6. ウォルター・ホワイトの変容 *以下の考察は当該ドラマを最後までご覧になった方に向けて書かれております。所謂「ネタバレ」があることをご承知下さい。 アリストテレスはフィクションを、主人公の特質によって分類した。王や英雄ら、常人=観客より「高い」人物が主人公であれば悲劇、「低い」人物であれば喜劇、美徳の主が無理からぬ過ちの結果破滅するのに「哀れみと恐れ」を感じるのが前者なら、悪徳の主が滑稽な過ちを犯し処罰されることが笑いを惹き起こすのが喜劇だ。尤も、これは解釈次第でどうにでもできるものでもあり、例えば「リチャード三世」を、玉座に就いた道化が全てを転倒しかき回す喜劇として上演することは可能だし、「ヴェニスの商人」を、分からず屋の父親にして強欲な金貸というまさしく道化でしかないシャイロックの悲劇として扱うのは通例になっている。 ウォルター・ホワイトはちっぽけな人間だ。社会にさえ見捨てられ廃棄