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ブックマーク / www.honsagashi.net (23)

  • 読売新聞の村上春樹インタビュー『1Q84』をめぐって : Feel in my bones

    昨日。10時半過ぎに出かけ、大手町で乗換え。丸の内丸善の前にX的な女の子たちが大勢いて何事かと思ったら、ヨシキの著作刊行記念サイン会が行われるということだったらしい。ダークスーツ男女が行き交う丸善の一階に異空間が出現していた。東京駅のキオスクで読売新聞を買う。朝mixiを見ていたら村上春樹のインタビューが掲載されるという情報があったからだ。一面に抜粋、23面に詳しく出ていたが、新聞のインタビューらしく語尾とかが適当に端折られているのでなんだか読みにくい。『モンキービジネス』みたいなだらだらした感じの方がずっと読みやすいのだが。でも要点は押さえられているという感じかな。上中下の三回に分けての掲載。村上が『1Q84』について語るのは初めてで、その意味で注目される内容だと思ったが、その他の部分では今までいろいろなところで彼が語ってきたことが中心だという印象を受けた。印象に残ったことをいくつか。

  • 村上春樹『1Q84』Book1

    どんよりとした曇り空。朝から、晴れたり曇ったり、一時的に雨が降ったり、を繰り返している。 昨日はある事情があって、仕事は暇だった。もっとも、その事情を知ったのはもう仕事が終わりかけたときだったが。しかし暇だからといって席をはずすことの出来る仕事ではない。関連した小さな仕事を片付けながら、変化を待っていた。しかし取り立てて変化もおきないまま時間になり、帰って事をし、入浴をして、を読んで寝た。 村上春樹『1Q84』。Book1を読了。ここから先は内容に関わるので、まだ読んでいない人で今後読むであろう人は読むことをお勧めはしない。もちろんそんなこと書いてもだれにも読んでいる人の行動をコントロールすることなど出来ないのだけど。 話は、二人の主人公を持った二つのストーリーがかわりばんこに出てくる。奇数の章が青豆という女性。偶数の章が天吾という男性。二人の関係は、基的なことはBook1の段階であ

  • 村上春樹『1Q84』Book2 : Feel in my bones

    目の前に、カンパニュラの花が揺れている。この花の形は、私にホタルブクロ、という名前を思い出させる。ホタルブクロという植物が当はどんな形をしているのか、私は思い出せない。しかし私の中のホタルブクロのイメージと、この花はみごとの呼応している。 私は昨夜、この花を花瓶にいけた。午前中に買ってきてずっと水あげをしておいた。深夜、自分の部屋に戻ってこの花を生けて、それから村上春樹『1Q84』Book2の続きを読んだ。夜の間には、最後まで読めなかった。2時に寝て、6時過ぎに起きた。そしてを読みながらモーニングページを書き、7時半に実家で父に愉気し、朝を取り、母の話を聞いて、自室に戻り、そして続きを読み始め、読了した。読み終わったとき、私の左右の目からは涙が流れていた。 書くべきことが多すぎるが、順序だてて書くよりも、思いつくまま書いて、このくらいでいいとおもったところでやめようと思う。いずれにし

  • 村上春樹の読み方、村上春樹の書き方 : Feel in my bones

    5月31日。今日で5月も終わり。なんだか忙しい一ヶ月だった。最後に村上春樹『1Q84』を読んで、ずいぶん自分の中のいろいろなものが掘り起こされたから、そういう「感じ」がとても強くなったのだろう。自分の中の魑魅魍魎がいっせいに蠢きだしたという感じがある。ただ,断片的ながら他の人の感想を読んでいてもそういう感想っていまのところまったくない。他の人は、小説というものをそういう読み方はしないのだろうか。そういう読み方をしないで一体小説というもののどこが面白いのか、特に純文学と言われるものとか村上春樹の作品のどこが面白いのか、私にはよくわからない。だから、結局自分で盛り上がって自分で沈静化して行くだけしかなく、なんだかそういう意味ではあまり面白くないが、Book1だけで35万部売れているのだから自分と同じような感じ方をする人も皆無ではないだろう。自分と全く同じ感じ方をする人はいるはずがないけど。 な

  • 村上春樹とか、よしもとばななとか

    6月1日。8時20分。スパイダソリティアの上級レベルで2連勝した。6勝407敗。やたら難しいが、出来るときは続けてできるのが謎。牌の巡りみたいなものがあるんだろうか。 一昨日帰京。特急の中では、ほとんど寝ていた。前夜に『1Q84』を読んで4時間くらいしか寝てないから、多分そのせいだっただろう。それに、起きていたからって何かを読もうという気には全然ならなかったから、起きている必要もなかった。 昨日は、やはり朝からぼおっとして村上春樹に関連したことなどを考えていた。昼ころ友人から電話がかかってきて少し話す。2時過ぎに日橋に出かけ、コレドの地下の「えん」で梅豚茶漬け。それから丸善に行く。3階に上がると、画家の山容子のサイン会をやっていた。よく知らなかったが、今ネットで調べたら吉ばなな『TUGUMI』の挿画を描いた人。カフェに入り、季節のケーキとコーヒー。フルーツがスポンジの中にたくさん入っ

  • あら何ともなや:ああ何てことだ!/村上春樹のスピーチ:権力と卵

    16日月曜日。夕方街に出る。まず銀座線で銀座に出て。木村屋でパンをいろいろ見たけど買わなかった。教文館へ。能楽関係のを探すがこれというものなし。八重洲ブックセンターまで歩く。8階の芸術のコーナーで謡曲のを探す。檜書店『対訳で楽しむ』のシリーズで『安宅』『葵上』『敦盛』『融』の4冊を買った。 中でも楽しみだったのが『融』。私はなぜかこの河原左大臣源融という人が昔から好きで、豪勢な河原院を作って大阪湾の海水を運ばせ塩を焼いたというでたらめな贅沢も可笑しいが、死後屋敷が荒廃して変なものが出たり、融自身の幽霊が出たりしたという話も何だか好きだ。特にいいのは、『大鏡』に出て来る話で、陽成天皇が廃位に追い込まれた後、「いかがは。近き皇胤をたづねば、融らもはべるは」とのこのこと皇位につこうとしたという話だ。これは結局関白になる基経に臣籍降下した源氏が皇統を継承した例はないと退けられるが、このとき即位

  • 安宅と勧進帳/村上スピーチ再論/有明の月 : Feel in my bones

    謡曲『安宅』読了。なるほど歌舞伎の『勧進帳』とは富樫の位置付けがまったく違う。歌舞伎では富樫は基的に自分のハラ一つですべてを飲み込んだ上で一行を通してやる「いいヤツ」なのだが、能では弁慶たちの迫力に押されて一行を通してしまう情けないヤツで、しかも通した後でお詫びだといって酒を飲ませて召し取ろうとするこすいヤツでもある。能の方が義経主従の危難が浮かび上がって悲劇性が高まるが、歌舞伎は富樫の役者にかなり大きな花を持たせる演出なのだ。義経の位置付けも違う。能は子方でそう重要性がないわけだが、歌舞伎の場合はかなり重要な役者が演じる格の高い役だ。まあスター総出演的な、華やかな大衆性を持った演出にしたのが歌舞伎の『勧進帳』の成功のもとだろうし、富樫の「武士の情け」、義経の貴種の魅力というものを称揚しわかりやすく描く幕末明治以来の新しい価値観が現れているということなんだろうと思う。作能された時代には「

  • 村上スピーチ三論 : Feel in my bones

    村上春樹のイェルサレム賞受賞スピーチ。二三日で沈静化するかと思ったらさにあらず、燎原の火の如くそこらじゅうからコメントの焔(ほむら)が立ち上がっている。彼のスピーチは、日中のブロガー・日記作者のコメント欲に火を点けてしまったようだ。楽しい。書きたくてうずうずしてはいたのだけど、日曜日になってゆっくり書きましょう、という人がたくさんいたんじゃないかなと推測する。私もあれだけ書いたけれども、ネット環境とゆっくり物を調べ、考えられる東京の自宅に帰ってきたらまだまだ書くことがどんどん出てきた。まあせっかくなので考えるだけ考え、書けるだけ書いてしまおうと思う。 いま自分にとっての問題は、このスピーチの政治的な意味ではなくなった。それはもうさんざん考えたし議論してみた。今問題なのはこのスピーチの文学的な価値だ。それをもう少し考えて見たい。 そう思ったのは、昨夜「内田樹の研究室」でこちらとこちらのエン

  • りんごデニッシュ/ブレイク、ボードレール、マラルメ : Feel in my bones

    昨日、東京の自宅を出たときは嵐だった。雨はそれほどではないが風はかなり強く、特にときどき突風が襲うのには閉口した。荷物が多く、普段の鞄以外に旅行用のバッグを背負い、傘を差しながら歩くのはかなりたいへんだった。何もなければ家の前からタクシーに乗るのだが、団地の中のパン屋さんでりんごデニッシュを買いたかったので、ちょっと無理したのだ。最近このりんごデニッシュが好きで好きでたまらない。麻薬入り?(笑) 地下鉄で大手町から東京駅に出、新宿に出る。いつも止まる中央線が今日は動いていて、東海道線が止まっている。多少の遅延は覚悟していたのだが、特急は定刻に発車した。 いつもは東京駅でお弁当を買うのだが、昨日は前の日の残りの蟹炒飯と法蓮草のソテーをいためなおしてパックに詰め、お弁当にした。それだけでは少ないのでりんごデニッシュを追加したわけだが。かなりうきうきランチ。しかし特急の車中では爆睡した。眼が覚め

  • 村上春樹の作品の評価はなぜ絶賛と酷評に分かれるのか

    吉岡栄一『文芸時評 現状と当は恐いその歴史』(彩流社、2007)を読む。 このはいわば批評の批評、メタ批評のといっていいかもしれない。その題材として村上春樹『海辺のカフカ』をめぐる問題を取り上げている。 『海辺のカフカ』は2002年に発売された長編だが、例によって賛否両論の作品だ。文芸時評も大きく絶賛派、否定派、中間派と分かれている。これは衆目の一致する評価が下されていない、というこの作品自体の問題でもあるし、一つの作品をめぐってこれだけ評価が分かれる文芸批評という営みの問題、そのバックにある日の文壇や出版業界、ないしは読書界の問題でもある。つまり作者はこの文芸時評というテーマ、ないしは日の文学、なかんずく純文学の現状と課題をとらえるために『海辺のカフカ』の評価をめぐる対立を取り上げたわけであり、このあたりは非常にスリリングで興味深い問題設定だと思う。 『海辺のカフカ』は私も読ん

  • 雨の中、三月も去く/読書記録から分かること/ポエジーと作者の思い

    雨の中、三月も去く。 読書記録の続きをつける。昨年の9月から12月までつけてみた。 9月はジョルジュ・バタイユから始まって、多分これは丸善日橋店の棚で文学関係のもので何か、と探していて見つけたのだと思うが、『嵐が丘』『カラマーゾフの兄弟』と読んだが、途中で息切れ。ポール・オースターやルナールを読んで、文学から少し外れて幕末のものを読んだりアルキメデスを調べたりした。このあたりは自分に何が必要なのかわからず、いろいろやってみては失敗する、というやや悪循環の傾向があったように思う。 10月の半ばごろキャメロンを紹介され、ここからさまざまな試行錯誤が。アゴタ・クリストフ、『みどりのゆび』、純正律、インテリア、ギター、古武術と少しでも関心のあるもの、懐かしいものにとにかく手を出してみた。これが11月一杯続いた。 12月には川端康成を読みはじめ、桜井章一を挟んでアート方面に。原美術館にいったのは

    inmymemory
    inmymemory 2008/04/04
    辻征夫『俳諧辻詩集』
  • もう一人の自分/詩とか歴史とか

    昨日も書いたが、3月の読書記録をまとめてみたらこれは自分の関心の移り変わりを知るのにちょうどいい手段だと思ってさらに2月、1月とさかのぼってまとめてみた。今年に入ってからの関心の推移をまとめてみる。 1月は奈良美智・吉ばななへの関心が前年末より続いていた。この延長線上で作品を一つ書いた。奈良美智に関心が行ったのは前年末の原美術館のピピロッティ・リストを見に行ったときに奈良の展示があったからで、原美術館に行ったのはD-BROSの製品を扱っていたから、D-BROSを知ったのは確か何かイラスト関係のだったと思う。そんなふうに関心の連鎖が続いているのを再確認すると興味深い。 1月途中からはおがきちか作品にはまる。これはファンタジーへの関心の流れだ。1月終わりから2月にかけては山岸涼子『舞姫-テレプシコーラ』一色になり、そこからバレエ関係のものをかなり読んだり見たりした。これはもちろん舞台芸術へ

  • 古典新訳文庫/良い文学作品とはどういうものか

    昨日。夜になってから、ポーっとした状態を少し立て直そうと、地元の屋に出かける。城アラキ『バーテンダー』(集英社、2007)の9巻を買う。主人公佐々倉溜がホテルのバーテンダーになる、という展開。「サンチアゴに雨が降る」のエピソードが引かれていて、この事件(ピノチェトのクーデター)が9月11日に起こったということを知った。 『嵐が丘』の後遺症が続いていてなかなかを読む気になれなかったのだが、どういう風にしてでも少し流れを変えようと思い、を探す。こういうときにいいのが光文社の古典新訳文庫だ、と最近思う。こちらの方も高く評価されていて、我が意を得たりという思い。ホイットマン『おれにはアメリカの歌声が聴こえる―草の葉(抄)』(光文社古典新訳文庫、2007)を購入。題名は金関寿夫訳『おれは歌だ おれはここを歩く アメリカインディアンの詩』(福音館書店、1992)を思い出させたが、たしかにホイット

  • 澁澤龍彦の魅力/思い出すことと思うこと/世界が強暴なまでに危険だった日

    夜中に起きて(現在9月11日午前1時半)この文章を書いている。暑い。昨日は朝5時半に起きたせいか早く眠くなって10時半には床に着いた。そのせいで逆に早く目が覚めてしまった。ちょっと早すぎる。ただ、朝起きてから書こうと思っていた文章がいくつかあるのでついでに書いておくことにする。 昨日。午前中にいろいろ家事を済ましてからパソコンに向かっていたら友人から電話がかかってきて話す。だいぶ話したいことが溜まっていたので、かなり長くなった。昼までに出かける。地元のイタリアンレストランでベーコンとアスパラのトマトソーススパゲティをべてから郵便局、東京三菱UFJ銀行、三井住友銀行と回って地下鉄に乗る。雨が降ってきた。そんなに長い雨にはなりそうではなかったので、その間どこかに行こうと思い、銀座に出る。銀座も小雨。地下鉄の出口から教文館に走る。二階で読むものを物色。特にこういうもの、という意識もなかったのだ

  • 諏訪哲史『アサッテの人』 : Feel in my bones

    諏訪哲史『アサッテの人』(講談社、2007)読了。感動した。ぼーっとした。しばらく余韻に浸っていた。読み終えたら忘れないうちに感想を書くようにしているのだけど、このは感想を書いてしまったらその余韻が消えてしまうような気がして、なかなか感想を書くのに取り掛かる気になれなかった。読み終えて、しばらく転寝して、テレビを見て、散髪に行って、それから書いている午後4時。 私にとってバイブルといえるは今まで何冊かあった。主にマンガなのだが。高野文子の『絶対安全剃刀』など。そういうものに匹敵するのではないかという気がする。最近は同じものを何度も読むということもなかなかないのだけど。考えてみれば『NANA』がそういう感じになってるけど。 どもりだった叔父がある日突然どもりを脱したとき、言葉の罠に捕らえられていることに気がつく。私なりの読み方でいえば、言葉というのは表現部分(音とか文字とか、表象と言って

  • 彼らの強さ、われわれの弱さ/人生の意味について考える

    鍵のかかった部屋 (白水Uブックス―海外小説の誘惑) ポール・オースター,柴田 元幸,Paul Auster 白水社 このアイテムの詳細を見る いわゆるアメリカの現代小説、それも純文学(?)の作品を読んだのは、これが初めてかもしれない。読んだことがあったとしても、覚えていないのだから読んだ内に入っていないだろう。英語圏の作品はイシグロやクッツェー、ナイポールといったところを読んではいるが、アメリカの作品は少し雰囲気が違うし、むしろ日の現代小説に近い感じがする。特に村上春樹には似ているところがかなりある。というより、村上春樹よりもずっと読みやすい。村上はなんというか、風俗を描くところがかなりあざとい感じがするところがあるのだが、オースターの描写は非常に自然で、こちらの方が私の好みだ。 この親近感というのは、ヴェンダースの映画『パリ、テキサス』で夜中の自動販売機スタンドが映されたときの感じを

  • 村上春樹『海辺のカフカ』読了

    昨日。とりあえずの日記をアップしたあと、4時ころまでかかって村上春樹『海辺のカフカ』を読了。ある意味スピリチュアルであり、神話の構造を使ったというより神話そのもの的であり、「かえる君、東京を救う」的であり、『ねじまき鳥クロニクル』に匹敵する渾身の大作、という感じだった。「オイディプス王」を根にすえているので、おそらく欧米の読者にも読みやすい作品なのだろうと思う。帯に「ハーバード・ブックストアで1位」と書いてあるし。 とりあえず外出する。ぼおっと『海辺のカフカ』の中の登場人物のことなどを考えながら。一番共感を覚えるのは「大島さん」の存在だな。この人がどういう人かを書くとややネタばれなので遠慮するが、非常に中間的というか境界的というかどこにも属さないという感覚を自分の知性と意志によって平常に保っている姿に自分自身のある種のイデア、あるいはあるべき姿のようなものが投影される。資産家が残したのん

  • 「村上春樹は夏目漱石以来もっとも重要な作家」/ファッションリーダーとしてのウィンザー公

    昨日。村上春樹『スプートニクの恋人』読了。なんだかぼおっとしてしまった。なんというか、うまく言えない。ディテールについてはいいたいことは結構あるのだが、とりあえずそういう問題ではない、という感じだ。村上の短編は奇妙な感じというのがあるが、『スプートニクの恋人』はラスト近くを読んでいるとなんだか気が遠くなるような感じがしてきた。いろいろ始末のつかない感情や感覚や思考が出てきてぼおっとしてしまうと言うか。普段は仕舞っていてなるべく外に晒さないようにしている、というよりそういうものが仕舞い込まれていたということさえ忘れていたような感情や感覚や思考が次々に繰り出されると言う感じである。短編でもそういうものを部分的に感じはしたのだが、長編になるとその露出が格的になり、あとで自我を収拾するのに一日くらいかかる、『スプートニクの恋人』というのはそういうところがある。 『スプートニク』のもとの意味は旅の

  • 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と『ノモンハンの戦い』

    今日は朝から荒れ模様だ。風は強いし、雨も断続的に強く降っている。春の嵐。この部屋は、外の様子がよくわかる。家の後ろの、桜はそれでも、だいぶ開いてきた。もう数日で見頃になるだろう。 昨日は午前中散歩に出かけ、お城の桜を見に行ったのだが、まだここも満開というほどではなかった。しかしもう花見気分の人たちはたくさんいて、お城の護国神社も華やいだ雰囲気だった。染井吉野だけでなく、やや紫がかった私の好きな桜(里桜系だと思うのだが、品種はわからない)も咲いていて、満足だ。昨日は水曜で駅前の商店街は休日なのだが、お城の向うの三〇〇メートルくらい歩いた川の向うの書店は開いている。この書店は昔は仕事場の近くにあったのだが、広い場所に移転して、文房具も書籍もそれなりに置いてある。思いついて、この書店に歩いた。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』が気になっていたので探すと、三冊揃っていた。とりあえず第一部のみ購入。

  • 村上春樹/作家とはどういう人間か

    昨日の夜には雨が上がったと思っていたのだが、朝起きて外を見ると路面は濡れていた。紫陽花も色鮮やかになってきたし、雨の季節がやってきたのだと思う。改修工事は続いていて、今週はベランダの床面の塗装。今朝ベランダを見たら、エアコンの室外機が持ち上げられて、細い鉄棒の四足の台の上に乗せられていた。 シューベルトのピアノ三重奏曲第一が気になって、今朝もミュージックプラザを聞く。金曜日午後の再放送が月曜朝なのだ。新しいCDの紹介と言っていたから、CDは出ているはずなのだけど、つまり山野楽器では売り切れだったと言うことだ。(確かめなかったけど)急に思いついてカセットに録音する。そこら辺にあった名前の書いてないのに録音したのだけど、今聞いてみたら下に録音してあったのが消えてなくて、不思議なミックスミュージックになっていた。(笑)やはり慌ててはだめだ。もう少しインゼマールを聴いてやはり不満だったら改めてブ