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2019年8月19日のブックマーク (5件)

  • 「ラフォルグ抄」(2009年 文藝春秋)

    一冊の書によって影響を受けたことは、なかったような気がする。 私ととのかかわりは、おそらく次のようなものだろう。ごく幼いうちに「私」というものは確立され、ただ、その「私」が「私」のままで生きようとするとさまざまなシーンで衝突するので、無意識のうちに、自分と同じようなものの感じ方、考え方、行動をする人物が出てくる物語やノンフィクションを求めて読むようになった−−。 吉田健一の『ラフォルグ抄』(小澤書店)は、フランス象徴派の詩人ジュール・ラフォルグが、わずか二十七歳と四日の生涯の終わりまで書いていた『最後の詩』や『伝説的教訓劇』の翻訳をおさめた書である。これらの詩や散文のどのページにも満ちている、善意のニヒリズムというようなものに、私は自分を代弁してもらっているような気持ちになる。 たとえば、『最後の詩』の「日曜日」という詩の次のくだりが好きでたまらない。 要するに、私は、「貴方を愛してゐま

  • LES BELGES ET LA LUNE Charles Baudelaire

  • ジュール・ラフォルグ(Jules Laforgue)

    『ハムレット異聞』 translator:吉田健一(Yoshida Ken-ichi) Publisher:角川書店(Kadokawa Shoten) 1947 『地球のすすりなき -詩集』 translator:中江俊夫(Nakae Toshio) Publisher:双林プリント 限定版:1975 translator:中江俊夫(Nakae Toshio) Publisher:吟遊社 1976 translator:中江俊夫(Nakae Toshio) Publisher:沖積舎 限定版:1978/ 1 『ラフォルグ抄』 translator:吉田健一(Yoshida Ken-ichi) Publisher:小沢書店 新装版:1977/ 8 愛蔵版:1989/ 7 「最後の詩」 Derniers vers 「伝説的な道徳劇」 Moralités légendaires 「解題」 『ラフ

  • 中原中也・全詩アーカイブ

  • ジュール・ラフォルグ - Wikipedia

    父シャルル=ブノワ・ラフォルグと母ポーリーヌ・ラコレが出逢ったのはウルグアイだった。そこで父親は、最初教師を、続いて銀行員をしていた。結婚後、11人の子供に恵まれ、ジュールはその第二子。1866年、一家は、父親の生地である、フランスのタルブに移る。1867年、家族はウルグアイに戻ることになり、ジュールと兄のエミールだけが、従兄弟の家に預けられる。 1869年、一家はパリに移転。1877年、母親が流産の末、死亡。ジュールは決して優等生ではなかった。その年から翌1878年にかけて、バカロレアの試験に3度失敗する。彼はパリの図書館に通い、フランスのすぐれた著者のを読み、独学で勉強する。 1879年、父親が病気になり、一家はタルブに引っ越すことになるが、ジュールはパリに残る。トゥールーズで最初の詩を発表。さらにいくつかの詩を発表し、その年の末には、注目される詩人となる。1880年、彼はパリの文壇

    ジュール・ラフォルグ - Wikipedia