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ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (14)

  • ララビアータ:ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』 - livedoor Blog(ブログ)

    イギリス的なものを代表するものと言ったら何だろうか? ゴルフ場の原風景ともなっている荒涼とした田園風景、人々が何の懸念もなく貶すことのできるあの味けない事、それらさえ、ギッシングの筆にかかれば、何とも懐かしいゆかしいものに変わる。 しかし、特に注意を引くのは、イギリス中産階級の持つ確信に満ちた良識である。彼らは平凡に流れることを恐れない。わざとらしい新奇なもの、独創をてらった病的な個性を目指したり、「天才的な」例外を無理に装うようなことは決してない。むしろ、凡庸な一般人に共有された信念の中にこそ、最も信頼すべき基盤を見出さねばならないという確信がある。 ヘンリ・ライクロフトに、このようなイギリス的良識を見ることができる。この精神は、自分を見失う危険の大きいところにおいてさえ、ある種の公正さ・正義の感覚を失わない。このような公正さにしがみつく努力は、それがはっきりと描かれていないだけに、返

    iottena
    iottena 2013/08/07
    結論はともかく、前半のイギリス人の良識の話が。「社会性が」羨ましい。
  • ララビアータ:革命的法創造 - livedoor Blog(ブログ)

    先日テレビで、スペイン住宅ローンが払えなくなった人たちのことが取り上げられていた。よく知らなかったのだが、スペインでのローンは債務者にとって非常に過酷なものらしい。ローンの支払いが滞った場合、住宅物件の差し押さえ、強制排除はもちろんのこと、その物件が競売でローン残高を下回る場合、残りの債務を払い続けなければならない。不況下での競売では、当初の価格を大幅に下回るに違いないから、住居を失っただけではなく、巨大な債務を抱え込まねばならないことになる確率が高い。ローンの支払いが困難になったのは、スペインの債務危機で金融引き締め政策を押し付けられた結果、金利が急上昇したことによる。住人個人には全く責任がない事情で、このような過酷な状況に立たされるのは何とも理不尽に見える。 そんなわけで、このような事態に対処するために、住民たちが共同して金融当局と交渉し、ローンの一部免除を要求しているという。テレビ

  • ララビアータ:一万年の旅路 The Walking People - livedoor Blog(ブログ)

    驚くべきである。イロコイ族のネイティヴ・アメリカンの子孫(ポーラ・アンダーウッド)に伝えられた一族の口承史。それも、ベーリング海峡がかろうじて地続きであった時代、それを超えて来るはるかな旅を含む、一万年以上にわたる民族の歴史であるという。司馬遷の『史記』が書かれたよりも五倍古く、『史記』が描く歴史と比べても優に倍以上古いことになる。旧約聖書よりも、ホメロスの時代よりも、倍以上古い。そんな古い時代を歴史として伝えられていることが、信じられるだろうか? だいたい、同じ言語がつかわれていること自体あり得ることだろうか? ラテン語からロマンス語を経てヨーロッパ各国語に変化するのに、1500年ほどしかかかっていないのだ。一万年もたてば、言語自体理解しがたいほど変化していても不思議ではない。 もっとも、イロコイ族の口承は、単なる口移しの文句の丸覚えではないらしい。もっと包括的な人生体験であり、聴き手

  • ララビアータ:ベンヤミンの「神的暴力」とクライストの短編 - livedoor Blog(ブログ)

    ベンヤミンは、法を創造する暴力(神話的暴力)に対置して、法そのものを廃棄する「神的暴力」なるものを置いた。前者のわかりやすさに比して、後者はわかりにくい。 「神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は限界を認めない。前者が罪をつくり贖わせるなら、後者は罪を取り去る。」(『暴力批判論』岩波文庫p−59) とはいえ、ベンヤミンが挙げる例は乏しい。政治目標の達成する手段としての「政治的ゼネスト」に対して、国家権力そのものの廃棄を実現する「プロレタリア・ゼネスト」の例とか、旧約聖書『民数記』16章のコラーの徒党に対する神の裁きの例が、かろうじてあげられているにすぎない。 前者は、ジョルジュ・ソレルの『暴力論』から借りられたものであり、「政治的ゼネストが法措定的であるのに反し、プロレタリア・ゼネストはアナーキスティックだ」(p−51)とされている。つまり、「プ

  • ララビアータ:孫崎享『戦後史の正体』 - livedoor Blog(ブログ)

    書は、戦後の日外交を、対米従属派と自主独立派の抗争という視点から捉えたものである。我々がふつう信じ込んでいるより(あるいは信じ込まされてきたより)、米国の占領政策がいかに我が国の深部にまで及んでいるか、また独立後もいかに長く規定し続けているかを、克明に証明するものとなっている。 しかし、そのような粗筋や結論的主張を紹介するだけでは、このの魅力は伝えられないだろう。むしろ、外交を実際に担う個々人の行動がどのような結果と結びつくかという細部を描くことによって、外交のケース・スタディーとして多くの教訓に満ちたものになっていることが、書の特徴なのだ。 たとえば、つい先年(2010)ウィキリークスによって暴露された米国外交文書の中で明らかになった、2008年駐日イラン大使と駐日イラク大使の会談のエピソード(p−104)。それは、イラク大使から駐日米国大使館を通じて、国務省に報告されていたもの

  • ララビアータ:「真理の相対主義」について - livedoor Blog(ブログ)

    倫理的判断に対しては、観点や立場に相対的に主張可能である場合がいかにも有りそうに思われよう(たとえば、ある行動が快楽という観点からは善であるが、不健康という観点からは悪で有り得るなど)。それに対して真理を要求する判断においては、相対主義的主張は普通ずっと難しそうに思われる。以下、真理の相対主義といわれるものに対する私自身のスタンスを、概観しておきたい。 私は、真理を発見(アレーテイア)と見なし、科学的発見を概念の提案とみなす。即ち、科学的命題は、発見に寄与できる限り有用な概念装置であっても、それ自身は真であったり偽であったりするものではないと見る。たしか、トゥールミンもそれに近い考え方をしていたと思う。そこで彼は、「光は直進する」という幾何光学的法則を、普遍的真理というよりは、幾何光学的現象の発見の道具、ないしは説明の図式(作図方法の基礎)として見なすべきだと説明していたはずだ。 アリスト

  • ララビアータ:マクダウウェルの『心と世界』について - livedoor Blog(ブログ)

    このところMcDowellのMind and Worldを少し勉強しているが、その大枠が見えてきたので、簡単なメモを記しておこう。 マクダウウェルが退けようとする描像は次のようなものである。 我々の経験は外界から感覚への因果的刺激によって与えられ、それをもとに何らかの思考(悟性)が働いて、外界についての判断が生まれる。そのさい、判断を下すにあたっては、あれこれと思考を自由にめぐらし、言語的概念的意味を持つ判断に結実するが、それ以前の感覚的経験そのものは、自然的因果にすぎない以上、何ら概念的意味的要素は含まれないはずだ。 このような見方をすると、非概念的なものから概念的なものへの飛躍は何ら理由に基づかないものになってしまうから、非概念的所与から理由に基づいた判断(合理的判断)がいかにしてできるのかが分からなくなってしまう。他方、そのような所与を否定するならば、我々の判断や信念は、しょせん他の

    iottena
    iottena 2012/07/20
    ララビアータ:マクダウウェルの『心と世界』について
  • ララビアータ:消費増税と整備新幹線 - livedoor Blog(ブログ)

    整備新幹線の三区間の事業が認可された。一方で、財政再建のために大幅増税を国民に求めておきながら、事業の収益性も怪しい新幹線に、ジャブジャブ税金を投下しようと言う。これを見て、もはや民主党政権のすべての公約は、根から反故にされたと判断せざるを得ない。前回の総選挙で民主党に投票した人々には、もはや民主党を支持するいかなる理由も存在しない。 この不況下で、公共事業の意義がないとは思わない。しかしそれなら、東北の被災地への大規模公共投資をなぜ組まないのか? そこでなら、公共投資は確実に大きな有効需要を生み出し得たろう。むしろそこには、大胆な国家支援が不可欠である。速やかで効率的な支援があければ、力強く復興を果たす地域の企業や地場産業がある。もし支援が遅れれば、それらは取り返しがつかない形で瓦解してしまうであろう。ここに投資してこそ、強力な乗数的投資効果が見込めるはずだ。 さらには、この災害をむし

  • ララビアータ:原発再稼働反対ツイッター・デモ - livedoor Blog(ブログ)

    いつものMcDowellの読書会の後、首相官邸前で、原発再稼働反対のツイッター・デモに参戦。6時半ごろ到着したとき自分で数えてみると、すでに千人ほどが集まっていたので、最終的に1700人という数は決して誇張された「主催者側発表」ではない。 もちろんこんな数で満足できるものではない。できれば二十万人ほどは集まってほしかった。それでも、無意味だとは思わない。 誰でも自由にマイクで発言できるようになっている。中学生か高校生のような若者でも、実に立派な話をする。インタヴューのマイクを向けられれば、一人ひとりがはっきりと自分の意見を述べる。それぞれがそれぞれの意見や心配をもっている。クリシェ(決まり文句)を言って何となくごまかすような者は誰もいないのに感心する。その人々が老いも若きも、恥も外聞もなく、せいいっぱいの声を張り上げている(むかしは、そういうのを「空気が入っている」と言ったものだ)。政党や

  • ララビアータ:安富歩氏の『原発危機と「東大話法」』(明石書店) - livedoor Blog(ブログ)

    初めはその題名を見ただけで、ちょっとあざとすぎるかと敬遠していたのだが、先日取り上げた『生きる技法』が思いのほか面白かったので、このも読んでみた。 書は、我が国のエリートたちが駆使する特有の話法を分析して批判するものであり、とくに原発危機をめぐる彼らの論理を「東大話法」として特徴づけている。その点についての氏の論述は期待通り的確なものであるが、ここではそれとは別に、期待以上に興味深かった近世以来の日社会についての氏の分析について、取り上げてみたい。 安冨氏は、近世以来の日社会を、果たすべき「役」(やく)と「立場」という観念で分析する。「役」の成立は「家」の成立と連動していると言われるから、役を果たすのは少なくとも当初は「家」であったことになろう。 近世以後の日社会は、「お上」または「公儀」から割り振られた「役」を果たす「立場」によって分割され、いわばそれを単位ブロックにして積み上

    iottena
    iottena 2012/03/08
    説得力ある説だ。近現代の日本社会を「役(やく)」と「立場」という観念で分析。
  • ララビアータ:死と言語(ハイデガー・フォーラム講演)(1) - livedoor Blog(ブログ)

    先日のハイデガー・フォーラムでの講演についての要旨を、フォーラム事務局に送った。いずれフォーラムの冊子で発表されるはずだが、商業誌ではないから、ここに掲載しても許されるだろう。以下、数回に分けてここに公表するつもりだ。 Ⅰニーチェ 我々はハイデガーの「ニーチェ」を論じることをしない。その理由は、ハイデガーがニーチェのテクスト論的問題を徹底的に無視しているからである。我々はと言えば、その点にこそニーチェの問題性を見るのである。それは、テクストが読者に対して挑戦し、誘惑し、試練にかけつつ選別するというパフォーマティヴな作用をもっているということである。オーステインはパフォーマティヴな言語作用について語りはしたが、自身の哲学をパフォーマティヴに展開したのではなく、あくまでもコンスタティヴに記述している。ところがニーチェにおいては、自身の主張内容がそのパフォーマティヴな言語使用と一体不可分なもので

  • ララビアータ:脱北者 - livedoor Blog(ブログ)

    在中日公館での「脱北者」保護を今後行わない旨、日中両国が合意したことが報道されている。政府は「国際ルールとの兼ね合いもありやむを得ない措置」としているという。 玄葉外相は「日中国からの脱北者受け入れをしないということは絶対にない」と言っているそうだが、この合意の正確な内容の公表を、政府が拒否している以上、にわかに信用できるものではない。日経新聞は「公館外で日政府関係者が脱北者と接触して公館につれてくることはしない、と伝えた。これにより、日政府が中国内で脱北者を保護するのは、脱北者が日国籍を持っている場合を除いて事実上、公館に駆け込むケースに限られることになる」と伝えているが、こんな内容であったとは思えない。もっと踏み込んだ内容であるから、公表できないのだろう。 もともと、日の在外公館は、亡命者の人権などについての配慮は二の次三の次である。そのような者に逃げ込まれては迷惑千万な

  • ララビアータ:田中聡の暴言 - livedoor Blog(ブログ)

    私はいままで新聞を取ったことがないが、新聞を無益なものなどとは考えない。世の中の動きを知るうえでは、ほとんど役には立たないが、新聞の動きを知るうえでは有益である。先日、行きつけの定屋で読売新聞(2日朝刊)を見たら、例の防衛省の田中聡沖縄防衛局長の暴言についてなかなか面白い動きを見せていた。 琉球新報の普久原均編集局次長が、読売新聞の取材に対し、「著しく人権感覚を欠いた発言で、広く県民に知らせるべきだと考えた」と回答。記者が懇談の場で田中氏にオフレコの撤回を求めなかったことについては、「想像できないような発言に記者が驚いてしまったため、その場で田中氏にオフレコ解除を申し入れることはしなかった」としている。 とある。極めて興味深い記事である。読売の記者は、琉球新報によるオフレコというコードの違反をとがめ立てているのだ。しかし、そこに同席した琉球新報以外の記者たち(読売の記者も含む)は、どうし

    iottena
    iottena 2011/12/03
    日米戦争において、我が国は物量にではなく、民主主義に負けた。なのに未だに…、という結びの記事。
  • ララビアータ:ギリシアの破綻 - livedoor Blog(ブログ)

    先日、テレビでギリシアの経済破綻について、いつもとは違った方向から分析を進めているのに出会った。これまでは、たいていの論者が、ギリシアは放漫財政をして世界に迷惑をかけているのに、一向に責任を取ろうとしないという論調だったと思う。デモばかりしてギリシア人は甘えているというわけだ。まるで、かつての国鉄の赤字体質を国労のせいに仕立て上げたような論調である。しかし、ギリシアに金を貸し付けていたヨーロッパの金融機関は、その一方で、自国の武器の多額の購買を、秘密の融資条件としていたことが明らかになっている。オリンピックの事業にしても、そのために多額の融資をもちかけては、ヨーロッパ各国はギリシアから受注していたのである。こうしてギリシアに借金を押しつけて、さんざん儲けてきたわけだ。その取引の多くは、賄賂がらみの不正なものであるから、ギリシア人が支払う義務のないものである可能性が高い。今何より優先されるべ

    iottena
    iottena 2011/11/12
    国家レベルのブラック金融だな、こりゃ。
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