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ブックマーク / noon.serio.jp (5)

  • 決別できない過去のために (セックスなんてくそくらえ)

    所用があって昔の女に手紙を書いた。送信ボタンをクリックして、送信の進展バーが進んでいくのを眺めながら、まったくもって思い出というものはうっとおしいものだと思う。とっくの昔に忘れたと思っていた観光地で聞いたカッコーの鳴き声、蒸気機関車の響き、手で触れた冷たい水、資料館の漱石の遺稿、客のいなかった旅館の床のきしみ、チェックアウトしたあと女が傘を忘れて自分が代わりに取りに戻ったことなど、突然思い出されてきて、まるで阿呆のようにこうして椅子に座っている。この世界に生きるあらゆる人間がそうであるように、誰しもが個人的な痛みや悲しみを抱えており、むろん私もそういった凡庸なる人々の一人でしかなく、そこから逃れられると思うのはただ滑稽である。椅子に座ったままぼんやりと日用のエントリの空白の入力画面を見ながら考える。ブログの画面の反対側には、おそらく人の数だけの一瞬の孤独があり、薄く青い悲しみがあり、自意

    inmymemory
    inmymemory 2007/11/17
    今あるこの孤独と対峙している自分だけが確かなもの。過ぎ去りし出来事への郷愁もありもしない幻想も愚かしいが、かといって捨て置かれるべきものでもないはず
  • 類い希なるセンスで複数の言語を使いこなし一千万人の目に触れる言葉を書く才能と実力と実績があったとしても (セックスなんてくそくらえ)

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    inmymemory
    inmymemory 2007/11/17
    寸鉄人を刺す
  • マージナル・ソルジャーズ(3)-読まれない手紙 (セックスなんてくそくらえ)

    例をあげれば、ある男Aがある女Bに「愛している」と電子メールを送ったとき、そこで伝わるのは男が女を愛しているという事象であり、ただの心象を述べているに過ぎないはずである。しかしその伝達が瞬時に行われることで、またそれが同じように反復される返事――たとえば、女の「私も愛しているわ」という返事――によって補強され、二人の間にはある錯覚が生まれる。 それはもちろん愛が存在しないということではない。愛というのは様々な感情を中に潜めた心のあり方であり、たとえば憎しみ、優しさ、痛み、切なさといったものすべてを包含している心の位相である。しかしそれを見るためには足を止めて、立ち止まらなければならないが、電子メールのような即時的なシステムは、人を立ち止まらせることをやめてしまう。 この男と女のやりとりはただの比喩であるが、インターネットの言論に見られるあらゆることに、ここで隠蔽されていることが当てはまる。

  • 好きという気持ちはいつも悲しい (セックスなんてくそくらえ)

    私にしては珍しく、真昼の恵比寿で人と事というものをした。人と会うのはほとんど夜な私にとって、この時間帯にこういうことをしているのは珍しい。それにつけても、日の太陽の日差しというものは、もう夏も近いというのに柔らかく、優しくうっとうしい。まるでもう中年になる子供の世話を焼きたがる自立できない母親のようである。しかし空気は涼やかで、風はさわやかであった。 この国の気候は私が育った毒々しい光に満ちた熱帯雨林とは違う、と思いながら中華レストランで注文した飲茶の焼売を口にする。焼売、チマキ、ザーサイの飲茶セットは、日の丸い味の野菜で作った日中華料理の味がした。天井のガラスから射し込み自分の手を焼こうとしているこの穏やかな太陽の光も、この中華料理と同じように、物ではなく、まがいものではないのか、と考えながら、一緒に事をしている相手に微笑んで見せる。 太陽で出来た影が斜めに店内に落ちてきて

    inmymemory
    inmymemory 2007/11/17
    ありふれた日常の瑣事に、やがて来る終末を予兆し、滅びの時の懊悩たる思いを透視する瞬間。安寧の中に見出す心の空白。そこには理由も動機も存在しない。空の青さの眩しさだけが確かな午睡で見た小景
  • ブログをくだらなくするたった一つの方法 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたはこんなことを知っていただろうか。 毎日更新されるようなブログに掲載されている99.999999%のエントリは、誤字、脱字、ほのめかしだらけで、内省のカケラも見あたらない、愚にもつかない内容の文章であるという事実が、統計によって明らかになっているということを? そしてあなたはこんなことを知っているべきではないだろうか。 自分のブログを何があっても毎日更新し、読む価値のない、書く価値のない、誰も読まず、そして誰の心も動かさない三流テキストを毎日のようにネットに公開することで、ブロゴスフィア全体の品質を落とすことができるのだということを? さらにあなたはこんなことを知っているべきではなかっただろうか。 開放されたコメント欄やトラックバック欄に群れをなして集まるかわいらしき子犬のようなアクセス乞、白痴コメンテーター、顔も名前も文才もない、圧倒的大多数のネットにしか居場所のない人々の、何一

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