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死に関するimaokazukiのブックマーク (6)

  • 俺、GJ - みたび玉以外日記

    順位 項目 第10位 健康を大切にしなかったこと 第9位 感情に振り回された一生を過ごしたこと 第8位 仕事ばかりだったこと 第7位 子どもを育てなかったこと 第6位 タバコを止めなかったこと 第5位 行きたい場所に行かなかったこと 第4位 自分のやりたいことをやらなかったこと 第3位 自分の生きた証を残さなかったこと 第2位 美味しいものをべておかなかったこと 第1位 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと 「死ぬときに後悔すること」ベスト10: わたしが知らないスゴは、きっとあなたが読んでいる ほとんど該当がない。 あるとすれば、 第5位 行きたい場所に行かなかったこと 第4位 自分のやりたいことをやらなかったこと だが、「可能な限り」であれば、やりきっているので、後悔する可能性は少ないんじゃないかな。 まぁまだ時間もあることだし、このふたつぐらいなら徐々に達成していこう。 と

    俺、GJ - みたび玉以外日記
    imaokazuki
    imaokazuki 2009/08/23
    あらかじめ、後悔しないように、目を閉じるとか、行きたいところについての情報を仕入れないとか、コントロールできそうだけど、、そればかりは死ぬ間際になってみないと分からないな
  • もうちょっと - finalventの日記

    加藤典洋の「敗戦後論」が、まあ、一見重要な提起に見えて、結果的にはあっさり失敗してしまったかもしれないのは、「自国の戦死者を先に追悼する」という「先」もだが、追悼するのなかに、微妙に招魂思想的なナショナリズムの緩和な維持装置になってしまう点ではないか。 緩和というなら、靖国はダメだがフランス風の国家追悼(宗教的)施設ならよいとかもある。ただ、それで現実的な解答かとも思うが、根の問題は、いずれ解決はしないだろう。 加藤が提出した問題で、加藤も意識していただろうが、「自国の戦死者」というとき、自国は加害者でありそれで殺された人はどうか、というのは出てくる。もちろん、加藤もそれを考え抜いて先の命題になっているのだが、このあたりも議論としては、循環するし、ちょっとメタ的に考えるなら、他国の被害者を追悼する=自国の加害意識を永遠に国家に結びつけて保持せよ、というのも、実際には、追悼と同じような宗教的

    もうちょっと - finalventの日記
    imaokazuki
    imaokazuki 2009/05/05
    "戦争の死とは加害であろうが被害であろうがその循環であろうが、死そのもの本質とは別に、やはり意味がないのだというとき、国家は死滅しているように感じられる"
  • 2009-01-15

    「死後の世界がある」と考える人の割合は一般人の34.6%に対しがん患者は27.9%、「生まれ変わりがある」は一般人29.7%、患者20.9%で、患者の割合が目立って低かった。生きる目的や使命感を持つ割合は患者の方が一般人より高く、「自分の死をよく考える」という人も患者に多かった。 結論。 「死後の世界があると考える人」は癌になりにくい。 「生まれ変わりがあると考える人」は癌になりにくい。 「生きる目的や使命感を持つ人」は癌になりやすい。 「自分の死をよく考える人」は癌になりやすい。 いちおう冗談だと書いておきます。 まだムービーを見たことない人は今から90秒ぼくにください。 アスペクト比狂ってるのがちょっと残念なんですが、90秒版ほかにyoutubeとか探したけど見つけられなくて。まぁ公式にあるんですけどね。 主人公セト役の桑島法子さんの声が胸に刺さりすぎなんだけど。声優さんってすげえ。1

    2009-01-15
  • 可視化と不滅 - kom’s log

    興味にかられて私も新宿をGoogle Street Viewで散策してみたのだが(なおドイツの地図にはこの機能は追加されていない)、クリックして移動・見回すその感覚は現実の時間経過のおまけがついているためにとてもリアルな経験である。しかし不気味。来私の移動にともなって世界もまた勝手に動いているはずなのに、静止している。写真なのだからあたりまえではある。「世界よとまれ!」と叫んだ人間は歴史の中にいくらでもいるだろう。けれども実際に体験した人間はこれまでいなかった。でもいまや私は、静止した世界をヴァーチャルに体験できるわけである。でもその世界は死んでいる。一方、まったく別の話であるが、死体とその輪切りをを営利目的でさらすことが公然と行われている。 『人体の不思議展』の不思議 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20080808 あなたや私は死後どこかの町の美術館で輪切

    可視化と不滅 - kom’s log
  • いつかすべての再生のために - 東京永久観光

    この曲を聴くとあの頃が懐かしい、というのは誰にでもある。 すっかり忘れていた自分の気持ちがふいによみがえる。そのとき見ていた風景や、一緒にいた人の顔や声、べていた物の味や匂いまで思い出す。 自分がつけた日記を読み返すことでも、そういうことは起こりうるのかというと、起こりうるように思う。 ただし、日記というのは、文章をあらかじめ書いておかないといけないし、その文章をいちいち読まないといけない。それに比べ、懐かしの流行歌は、べつに記録したわけではなく、意図して記憶すらしたわけではない。それなのに、そのときの心や体の状態をあたかもそのまま保つかのような働きを自動的にしてしまう。 今、デジカメで何気なく撮っている写真というのは、ちょうど流行歌と日記の中間くらいに手軽で自動的な記録行為かもしれない。そして将来その写真は、忘れてしまった思い出の再生を、ひょっとしたら流行歌や日記を超えるほどの強度と詳

    いつかすべての再生のために - 東京永久観光
    imaokazuki
    imaokazuki 2008/06/28
    画像、音楽には次元的な広がり、厚みがある。言語は超次元的。あの時を思い出すきっかけとなるものについて。思い出してる時に脳内で起こっていることについて。。
  • 麻生結のひとりごと

    imaokazuki
    imaokazuki 2008/06/21
    "出来事は、時間順に生ずる物質的な原因と結果という形で再体験されるのではなく、それが生じたことの道徳的意味合いと必然性が分かるように再体験されるというものである"死んだらどうなるかについて、シュタイナー
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