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2010年12月20日のブックマーク (5件)

  • ノルウェイの森を再読している。

    これを初めて読んだのは大学一年生の頃だったか。無駄に自分に肯定感があって、それでも醜い気質みたいなのは底流していて、それが絶妙に混ざり合って当に醜悪な人間だった頃だ。(今では自信だけをなくし、卑屈に醜い気質が溶け合った生き地獄の主観を生きる人間になっています。この七年間に何があったのか!何もなかったけど、こうなるには充分の時間が経ったのだ) 初読の時、ふんわりとした「よかった」感覚はあったのだけど、内容は一切として具体的に覚えていなかった。それはいつもの村上春樹と同じように。読み終えた直後から内容が思い出せないのだ。 今回村上春樹の小説を手に取ったのは、タイミング的に随分久しぶりのことで、一応大学一年という自分精神史的に輝いていた時代に読んだものだという記憶もあったので、すこしばかり腰を据えて、というか幾分力んでこの小説に臨んだ。そして分かった。そりゃあ当時の自分がこの作品に好感を抱く訳

    ノルウェイの森を再読している。
  • 古本屋あなもん

    屋あなもんclub MHz + anamon presents AUTUMN MUSIC BOOK FAIR! (〜11/1) -終了-

  • 『流跡』(朝吹真理子) : 本屋さんへ行こう!

    もう何を読んでもめったなことでは驚かなくなった私だが、書にはびっくりした。これは、「まったく新しいかたち」の小説である。何というか、この小説は「かたちをもたない」のだ。 登場人物が、生と死の、男と女の、人とけものの、境目をなくして幻想の世界に入っていく、というのは倉橋由美子や小池昌代の極上の作品で見られる。つまり「筋の中で、かたちをもたないものたち」というのはある。ところが書では冒頭、登場者が「を読む」ということにとまどいをみせる。 目で字を追っているのに、ことばが頭の中で意味につながらない、よって何度も同じページを行ったり来たりしてしまう。それが、何日も続く。文字やことばや意味が、かたちを結ばないところから物語ははじまり、そのかたちをもたない文字やことばがゆらゆらしながらもどうにか立ち上がり、登場者は自分が「ひとになってしまった」ことに気づく。 なってしまったものはしょうがないので

  • 朝吹真理子『流跡』 | Digressions

    [タカヤマ学派のブログ]マンガとアニメーションと人文を脱線(Digression)でつなぐブログーーだったのが、現在は語学人目線で理数系にガチチャレンジ中の内容増えた。あと「文系と理系を両方マジで取り組んでみた」など。理数系とピコピコの話題多め。あと学魔・高山宏の影響を受ける「タカヤマ学派の1人」らしい。その方面では主に経済学担当。(2020年8月に追記) by ulyssesjoycean

    朝吹真理子『流跡』 | Digressions
  • 『流跡』 朝吹真理子さん : 著者来店 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    フランスの作家、サガンの翻訳で知られる朝吹登水子(とみこ)は大叔母、慶大教授で詩人の亮二さんは父。初の小説作が、堀江敏幸さんが選考した今年のドゥマゴ文学賞に輝いた25歳と聞けば、思わず身構えてしまう。 だが取材の前にあいさつすると、「よろしくお願いします」。握手しようと手を差し出された。浮世離れした所作に見えたけど、何か心温かい気分になった。 <……結局一頁(ページ)として読みすすめられないまま、もう何日も何日も、同じを目が追う> この一文で始まる小説に明瞭(めいりょう)な筋はない。主人公はいつしか人になり、船頭になったかと思えば、子供の発話の遅れを気にする父になる。「びよびよ」といった古語風の表現にも出くわす。流れるような言葉の群れが心地良くなるころ、著者は流転する人間の生を語っているのかと感じたりする。 「言葉は自分の外にある遠々しいものなのに、人間はそれを使ってしかコミュニケー