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ブックマーク / mmpolo.hatenadiary.com (4)

  • 『今を生きるための現代詩』が秀逸だ - mmpoloの日記

    渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』(講談社現代新書)がすばらしい。タイトルが分かりにくいが、現代詩の入門書だ。そういうと何だか七面倒くさい感じがするが、書は掛け値なしの名入門書と言える。 現代詩を読む人はきわめて少ない。わが尊敬する岳父もぼくは詩は分からないと言う。私は少しは分かるつもりでいた。ところがどうして、書を読んでちっとも分かっていなかったことに気がついた。詩の入門書というと、代表的な詩をあげてそれを解釈してみせてくれる。あるいはアンソロジーを示して詩の世界へ誘うという戦略を取っている。書はどうか。 渡邊は中学2年の教科書に載っていた谷川俊太郎の詩「生きる」を挙げる。この簡単にみえる詩がのみこめなかったという。この詩が中学の教科書に採用されたのは、教科書を作った人たちが、この詩は平易な言葉で書かれているから分かりやすいと考えたせいだ。しかし、語彙や文法が日常的なものでも、作

    『今を生きるための現代詩』が秀逸だ - mmpoloの日記
  • 開高健「人とこの世界」再び - mmpoloの日記

    開高健「人とこの世界」を図書館で借りてきて読み始めたら面白くて、屋へ行ってちくま文庫を買ってきた。作家たちとの対談集だ。広津和郎、きだみのる、大岡昇平、武田泰淳、金子光晴、今西錦司、深沢七郎、島尾敏雄、古沢岩美、井伏鱒二、石川淳、田村隆一らと、この順序で対談している。そして古沢岩美まで読んだところで、過去に読んでいるかもしれないと思った。日記を検索すると、去年の8月に読んでいて、しかもブログにまで紹介していた。何という忘却力だろう! 悲しくなってしまう。ちなみに去年読んだのは中公文庫だった。 気を取り直して、感心したくだりをちょっとだけ引用する。 明晰なイメージをひらいてみせてくれた人が戦後の文学界に何人かいる。それは大岡昇平、三島由紀夫、長谷川四郎、高杉一郎といった人たちの作品である。 解説を佐野眞一が書いている。それがいい。 開高健の代表作をあげろと言われれば、小説では『夏の闇』、評

    開高健「人とこの世界」再び - mmpoloの日記
  • 梶井基次郎「檸檬」を読んで - mmpoloの日記

    世評の高い梶井基次郎「檸檬」(集英社文庫)を読んだ。実は梶井を読むのはこれが初めてだった。この集英社文庫は鈴木貞美のていねいな解説が付いている。 ……梶井基次郎の作品世界はどれも、結核に冒されたひとりの青年の経験を、その具体性のままに書いたにすぎないようなものであり、決して、ひとの耳目を引くような新しさを誇るものではなかった。書かれているのはほんの些細な気持ちの変化ばかりで、大きな社会の動きとはほとんど無縁なものでしかない。小説の魅力のひとつである、読みながら全く別の世界を経験するような感動も得られはしない。 にもかかわらず、その作品は没後次第に評価を高め、戦後の一時期には文学青年たちから崇拝に近い感情を集めることになる。 実際、同世代の作家でいえば、川端康成や横光利一、井伏鱒二らの称賛を集め、批評家でいえば、先にあげた小林秀雄のほかには河上徹太郎がその価値を何度も論じた。少し世代が下がる

    梶井基次郎「檸檬」を読んで - mmpoloの日記
  • 村上春樹の小説を長谷川龍生が体験していた - mmpoloの日記

    村上春樹の短編「どこであれそれが見つかりそうな場所で」(「東京奇譚集」所収)は失踪した夫の捜索を依頼された探偵の物語だ。探偵とはいっても報酬を受け取らない個人的ボランティアだが。 夫はある日と住むマンションの26階の部屋から夫の母親の住む24階の部屋に行き、しばらくしてこれから戻るからと電話を入れたまま行方不明となる。結局20日後に仙台駅の待合室のベンチで寝ているところを警察に保護される。無一文で20日分の記憶を無くしたまま。 この物語は長谷川龍生の「虎」という長編詩を思い出させる。長谷川はシュールレアリスムの詩人。「虎」には作家自身の解説が附されている。 1958年9月23日・ぼくは仕事のあとの昼睡から目が覚めた。身体じゅうから異常な悪臭がたちのぼっていた。前日から飯類のかわりに、鍋いっぱいに煮つめてある蛤ばかりをべていたせいかもしれない。(中略)代々木病院の御庄博実先生に診察しても

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