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2013年12月17日のブックマーク (24件)

  • 【きょうの人】アイドルオーディションに挑戦した中也賞詩人 文月悠光さん(22) - MSN産経ニュース

    ■「詩は短いからいろんな場所で存在できる」 現代詩の登竜門、中原中也賞を最年少の18歳で受賞し、一躍注目されたのが平成22年。「自分の詩が個性としてどれだけ通用するか試したい」。早稲田大学教育学部の4年生となり、そんな思いから応募した女性アイドルオーディション「ミスiD2014」(講談社主催)で9月、審査員の個人賞を射止めた。最終選考に残った34人全員に心を込めた詩を贈って個性をアピール。審査員から「日で唯一のポエドル(ポエム+アイドル)として歩いていって」と激励された。 「自分の可能性が広がった」。照れくさそうな笑みに充実感がにじむ。 札幌市生まれ。詩作に目覚めた小学校4年のときの記憶が、自由な活動に駆り立てる。教科書に載る詩に近寄り難さを感じていたある日、図書館で手に取った無名の高校生の詩集に目を見開かされた。「敷居が高くなくて近しい感じ。自分もまねして書いてみよう、って」。高校在学

  • 【20代 詩人の世界】周りを受け入れるために : ニュース : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    学校などを題材にした第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で2010年、中原中也賞を受けたのは高校3年生の時だった。 「史上最年少18歳の中也賞詩人」と称された彼女は、早大4年生になった。ほぼ4年ぶりの第2詩集『屋根よりも深々と』を今月出版したばかりだ。 「日常生活の中で感じる言葉にならない違和感のようなものを、私は詩にしてきました。10代のころは特にそれが強く、『自分以外の他者は敵』といった敵対感が強かった。けれど、20歳を過ぎたあたりから、周りと闘うためではなく、受け入れるための詩といった気分が出てきました」 私を子ども扱いするのなら 地球、お前を産んでみせよう。 子宮の内にふくらませ、 お前をひそやかにまわしてやる。 「大きく産んであげるね、地球」と題した作品の一節だ。31編の中には、祖母の死や父への思いを書いたものもある。鋭い感受性を武器に世界と立ち向かった以前と比べ、言葉が温か

  • 【20代 詩人の世界】自分という存在自体が矛盾 : ニュース : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

  • 【20代 詩人の世界】期待と不安…未熟さを形に : ニュース : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    未熟で、感じやすかった頃は誰の中にもある。この詩人の第1詩集で、昨年の中原中也賞を受けた『ウイルスちゃん』は、多くの人の心の奥底に眠る記憶を呼び覚ます。 ただ、 仄(ほの)かに青白む 冷えた窓にくりぬかれた わたしは 二十歳でした いっさんに駆けぬけ 燃えしきる工事場のランプを 見つめた、 わたしは 身体分だけの身体で あの場所に座し いずれ掻(か)き消えていく ひとつの灯(あか)りでした 未知なる自分への期待、その裏側の不安、行き場の見えない愛や衝動が、夜の水銀灯のような言葉で刻まれてゆく。「当時はまだ、何も始まってない感じがして、狭く居心地いい世界から抜け出したくない気持ちもありました。今では、昔に書いた詩のように思えます。20歳過ぎの自分をパッキングして、瞬間フリーズドライしたみたいに」 横浜市生まれ。子供の頃から宮沢賢治が好きで、中学からインターネット上の詩のサイトに投稿を始めた

  • 東京新聞:パウル・ツェラン 飯吉 光夫 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 パウル・ツェラン 飯吉 光夫 著 Tweet mixiチェック 2013年10月13日 ◆ユダヤ詩人の魂読む [評者]守中高明=詩人・早稲田大教授 戦後ドイツ語圏における至高の詩人パウル・ツェラン-その作品を半世紀にわたって傑出した翻訳を通して紹介し続けてきた第一人者による全論考をまとめた一冊だ。没後四十年以上を経た今日、ツェランはその栄光を極めつつあるように見える。たとえば、ドイツのズールカンプ社から全十六巻の歴史校訂版『ツェラン全集』が刊行されることによりその仕事の全貌が明らかになり、夥(おびただ)しい学術論文が世界中で書かれることで、詩人の地位は不動のものとなったかのようだ。 だが、ツェランを読む営みは、文献学的環境が整えば進むわけではない。著者はここであえて「研究」に背を向け、詩

  • どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

    今年アニメ化された押見修造の『惡の華』(講談社コミックス)のおかげで、ボードレールの『悪の華』にふたたび注目が集まっているようだ。訳者の一人として、喜ばしく思う。 惡の華(1) (少年マガジンKC) 作者:押見 修造講談社Amazon 押見の『惡の華』は読んでいたが、私自身、しばらくボードレールから遠ざかっていたし、そもそも読んだことを公言することがはばかられるようなマンガだということもあり(笑)、なかなかそのことを書く機会がなかった。これだけ大きくボードレールを看板に掲げた作品なのだから、おそらく私以外のボードレールの訳者や研究者も一巻くらいは読んでいるのではないか。 いい機会なのでこのマンガの感想を書いておこう。ボードレールの『惡の華』を愛読する主人公の春日高男は、ある日、想いを寄せていたクラスメイトの佐伯奈々子の体操着を盗む。春日はそれを見ていたクラスの嫌われ者の仲村佐和に脅迫され、

    どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
  • 中尾太一とは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな

  • 【記者ノート】現代詩文庫に新しい息吹 : ニュース : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    同時代を代表する詩人の作品を各人別に一冊でまとめて紹介する「現代詩文庫」=写真=の200巻台の新シリーズ刊行が始まった。 この文庫は、1968年に創刊された。詩人の代表作がコンパクトに読める文庫として愛され、第1巻の田村隆一から鮎川信夫、吉岡実など、着々と出版を重ねた。92年には松浦寿輝さんの巻が101巻として出され、100巻台には野村喜和夫さん、小池昌代さんらが名を連ねる。文庫のラインアップは、活躍する詩人の変遷を映している。 版元の思潮社では7月、201巻から装丁を一新し、3冊を出版した。201巻が芸術選奨新人賞などの受賞歴がある蜂飼耳さん、202巻は高見順賞を最年少で受けた岸田将幸さん、203巻は中尾太一さんと、実力派として評価の高い30代の3人が並んだ。 <音たてちゃ いけない 今夜は/もの音たてちゃ いけない/背をあわせ うつろの胴は長くして/横たわる 濡れた眼玉に/すがた映し合

  • 三角みづ紀 - Wikipedia

    鹿児島市立城西中学校在学中に毎日中学生新聞にて、1クール大賞という写真の賞を受賞する。そこから戦場カメラマンになることを夢見るも、鹿児島県立武岡台高等学校を経て、映像の道へ進む。東京造形大学の卒業制作においては、ZOKEI賞を受賞する。詩の投稿サイト文学極道に詩を投稿していた。 2001年、膠原病の全身性エリテマトーデスを発症。奄美大島における療養中に、12歳から始めていた詩作を投稿するようになり、2年にわたる投稿の後、2004年に現代詩手帖にて第42回現代詩手帖賞を受賞する。同年、処女詩集「オウバアキル」を刊行、第10回中原中也賞を受賞する[4]。 2006年、ステロイド剤の副作用による大腿骨骨頭壊死による右下肢機能障害を負う。同年刊行の第二詩集「カナシヤル」においては、第18回歴程新鋭賞、2006年度南日文学賞を受賞する。 2008年、第三詩集「錯覚しなければ」を刊行。 2009年、

  • 日和聡子 - Wikipedia

    日和 聡子(ひわ さとこ、1974年9月27日[1] - )は、日の詩人・小説家。 経歴・人物[編集] 島根県邑智郡邑智町(現・美郷町)に生まれる[2]。島根県立大田高等学校、立教大学文学部日文学科卒業[3]。卒論は梅崎春生論。2002年、詩集『びるま』で第7回中原中也賞を受賞[4]。同作はもともと私家版だったが、受賞をきっかけに青土社から再刊された。その後小説も書くようになる。2006年、「尋牛図」が第32回川端康成文学賞で候補作に選ばれる[5]。2008年、『おのごろじま』が第21回三島由紀夫賞で候補作に選ばれる[6]。2012年、『螺法四千年記』で第34回野間文芸新人賞を受賞[3]。2016年、詩集『砂文』で第24回萩原朔太郎賞を受賞[7]。 作品リスト[編集] 詩集[編集] びるま(2001年3月 私家版 / 2002年4月 青土社) 唐子木(2001年3月 私家版) 風土記(

  • 岸田将幸 - Wikipedia

    岸田 将幸(きしだ まさゆき、1979年 - )は、日の詩人。愛媛県出身。 略歴[編集] 早稲田大学第一文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科日語日文化専攻修士課程修了。 1999年より詩誌「早稲田詩人」「鐘楼」「分裂機械」「生命の回廊」などに作品を発表(当初はキキダダマママキキの筆名で活動)。 小笠原鳥類は大学の先輩に当たる。 2004年に第一詩集『生まれないために』(七月堂)を出版。2006年、思潮社の叢書〈新しい詩人〉の一冊として『死期盲』を刊行し、第12回中原中也賞候補となる。 2010年、『〈孤絶‐角〉』で第40回高見順賞を最年少で受賞。2015年、『亀裂のオントロギー』で第6回鮎川信夫賞を最年少で受賞。2021年『風の領分』で第29回萩原朔太郎賞受賞。 2017年頃に故郷の愛媛県に戻り、アスパラガス農家として働いている[1]。 著作[編集] 詩集[編集] 『生まれないため

    inmymemory
    inmymemory 2013/12/17
    当初はキキダダマママキキの筆名で活動
  • 小池昌代 - Wikipedia

    小池 昌代(こいけ まさよ、1959年7月17日 - )は、日の詩人・小説家。 雑誌編集をしつつ詩作し、詩集『永遠に来ないバス』(1997年)で現代詩花椿賞受賞。川端康成文学賞受賞の『タタド』(2007年)で、作家としても注目される。ほかに短編集『ことば汁』(2008年)、『たまもの』(2014年)など。 経歴[編集] 1959年、東京都江東区深川に生まれる。実家は祖父の代からの材木店。江東区立明治小学校・江東区立深川第二中学校・東京都立両国高等学校を経て(石田衣良と同級生)、津田塾大学学芸学部国際関係学科を卒業。小学校時代からピアノを習い、高校で初めてヴィオラを学び、のちアマチュアのオーケストラや弦楽四重奏団に参加した。 1989年、林浩平、渡邊十絲子とともに、詩誌『Mignon』創刊。投稿により第6回ラ・メール新人賞受賞。 1995年、個人誌『音響家族』創刊。 1997年、詩集『永遠

  • 野村喜和夫 - Wikipedia

    野村 喜和夫(のむら きわお、1951年10月20日 - )は、日の詩人、文芸批評家、俳優。「歴程」同人。日ペンクラブ会員。 人物[編集] 埼玉県入間市に生まれる。埼玉県立川越高等学校、早稲田大学第一文学部日文学科卒業。明治大学大学院仏文学専攻博士課程中退。明治大学非常勤講師など、50歳までフランス語教師を務めた。 1993年詩集『特性のない陽のもとに』で歴程新鋭賞受賞。2000年『風の配分』で高見順賞受賞。2003年『ニューインスピレーション』で現代詩花椿賞受賞。2012年『萩原朔太郎』『移動と律動と眩暈と』で鮎川信夫賞受賞。同年『ヌードな日』、『難解な自転車』、英訳詩集『スペクタクルそして豚小屋』で、第50回藤村記念歴程賞を受賞。英訳詩集 Spectacle & Pigsty で 2012 Best Translated Book Award in Poetry (USA) を受

  • 松浦寿輝 - Wikipedia

    松浦 寿輝(まつうら ひさき、1954年3月18日 - )は、日の詩人・小説家・フランス文学者・批評家。東京大学名誉教授。毎日出版文化賞、高見順賞、読売文学賞選考委員。日芸術院会員。 『折口信夫論』(1995年)などの評論、『冬の』(1987年)などの詩集があり、小説では『花腐し』(2000年)で芥川賞を受賞。中年男を主人公とした幻想小説風の作品が多い。ほかの作品に『半島』(2004年)などがある。 東京都出身。幼少期から映画に親しむ。家のすぐ裏側が映画館であったと、初の映画評論集『映画n-1』の後書きに記されている。クリント・イーストウッド、ベルナルド・ベルトルッチのほか、特にアルフレッド・ヒッチコックの監督作品をこよなく愛しており、東大映画講義でもしばしば言及する。一方、ジャン=リュック・ゴダールに対しては、近年のあからさまなアジア蔑視に対して疑問を感じている。 1977年から

  • 吉岡実 - Wikipedia

    吉岡 実(よしおか みのる、1919年4月15日 - 1990年5月31日)は、昭和後期の詩人、装丁家。 シュールレアリスム的な幻視の詩風で、戦後のモダニズム詩の代表的詩人である。全286篇の詩作品と190点近い装丁作品を遺した。別号、皚寧吉など。 生涯[編集] 1919年、東京市所に生れる。「一度兵隊で外地へでた以外東京を離れたことがない」所高等小学校を卒業後、郷の医学出版社・南山堂に奉公。向島商業学校の夜間部に通うも中退する。 詩歌集『昏睡季節』(1940年)を刊行。 1941年の夏、召集令状を持った「郵便夫」がやって来て、吉岡は二日間のうちに二十一歳の詩集『液體』を整理編集し、原稿を小林梁、池田行之の二人に委ねた。その後、吉岡は「酷寒の満州」駐屯の若い一兵士として、「馬糞臭い兵隊の手に」(輜重兵として満洲を転戦、軍馬係であったので)、内地から送られて来た自分の詩集(『液體』、1

    inmymemory
    inmymemory 2013/12/17
    戦後のモダニズム詩の代表的詩人。
  • 鮎川信夫 - Wikipedia

    鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年(大正9年)8月23日 - 1986年(昭和61年)10月17日)は、日の詩人・評論家・翻訳家。別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。 戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。 第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。 生涯[編集] 鮎川らが1947年に創刊した第二次『荒地』 東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。母の幸

    鮎川信夫 - Wikipedia
    inmymemory
    inmymemory 2013/12/17
    戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる
  • 田村隆一 - Wikipedia

    田村 隆一(たむら りゅういち、1923年(大正12年)3月18日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日の詩人・随筆家・翻訳家。詩誌『荒地』の創設に参加し、戦後詩に大きな影響を与えた。 府立三商業学校在学中から詩を書き始めた。明治大学文芸科卒。 鮎川信夫・中桐雅夫らを知り詩誌「LE・BAL」などに参加。戦後は、黒田三郎らも加わって、第2次「荒地」を創刊。現代文明への危機意識をこめ、叙情と理知とが絶妙のバランスをなす散文詩を生んだ。処女詩集は『四千の日と夜』(1956年)。『言葉のない世界』(1962年)で高村光太郎賞受賞。アガサ・クリスティーなどの推理小説の翻訳でも知られる。 来歴[編集] 田村らが1947年に創刊した第二次『荒地』 東京府北豊島郡巣鴨村(現在の東京都豊島区南大塚)に生まれる。生家は祖父の代から鳥料理店「鈴むら」を経営していた。東京府立第三商業学校卒業後、東京瓦

    田村隆一 - Wikipedia
  • 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

  • 入沢康夫 - Wikipedia

    入沢 康夫(いりさわ やすお、1931年11月3日 - 2018年10月15日[1])は、日の詩人・フランス文学者。日芸術院会員。 第1詩集『倖せ それとも不倖せ』(1955年)以降、知的で技巧を凝らした独特の作品世界を築き、新境地を拓く。作品に『季節についての試論』(1966年)、『わが出雲・わが鎮魂』(1968年)、『遐い宴楽』(2006年)など多数。 経歴[編集] 島根県松江市出身[2]。東京都立西高等学校、東京大学文学部仏文科卒業。1955年、在学中に詩集「倖せそれとも不倖せ」を出版[2]。 詩集・詩論集を多く発表し、実作のみならず理論面でも多大な影響を与える。宮沢賢治[注 1]、ネルヴァル[注 2]等の研究でも名高い[2][3]。フランス詩の翻訳も行っている。 1998年、紫綬褒章受章[4]。2008年日芸術院会員[3]。 受賞歴[編集] 1966年、『季節についての試論』

    inmymemory
    inmymemory 2013/12/17
    「木の船」のための素描は名作
  • 安東次男 - Wikipedia

    1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ[2]。小学5年時に一家で神戸に移住[3]。第二神戸中学校卒業後[3]、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ[2]。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学経済学科を卒業[2]。海軍に志願し、敗戦時は海軍主計大尉。戦後、都立桜町高校社会科教諭、國學院大學フランス語講師などをへて、1966年東京外国語大学教授。1982年定年退官。 1949年(昭和24年)、詩作に転じ、抵抗派詩人として注目され始める。1950年(昭和25年)詩集『六月のみどりの夜は』(コスモス社)を刊行[2]、翌年6月、第二詩集『蘭』(月曜書房)を刊行する[2]など、旺盛に詩や評論を発表する。1960年代頃より、深い古典への造詣をふるって、松尾芭蕉の連句評釈を始め、古俳諧

  • 井坂洋子 - Wikipedia

    この存命人物の記事には、出典がまったくありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "井坂洋子" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年5月) 井坂 洋子(いさか ようこ、1949年12月16日 - )は、日の詩人。小説家の山手樹一郎は祖父。小説家の井口朝生、国文学者の井口樹生は叔父にあたる。 来歴[編集] 東京生まれ。上智大学文学部国文科卒業後、1985年まで自由学園女子部に国語教師として勤務する。 1979年、十代の女子学生の視点から女性の性意識や身体性を表現した詩集『朝礼』を発表して注目を浴

  • 『今を生きるための現代詩』が秀逸だ - mmpoloの日記

    渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』(講談社現代新書)がすばらしい。タイトルが分かりにくいが、現代詩の入門書だ。そういうと何だか七面倒くさい感じがするが、書は掛け値なしの名入門書と言える。 現代詩を読む人はきわめて少ない。わが尊敬する岳父もぼくは詩は分からないと言う。私は少しは分かるつもりでいた。ところがどうして、書を読んでちっとも分かっていなかったことに気がついた。詩の入門書というと、代表的な詩をあげてそれを解釈してみせてくれる。あるいはアンソロジーを示して詩の世界へ誘うという戦略を取っている。書はどうか。 渡邊は中学2年の教科書に載っていた谷川俊太郎の詩「生きる」を挙げる。この簡単にみえる詩がのみこめなかったという。この詩が中学の教科書に採用されたのは、教科書を作った人たちが、この詩は平易な言葉で書かれているから分かりやすいと考えたせいだ。しかし、語彙や文法が日常的なものでも、作

  • セルゲイ・エセーニン - Wikipedia

    セルゲイ・アレクサンドロヴィッチ・エセーニン(ロシア語: Серге́й Алекса́ндрович Есе́нин、Sergei Alexandrovich Yesenin、1895年10月3日(ユリウス暦9月21日)- 1925年12月27日[1])は、ロシアの叙情詩人。20世紀のロシアで最も人気があり有名な詩人のひとり。 伝記[編集] 生い立ち[編集] エセーニンはロシア帝国リャザン県(ロシア語版、英語版)コンスタンチノボ(ロシア語版)で小作農の家庭に生まれ、幼少の頃は祖父の家で過ごし9歳の時から詩を書き始めた。 1912年、モスクワに転居し印刷会社の校正の仕事で生計を立てた。翌年、エセーニンは学外生としてモスクワ大学に入学し1年半学んだ。エセーニンの初期の詩はロシアの伝承に着想を得たものである。1915年、エセーニンはサンクトペテルブルクに転居しアレクサンドル・ブローク、セルゲイ

    セルゲイ・エセーニン - Wikipedia
    inmymemory
    inmymemory 2013/12/17
    ロシアの叙情詩人である。20世紀のロシアで最も人気があり有名な詩人
  • スプートニク日本ニュース|経済、科学技術、ビジネス、政治ニュース

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