JR東日本東京支社は13日、渋谷駅の改札やみどりの窓口などで働く駅員12人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。重症者はいない。感染判明を受け、駅で乗客が触れる可能性のある場所は消毒を済ませた。 東京支社によると、12人は20~50代の男女で、7月27日~8月12日に感染が判明した。感染経路は不明という。
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www.asahi.com note.com 広島大学の伊藤隆太氏の発言が差別的であるとして問題視されており、それにあわせて、彼の研究分野である「進化政治学」も批判の対象となっている。 わたしの目から見ても伊藤氏の発言のうちのいくつかは差別的であり、解雇まで求めることが妥当であるかどうかはともかくとして、批判は免れないものだと思う*1。 しかし、Twitterなどでは、伊藤氏の差別発言が問題であるからと言って、彼の研究している学問分野までもが安直にレッテルを貼られて否定される、という風潮が散見される。それも、ほかの分野の学者たちがレッテル貼りや否定の先鋒に立っているようで、かなり嘆かわしい事態だ。 たとえば、シノドスに掲載されたオピニオン記事と、それに対する反応のひとつが、下記のようなものである。 synodos.jp これはあまりにも粗雑な論の立て方。遺伝子を政治的な意思決定と結ぶなど跳
国内で初めて新型コロナウイルス感染者が2万人確認された13日、菅義偉首相は、官邸で記者団の囲み取材に応じた。菅氏はこれまでの取り組みへの総括を求められたのに対し、「私自身、自己評価することは僭越だと思う」と評価を避けた。 記者は「感染拡大を招いたこれまでの総括や反省がなければ、国民に政治の声が届かない。これまでの取り組みを結果をどのように自己評価されていますか」と質問した。 これに対し、菅氏は「自己評価することは僭越だ」とした上で、「やはりワクチンだということで、人流の抑制と同時に、そうしたことをしっかり全力で取り組んできています」とこれまで進めてきたワクチン接種の取り組みを強調。「国民の皆さんに、大変ご不満があろうかと思いますけども、ワクチンでも10月の初旬までには、日本国民全員に2回、8割の希望する方に打てるような態勢も作っている。とにかく全力で取り組んできたい」と述べた。
日本中がアスリートの活躍に歓喜した東京オリンピック。その閉会式前日の7日深夜、大会組織委員会(以下組織委)から1通のメールがNPOの代表に届いた。「捨てる弁当は子どもに配って」と訴えていたNPO法人「みなと子ども食堂」の要望に対する回答メールだ。 (関連記事:「捨てる弁当は子どもに配って」弁当4000食分廃棄問題でNPOが組織委員会に異例の要望) 閉会式前夜に届いた「単なる先延ばし」メール 「閉会式前日の深夜に回答、しかも単なる先延ばしです」 メールの内容に福崎聖子理事長はこう落胆する。回答にはこのような文章が書かれていた 「7月28日付の食品及び消毒液等のグッズの廃棄に係るご要望書は、弊会にて拝受してございます。ご要望受領以降、弊会では内部で検討を重ねており、近々、担当よりご回答を差し上げられる見込みでございます。何卒ご了承いただきたく存じます」 8日の組織委の会見では、「13万食が廃棄
15歳のとき、ベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズムの説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元の図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子の世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitterや消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。 何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州の田舎で育った孤独なティーンエイジャーにとって、フェミニストの冒険譚を読むのは
内 容 苛烈な暴力を許容する社会はいかにして生まれたのか ——。議会制民主主義を謳うワイマル共和国。だが、街頭は世論を左右する新たな公共圏として、ナチスや共産党のプロパガンダの場となり、酒場を拠点とした「暴力のサブカルチャー」が形成されていく。実像を初めて描きだした力作。 【ALL REVIEWS】「あとがき」(抜粋) 目 次 序 章 「政治的暴力の社会史」をめざして 1 問題の所在 2 研究の現状 3 本書の視角と構成 第Ⅰ部 ワイマル共和国における政治的街頭闘争 第1章 ベルリンにおける街頭政治とナチスのプロパガンダ活動 1 ワイマル期ベルリンの政治状況 2 街頭をめぐる政治/街頭における政治 3 プロパガンダ活動の諸相 4 小 括 第2章 相対的安定期のベルリンにおける政治的暴力 1 ベルリンのナチズム運動 2 ベルリンをめぐる「闘い」 3 党派対立型暴力の始まり 4 小 括 第3章
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