこともあって、今、福島と東京を行き来して、福島に関する新しいプロジェクトを立ち上げようとしていて、今日は、その話をしようと思っています。といっても、政治の話でもなく、原発をどうやれば収束させられるかという科学の話で
地震、その時Googleは 「1秒でも惜しい」と怒涛の開発、海外にもバトンつないで ITmedia News 4月5日(火)10時4分配信 3月11日金曜日。東日本大震災の直後から、六本木ヒルズ(東京都港区)26階にあるGoogle日本法人のオフィスの一角に、技術者など十数人のスタッフが集まっていた。小さなこたつ机を囲み、ひざを突き合わせる。「われわれに何ができるのか」――真剣な議論と開発の日々が始まっていた。 【拡大画像や他の画像】 ●「いかに早くリリースするか」 オフィスを小走りで移動、リポDの山も こたつ机を囲んだメンバーの1人が牧田信弘プロダクトマネージャーだ。普段はモバイル向けGoogleマップを担当しているが、地震後はすぐに米国オフィスと連絡を取った同僚とともに、人の消息情報を登録・検索できる「Person Finder」の準備に取り掛かった。 Person Finde
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。
うちが子育てを始めてから六年余り。上の子は春から小学生。 最近はすっかり慣れてきて(別様に言えば感受性が鈍化してきて)育児のなんたるかについてあまり思考しなくなったが、たまたま今、周囲が出産ラッシュで(私の世代の関係上か、第二子というケースが多い)身近な人たちが赤子を抱えて頑張っているのをみて、こちらも育児についてつらつらと振り返ったりしている。 最初の子どもが生まれた直後に、諸々手探り状態の中で、妻が言い出して私も同意したのが、「この子は自分のものではない、しょせん他人である」という認識を基本線としてやっていこうということ。 というのも、子どもを「自分のもの」と考える(考えたがる)ところから、親子の関係が色々とおかしくなるのかなと、妻も私も考えたから。まずはそうした考え方を遠ざけておこうと。 つまり、この赤ちゃんは「他人」であると。とくに新生児とか、半日放っておくと死んじゃうわけね。でも
アニメーション監督の今敏さんが亡くなった。いろいろとニュースになっているので、詳しくはそちらを見て欲しい。 ファンだとかファンじゃないとかじゃなく、私は氏が書かれた最後の言葉を読み、涙が溢れそうになった。私と同じ年齢での末期ガン宣告。それは想像を絶する苦しみであっただろう。しかしながら、末期ガン宣告を受け、その後、氏がなにをやって、なにを考えたのか?そんな言葉がサイトに発表されていた。たぶん、逝去が発表されてから公式サイトで公開してくれ、と近親者などに伝えておいたものなのだろう。氏が世間に残した遺言といってもいい。 現在、氏のサイトはアクセス過多によりなかなか読めないんだけど(XOOPS Cubeがんばれ!)、先ほど運良く接続できたので、それを無断でこちらにも転載しておきます。問題がある場合には削除します。 自分の死に方なども考えさせられた。そして、本当に涙が出た。俺もがんばろう。氏の分ま
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く