MIAU法人化記念パーティーには行けなかった。平日の参加は難しい。MIAUのイヴェントには、一度も参加できていない。MIAUへの違和感は、ずっと抱えていた。 MIAU誕生のアナウンスは、あまりに唐突で、その目的や実態が掴めないものだったけれど、可能性を感じるものだった。その可能性とは、特に著作権行政について、何らかの不満や理不尽さを抱き、また切実な自分自身の問題として、ブログを書いたり署名をしたり、そのほか、いろんな「活動」をしてきた身にとって、対外的な交渉ができる団体が存在し、、信頼できる理論的な裏づけを示す事が出来る専門家との連携もできるというのは、自分だけでは解決しきれない困難を打破するものとしての可能性だ。極端なことをいえば、MIAUが存在して、誰かが動いてくれていれば、それでいい。 しかし、ぼくがMIAUに期待したもののなかには、かつてBBさんが使った表現を借りれば、ブロガーの「