「ゲームマスターが倒せない」(sm1906803)がうp主の心にクリティカルヒットしたので、家に来たばかりのミクたんに歌ってもらいました。VOCALOIDも動画作成も初めてなのでかなり粗があります。本人は自戒を込めた練習のつもりなので、温かく見守っていただけると助かります。◆こんな時に修正版⇒sm3598752
こないだ、セッションに参加した初心者の方を駅に送っていくとき、説明が上手だ、と言われ、 「残念ながら、自分はTRPGをしているから説明が上手になったのでは無く、接客業で、交渉が上手になった」 と返答したことがある。 そうなんだよなー なーんでゲーマーは、交渉下手なのか、をそこで考えてみた。 TRPGは、自分の内側のものを表現する、内向的創造を行うものだが、 接客は、対人技術を研磨し、外向的創造を行う。 TRPGにおいては、自分の考えを表現し、それを相手に理解してもらうことが重要。 対して、接客業では、相手の要求と、こちらの要求を摺り合わせることが必要なので、相手に理解してもらう、のでは無く、相手を理解することが必要。 割と前に岡路邸にあげた「悪性TRPGゲーマー論」の中でも、この事を述べているが、これを、上記の主旨を強調して、書き直しを行いたい。 以前、2chでアンチFEAR論として紹介さ
キャラクターの性格からキャラクターの行動を決める(=PC視点)ことと、PLの視点からキャラクターの行動を決める(=PL視点)、どちらか一方をより優れているという人が考えを展開されたので、ちょっとそれに対して考察。 最初に結論を書くと、PC視点、PL視点、この二つの視点のバランスが取れている状態が優れているのであって、どちらかに偏った視点はそれ*1よりは優れていないのではないだろうか。 PL(メタ)視点で行動する際のいただけないと思われがちなのは、戦闘の勝率やセッションの成功率を上げるためにシナリオのドラマ性を損ねたり*2。 一方PC視点で行動する際のいただけないと思われがちなのは、キャラクターの性格で行動させるようするあまり、シナリオから外れていき*3、その補正*4をGMに求めたり、展開を無視した行動をしてしまう事だ*5。 こと私がGMをやってる場合は、「ミッション攻略」や全体の生存率(戦
以前ほど入れる気合はありませんが、久方ぶりにTRPGのレポなど。というか何だかちょこちょこカルテットがどうのこうのと酷い面ばかり聞いていた“りゅうたま”に参加してみたのです、半分怖いもの見たさで。 表題通り、普通に楽しめてしまったのですが?w 一緒に参加していた他2人にGMも普通に楽しんでいたようだし、別にボクが変というわけではないだろう、きっと。 よーするに細々と食料がどうだ、方角がどうだ、野営の様子がどうだ、ということを細かに判定&描写させるようにルールで仕向けることで旅そのものをしっかりとクローズアップして楽しめるようにしているシステムなのだね、おそらく。そのため、“そのへんちゃんと描写しないとペナルティ”などというところばかりピックアップすると何だか悪く聞こえるだけなのだろうな、もったいない。 実プレイの方では、特にちょっと進みにくい地形で豪雨で雷まで降りてきたおかげで、丸一日進む
僕たちのアポカリプス、なんていい続けて何年たったかわからない。 そうして、僕たちは、ようやく僕たちのアポカリプスを迎えようとしている。 今日のお話は、その最初の、最初の話。 ワーウルフたちは、 自分たちのケルンであったこととか、過去とか、 決別することも前を向くこともいまいちできなくて、 でも気がついたら時がたってしまっていた。 ストーリーテラーだった僕は、ちょっとひどいなと思うくらい みんなのキャラの設定を忘れてしまっていて、 やりながら思い出されればいいやなんて簡単に思ってたのだけど、 みんなが、メモだらけのキャラクターシートとか、セッションレポートとかを眺めながら いろいろ思い出しているのを見ると、 自分だけが、設定と向き合わないわけにはいかないなと、そんな気分になって 少しがんばったよ。 戦いも謎解きもない、久しぶりのワーウルフだったけど、 僕たちの呼吸でセッションができたこと、
さて、今回「ロール&ロール vol.41」の「ソード・ワールド2.0」の記事を見て思うわけですよ。「変え過ぎだ!」ってね。 版上げで一般的なのは「ルール&データの変更」だろうね。世界観はそのままとか、数年時間を進めた程度ってのが多い。F.E.A.R.ゲーの版上げはもろにコレだよね。 で、他の版上げとしては「世界観の変更」ってのがある。まぁ、これには大抵ルールの変更ってのも付いて回るので、「ソード・ワールド2.0」はこれに当たるわけだ。 確かに「世界観の変更に加えてルールも変更」ってのは今までのTRPGにもある。例えば「ワールド・オブ・ダークネス」シリーズも「ヴァンパイア:ザ・マスカレード」と「ヴァンパイア:ザ・レクイエム」等では世界観もルールも全然違う。なので、珍しいってわけではないだろう。 じゃぁ、何で「ソード・ワールド2.0」は「変え過ぎ」と思うのだろう?やっぱり「良くも悪くも根幹がな
▼さて、新キャンペーン考え中なわけですが、なんだかコンピュータ RPG(CRPG)みたいな作りになりつつあるなーっつーかそんなような不安がひしひしと。 つーか、自分が欲しいと思う自由度を追究してくとなんだかそんな方向性になってしまってるわけでして。 ん? 「CRPG が自由とかどういう寝言だよ」? んー。それがな。実のところ、ある種の(ってかまぁ古きよき)CRPG って実は相当に自由だったりするよなぁ、と思うことが最近なぁ。 そりゃ、倒した大蛇をカバヤキにして食べます(たしかファイティングファンタジーのルールブックに載ってたネタ)、とか口走る自由度は TRPG には遠く及ばないでしょうとも。フローラかビアンカかどっちか選ぶしか選択肢はないし、どっちを選ぶにせよプロポーズの言葉を自由に綴れるわけでもないし、目の前の扉のむこうに敵ボスがいるのはわかってるのに事前に支援呪文をかけとくこともできな
先月、1月27日にHOBBY-JAPAN社屋にてHJ-CONに珍しく回転翼名義で参加しました。GM及びパーティの皆様には楽しいプレイができましたことあつく御礼申し上げます。 D4+5の2回攻撃、やりすぎ。D&D脳(笑) 今日はTRPGにおける一本道の話。 一本道と云えばGMの想定したシナリオ展開を外れないセッション形態のことを意味します。迷宮探索がメインだった時代においては入り口と出口が1つずつで、迷宮をくまなく探索する意味がなく、まっすぐ出口に向かえばそれでよしと云うシナリオのことを指していました。 これが物語の追体験がメインとなったここ10年ほどのTRPGでは、物語のプロットが迷宮の変わりになり、GMが構成作家よろしく組み立てたシナリオ展開を遊び手たちはメタの立場から追体験するという遊び方が主流となりました。この段階での一本道とは、物語の構成に分岐がなく、終始1つの価値観で統一されてい
ゲーム性…その微妙な言葉に踊らされますw。 ストーリー要素の多い遊びには、”ゲーム性がない”という批判がしばしば浴びせられます。選択肢がないなら小説にすればよいのでは?とか、そういう言葉もよく聞きます。しかしそれが果たして本当かなぁと常々思っていました。 選択肢の多さがゲームのよさとは関係ないという主張には納得できる方もいると思うのですが、では”選択肢がない遊び”までゲームだといわれるとなかなか賛同しにくいのではないかと思います。 そんな中、美少女ゲームは「ゲーム」なのか - ITmedia NEWSを読みました。エロとかキャラクター攻略主体のギャルゲーの選択肢ってそんなにおもしろい選択肢を提供していないと僕も思いますが、かといってほぼ一本道のギャルゲに強く”ゲームらしさ”を感じることもあります。 あんまり長く書く気はないので、すぐに答えを言ってしまいます。といっても引用から入るのですがw
「千夜千冊・虎の巻」を読んだあとすぐ買ったのに、ようやくちょっと前に読み終わりました。積みすぎだねえ>自分 楽しく読めましたが、これは「千夜千冊…」を読んでいないと読みづらい本かもしれません。筆者独特の考え(言葉の定義)に慣れるのが大変で、わりと話もあっちこっちいくので、論旨を追うのも大変でした(これは自分の読解能力が低いだけかもしれんけど)。 たとえば〈編集〉という言葉は、ひろく情報処理一般にかかわる言葉として定義されています。「情報の構造を読み解き、それを新たな意匠で再生する」(p.19)という意味ですね。こういった意味で、「ラグビーは編集である」という言葉が引用されたり、文庫7冊のレ・ミゼラブルが絵本になったりする例があげられています。 あと、編集されたもの同士が関係あるものである、という「関係性を保証するもの」として、〈エディトリアリティ〉という造語が定義され、これが本書のキーワー
深淵シナリオ作成中だったりいろいろあったりして頭の中でぐるぐる回ってますが、久々に続きを。 1)PCを分類する 別にPCをPLが勝手に作ってきたとしても、PCをシナリオ上、数タイプに分類して、タイプ別に定型化したリアクションをすれば良いだけである。 例:深淵2版シナリオ「落雷」参照 メリット: ・隠しハンドアウトみたいな感じ。PCがどういうキャラであるかを事前に決め打ちで決め付けてしまうことで、ある程度穿ったシナリオ構築が出来る。 -- 2)PLが考えるPCにとって親しいNPCを類型化した立ち位置に当てはめることで、インスタンス部分を事前に考える手間が省略可能になる 例:ラスボスはPCの父親だ。 メリット: ・シナリオ中の設定をPLに考えてもらうことでGMの負担を軽減できる ・PL自身が設定を考えることで、設定への思い入れを築くことが出来る -- 3)全ての分岐処理はテンプレートによってク
Scoops RPG2008年02月号が公開されました。 ■Scoops RPG http://www.scoopsrpg.com/ 今回も牡牛さんの『TRPG総論』が2本、公開されています。とても面白いです。ぜひ読んでみてください。 詳しい感想はいつか「読者の声」などで送った方がよいかとも思っているのですが、とりあえず軽くコメントしておきます。 『Aの魔法陣』における「外延近接戦」 今回のコラム「あとがき」の部分に、『Aの魔法陣』について触れた部分があります。 <後書きめいたホンネ話> 今回は、内容と伝達の両方で、かなり厄介な話にチャレンジしています。 ソシュールの「恣意性と分節化」に似てる気もしますが、専門じゃないんで確信が持てません。 もっとエレガントな説明があれば、ぜひ教えてほしいものです。 元ネタは人工知能の本から考えていったもので、途中からAマホに繋がりました。 「ノーアビリテ
半径1クリック界隈で「天空盤」というゲームが話題になっていて、 http://tenkuban.jp/www/index.html これ、私たちが知っているドイツのゲーム(ガイスター)とそっくりおなじシステムなのだった。どういう経緯でこのゲームが売られているのかはよく知らない。 さて自分の感情を含めて、それっぽい反応を考えてみる。 なんだこれ丸パクリじゃないか ルールは著作物として保護されてないから仕方ないのかな いやいや事実関係はわからないから早まって書くのはよくない 事実関係がどうあれ、元ゲームの名前を伏せるのはなぜ? 法的にシロでも、許可が取られていても、いい気分はしないな 第一高いだろ。ガイスター3000円くらいで買えるのに 云々。 私はツタヤでCDを借りるような人間なので、作者への愛があるなしという話になるとすみっこに縮こまらざるを得ない。 ツタヤでビートルズ借りたらビートルズ好
昨日の話の感想をいくらか。 公知の事実やすでにあるものを「おれの発明」と主張するイタさは、一つのプログラミング言語しか知らない(「掲示板スクリプト配布所」的な)イタさに通じるものがあるのかも知れない。 んーそう考えると、一つ知ってるだけまだいい、という感じもするな。 1. 久しぶりに陸ゲ部に何か書くか…という話題だ。既にあるものに名前を付けて、「おれの発明したゲームです」というのが問題なわけだが、逆張り大好きな私としては、当事者の白黒以前に、その視野の狭さこそがイタいのだ、というあたりを、強調したい。 私たちは無意識に、そのイタさに感情的になって反応している。 なぜイタさの話にずらしたいかというと、そのイタさは私たちも多かれ少なかれ持ち合わせているものだと思うから。 2. わたしたちは、ドイツのボードゲーム文化だとか、方便ではときどき言う。でも、実際にはわたしたちはドイツ人ではない。ただシ
■プレイヤーの必要とする情報 ゲームプレイとは突き詰めればプレイヤーがパッドのボタンを押す行為に他ならない。プレイヤーはゲームプレイ中にゲームの画面を見、スピーカーから流れるサウンドを聞くことで次にどのボタンをどのタイミングで押すかを絶えず判断している。とはいえ、プレイヤーはゲーム画面やサウンドの全てをゲームプレイの判断材料にしているわけではない。それらのなかからプレイヤー自身が必要と思われる情報を読み取っているわけである。 もしそうであるとすると、ゲーム制作者はそのことをちゃんと理解した上でゲームを作るべきである。プレイヤーがゲームをプレイするために必要とする情報を組み込むことを前提にゲーム画面を埋めるグラフィックやそれらのアニメーション、またスピーカーから流れるBGMやSEといったサウンドを作るべきなのだ。そうしなければプレイヤーは十分な情報が得られないままゲームを遊ばなくてはならない
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