⇒「人権」っていつから信仰の対象になったんだっけ? - 想像力はベッドルームと路上から ⇒本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去 自明云々は措き、理論的には人権概念は脱構築できない。カントなので。で、哲学理論の外部において事実性として「脱構築」されかねないことに対する危機感が、「脱構築」しうるものと「私は」「貴方は」認めるか認めないか、という「主体的な」問いとその分岐へとスライドしてしまうものか。むろん、サルトルにおいてはそれは正しいけれど。 「脱構築」しうるものと認めることそれ自体が人権概念に鑑みて後退であり時に体制順応主義を帰結する、というのはゼロアカは知らんがその通りだけれど、人権は超越論的な定言命令であるからして脱構築しうるものでない、というのが理論的な応答として限定されることも確か。ゆえに「財源が無いなんて言ってられない」のはその通りで、そ
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