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2008年3月16日のブックマーク (5件)

  • 20歳にならないと、肉じゃがは作れない?! (2007年10月28日) - エキサイトニュース

    20歳以上の年齢であることを確認できない場合には酒類を販売いたしません」 数年前から増えたこのポスター。そのきっかけは、未成年者飲酒禁止法が平成13年に改正されたこと。お酒を販売または供与する人は、「年齢の確認その他の必要な措置を講じるものとする」という旨の規定が追加されたのだ。 これにより、昔はよくあった「小学生が近所の酒屋さんにおつかい」なんて光景は、もう見ることがなくなった。個人的にはなんだか寂しい気がするが、時代の変化を考えると、仕方がないのだろう。 ところでこのポスター、お酒コーナーだけでなく、料理酒やみりんなどの調味料コーナーに貼ってあることも多い。 確かに料理酒やみりんもアルコール分はあるけど……。やっぱり、当に買ってはいけないの? そこで全国のスーパーや量販店が加盟している日チェーン協会にお話を聞いてみると、 「ハイ、20歳未満の方にはみりんや料理酒をお売りすることはで

    20歳にならないと、肉じゃがは作れない?! (2007年10月28日) - エキサイトニュース
    ikazoike
    ikazoike 2008/03/16
    調理実習とかどうするんだろう/おしえて!レーズンは買えるの!?
  • 100年の孤独 - BigBang

    その人がいなければ、おそらく今の自分はなかったし、今の自分のありようとは大きく異なっていただろう。 苛烈という言葉が、これほど似合う人もいなかった。妥協だとか、弱気だとか、まず無縁な人であったし、過去を後悔するということもなかった。実際この人の元を離れて社会に出たとき、世の人たちはこんなにも気が弱いものなのかと驚いた。それほどに、強い心の人の元に自分はいたのかと知り、驚いたものだ。社会は厳しいなどというが、ある意味ではこの人の世界のほうが、遥かに過酷で厳しく、そして混乱もしていた。 物心ついてからは、この人に対して、「社会の理(ことわり)」を説くのは僕の役割になっていた。なぜ遥かに年少の自分が、そして世の経験の少ない自分が逆の立場にならなければならないのかと、不思議だったものだ。 もしも世界が焼け野になることと、理不尽を受容することとの2つを選択せざるを得ないとすれば、迷わず彼女は、世が全

    100年の孤独 - BigBang
  • 論文を読むのにお金がかかるということ - drillhanz

    学会に出す原稿を書くためにいろいろと論文を探していたのだけど、専用の検索サイトで見つかる論文って、ほとんどが読むのにお金がかかるんですね。俺が見たところは、500円から1000円くらいでした。(その差はどこでつくのだろう)大学というのは、知識を囲い込むことでその権威を保ってきたという側面が、非常に強いと思うのです。素人はわからないことがあったら大学の先生に尋ねる。だから先生は偉い。そういうカルチャーです。しかしですね、インターネッツ全盛のこのご時世に、いつまでやってんですかと。水が貴重な時代だったら、貯めん込んだ雨水にみんな群がるでしょう。でも川が流れるようになったら、そんなものを有り難がるのはボウフラくらいなものですよ。いや、ボウフラは悪くないですけど。社会貢献がしたいなら、とりあえず論文はググれるようにするべきだと思います。

    ikazoike
    ikazoike 2008/03/16
    査読してるポスドクのことも考えてあげてください…
  • T#島国大和のド畜生 ソコソコの社会人一年生向けマニュアル

    自分が社会人一年生だったのは、はるか昔だけど、当に使えない奴でした。 勉強はソコソコできたんですが、その延長線上で仕事もできるかと言えばさにあらずだった訳です。 なので、社会人一年生がこの辺意識をしておくと気楽だよ。というマニュアルを考えてみました。 一応目次。 ■敬語と挨拶ぐらいはしっかりしとこうよ。 ■放置されてても普通だよ。 ■どうせ雑用ぐらいしかすること無いよ。 ■どのタイミングから、重要な仕事に手を出せるか。 ■ホウレンソウだけしっかりしておけばあとは何とか。 ■仕事には優先順位がありますよ。 ■まとめ ■敬語と挨拶ぐらいはしっかりしとこうよ。 学生時代には敬語も挨拶もいい加減だと思うので。とりあえずかwebか両親にでも確認して、敬語を間違ってないか注意。 電話番をしていて、自分の会社の人に「サン」づけしてしまったりとか、学生はやりかねない。 「しばらくお待ちください」で、該

    ikazoike
    ikazoike 2008/03/16
  • はてなとの距離 - jkondoの日記

    HUG Kyotoに参加してみてもう一つ感じたのは、多くの人にとってはてなは「たまに見る一つのウェブサイトの一つでしかない」という事だ。当たり前だが、朝から晩まではてなの中にいて生活をしているような人は一人もいない。みんなそれぞれの距離を保ちながらはてなに接している。ブログを書いているといってもはてなダイアリーではないブログツールでブログを書いている方も結構いらっしゃったし、自分が使っているのははてなグループだけだ(あるいはアンテナだけ、ブックマークだけ、など)、という方や、2週間前に初めてはてなを知ったという方、最近ダイアリー書いていないけど久しぶりに書こうかな、という方もいらっしゃった。ユーザー同士でも、お互いにidを知っている人というのはそれほど多くは無かった。決してインターネットのコミュニティがそのままぽこっと出てきたような会ではなかった。それが良い意味で新鮮だった。 2004年に

    はてなとの距離 - jkondoの日記
    ikazoike
    ikazoike 2008/03/16