ところで、我々の関心の対象である「社会」は、その抽象性ゆえに実証主義的な手続きで研究を行うことが困難な代物です。社会はその誕生と消滅を外部の制度によって保障されておらず、また、社会それ自体を具体的な制度に還元することもできません。そうであるがゆえに「社会はあるとも言えるし、ないとも言える」という何も言ってないに等しい言明が通用してしまうわけです。 歴史学における「理論」の必要性とは、このような存在を取り扱うことにあると言えるでしょう。非研究者にとっては往々にして、実証主義になじみにくい存在のほうが重要であり、研究者がそれを放棄すれば、神話やイデオロギーによる解釈がそれを占領してしまう。戦後のドイツに現れた社会構造史学派が、社会全体の構造を解き明かすことと、歴史学における理論の重要性を強調したのも、大まかに言えばこのような問題関心に基づいています。 〔社会構造史学派の基本的な立場とは〕考察対
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