タグ

2017年1月14日のブックマーク (3件)

  • 黄真伊 - Wikipedia

    黄 真伊(こう しんい、ファン・ジニ、황진이)、約1506年 - 1567年頃)は、中宗の治世中に松都(現在の開城)で活躍した李氏朝鮮で最も有名な妓生。妓名は明月(명월)。並外れた美貌と、迅速な機知、群を抜いた知性により有名であった。その人生映画テレビドラマ、オペラ、および多くの小説の題材となり、神話的にさえなった。徐敬徳、朴淵瀑布とともに「松都三絶」といわれる。 生涯[編集] 母親の英才教育を受け、7歳で難しい漢字を覚え始め、9歳になると自ら漢詩を作るようになったと言われている。 ある日、1人の青年が黄真伊に恋をしてしまうが、身分の違いから叶わないことを悟り自殺する。その青年の遺体を棺に入れて墓場まで台車で運ぶ際に、黄真伊の家の前で止まった。それを聞いた黄真伊は自分の服を棺にかけると、動かなかった棺が動き始めたという。この出来事が契機となって、黄真伊は妓生になったと言われている。 死

    inmymemory
    inmymemory 2017/01/14
    ファン・ジニ
  • 五・七・五、日本と韓国 金 貞禮(KIM Jeong Rye) 国立全南大学校 副教授

  • 時調 - Wikipedia

    時調(じちょう)は朝鮮で成立した定型詩。 概要[編集] 時調は14世紀ごろ、高麗末期に成立したとみられ、李氏朝鮮時代に流行した。時調という名称は李朝第21代王英祖の頃から用いられた。それ以前は「短歌」「長短歌」「新調」などとも呼ばれたが、現在は使われていない。時調は「時節歌調」の略称で、いわゆる「流行歌」の意味であり、歌人、李世春が「時調」という言葉を作ったと言われている。 時調の起源については諸説があり、巫女の歌から来たという説、郷歌から発展したという説、『満殿春別詞』などに見られる高麗の歌謡が起源という説などがある。時調は、まず、両班たちによって作られた。内容は儒教の精神を歌ったものから、やがて自然美を歌った牧歌的、叙情的なものに変わり、妓生が時調を作るようになると、より人間の具体的な感情を歌うようになる。 時調の形式[編集] 3章6句の約45字からなる。音数律は三四調、もしくは四四調