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2009年8月11日のブックマーク (6件)

  • フランス詩の庭から

     薫 1.Rondeau/Charles d'Orléans 2.Ode à Cassandre/Pierre de Ronsard Rondeau Charles d'Orléans Le temps a laissié son manteau De vent, de froidure et de pluye, Et s'est vestu de brouderie De soleil luyant, cler et beau. Il n'y a beste ne oyseau Qu'en son jargon ne chante ou crie. Le temps a laissié son manteau. Riviere, fontaine et ruisseau Portent en livree jolie Gouttes d'argent d'orfaverie ; Ch

  • ロンサールの「カッサンドルへのオード」 | B的日常

    ルネサンス期フランスの詩人、ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の手になる「カッサンドルへのオード(頌歌)」。朝、咲いたと思ったら夕べには朽ち果ててしまった薔薇になぞらえて、若さや美の儚さをうたったものだ。原詩の朗読はこちらで聞ける(リンク先ページ上部の薔薇の写真の右にある「écouter: Cliquez ici pour écouter le livre audio entier」というリンクをクリック)。 Ode à Cassandre Mignonne, allons voir si la rose Qui ce matin avoit desclose Sa robe de pourpre au Soleil, A point perdu ceste vesprée Les plis de sa robe pourprée, Et son teint au vostre

    ロンサールの「カッサンドルへのオード」 | B的日常
  • ピエール・ド・ロンサール - Wikipedia

    ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard, 1524年9月11日 - 1585年12月27日)は、ルネサンス期フランスの詩人。プレイヤード派の中心人物であり、「プランス・デ・ポエット(詩王、詩聖、Prince des poètes)」の称号を与えられた[1]。『オード四部集』(1550)、『恋歌集』(1552)等がある。 ロンサールは、ロワール=エ=シェール県クチュール=シュル=ロワールに近いラ・ポワソニエールの貴族の家で末っ子として生まれた。彼の一族はドナウ川の北のルーマニア一帯の出身だった。ボードゥアン・ド・ロンサールは14世紀前半にフランスへ来て、この地における一族傍系の礎を築いた。ピエールの父はロワ・ド・ロンサールで、母はジャンヌ・ド・ショードリエだった。母は貴族ではなかったが、貴族とは緊密な繋がりがあった。給仕長(Maître d'Hôtel)だったロワは、パ

    ピエール・ド・ロンサール - Wikipedia
  • Culture Jammer いのちの旅: ■ うたのおくりもの: フランソワ・ヴィヨン François Villon

  • 2009/01/30(小話943) - OOTAの小話と笑話と絵画の部屋

  • ヴィヨン(佐々木敏光)

    ヴィヨン(フランソワ) 【Francois Villon】[一四三一?~一四六三?] 一連のヴィヨン詩の登場人物。同時に作者とも想定される伝説的詩人。フランス文学史におけるフランス中世最大の詩人。中世末期パリの生れ、近代詩の先駆的存在でもある。パリ大学に学んで高い学識を持ちながら、殺人,窃盗などを犯して,逃走,放浪,投獄の生涯を送った。最後は殺傷事件にまきこまれ絞首刑の宣告をうけたがあやうく免れ、1463年パリから十年間追放の刑をうけ、以後消息不明。多彩な形式の詩集『形見分け』『遺言書』、その他随時書き溜めた『雑詩』などがある。作品のいたるところに韜晦・皮肉・嘲笑・哄笑が炸裂、と共に無頼に満ちた青春への苦い自嘲や悔恨、死を前にしての厳粛な諦念や祈願が深い思いを伝える。ただし、古記録にある殺人,窃盗などを犯したヴィヨンが、一連のヴィヨン詩の作者かどうかは当のところはわかっていない。 (電子

    inmymemory
    inmymemory 2009/08/11
    佐々木敏光によるフランソワ・ヴィヨン『遺言書』『形見分け』『雑詩』『隠語のバラード』の翻訳