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批評に関するirbsのブックマーク (70)

  • 聴くことの困難をめぐって - ゲンロンスタッフブログ

    2014-02-06 聴くことの困難をめぐって 仲山ひふみです。久しぶりにブログを更新します。といっても、すでにあるところで閲覧者を限定して公開したものなのですが、もっと多くの人に読まれるべきだろうという勧めを受けたのでこちらに転載します。 ところで、この記事のタイトルはダブルミーニングになっています。最後まで読めばその意味は察せられるでしょう。 *** 広島出身で聴覚障碍を抱えた独学の作曲家、佐村河内守の作品の作曲を、彼が実質的にデビューしてから現在にいたるまで、ほぼ無名の現代音楽作曲家である新垣隆が代行していたことについて書く。  最初にことわっておくと、僕は佐村河内の音楽を主に『鬼武者』のサントラで聴いて知っているが、別段評価に値するものだとは思っていなかった。それは当時も今も変わらない。こうした日的情緒を織り込みつつベートーヴェンからストラヴィンスキーまでのクラシック音楽の語彙を

  • 三森ゆりか『外国語で発想するための日本語レッスン』 - Jablogy

    外国語で発想するための日語レッスン 作者: 三森ゆりか出版社/メーカー: 白水社発売日: 2006/05メディア: 単行購入: 4人 クリック: 38回この商品を含むブログ (15件) を見る 書のタイトルである「外国語で発想するための日語レッスン」とは、「テクストの分析と解釈・批判」(critical reading)を母語である日語でも身につけておくことによって、外国語で中級の以上のレッスンを受けたり議論したりするときに必要になる基礎力を養おうというもの*1。 次の記事は日と欧米のライティング教育の違いからくる差を教えているが、リーディングにおいてもやはり状況は同じようだ。 BERD 2006年 6号:日米仏の思考表現スタイルを比較する ──3か国の言語教育を読み解く── 渡辺雅子[国際日文化研究センター助教授] 書の第1章で示されているのは、欧米の国語教育において「テ

    三森ゆりか『外国語で発想するための日本語レッスン』 - Jablogy
  • 「ナンバーガール」を懐かしんで考えてみた - あざなえるなわのごとし

    急にだが、ナンバーガールの事を書く。 なんとなく書きたくなった。 ナンバーガールは、日のオルタナティヴ・ロックバンド。1995年8月に福岡で結成され、2002年11月30日に解散。SUPERCARやくるりなどと共に、1990年代の邦楽インディーズ・シーンを象徴するバンドとして知られる。 90年代の邦楽ロック界。 イカテンでのバンドブームの余韻が残る中、多くのバンドは日向から日陰へ消え、ブランキージェットシティなど一部のバンドだけが生き残っていた。 ブルーハーツは諸般の事情(もごもご)により↑THE HIGH LOWS↓になってたし、ミッシェルガンエレファントのライブチケットは毎回ソールドアウト。ギターウルフは革ジャンを着て汗だくでビールを浴びるように飲み、おマンチェ好きはスーパーカーの「スリーアウトチェンジ」に見事打ち取られた。 そんな時代。 ナンバーガールを始めて知ったのは、当時観てた

    「ナンバーガール」を懐かしんで考えてみた - あざなえるなわのごとし
  • 「ガッチャマンクラウズ」論壇~80年代ヒーローの丈、ゼロ年代ヒーローの累、そして次世代ヒーローはじめちゃん~ - ふわふわスマイル

    2013-08-25 「ガッチャマンクラウズ」論壇~80年代ヒーローの丈、ゼロ年代ヒーローの累、そして次世代ヒーローはじめちゃん~ ガッチャマンクラウズの話をしようか。丁度いい区切りなんで。 「クラウズ」ははじめのウザ可愛さで色んな意味で牽引してるんだけど、あれの裏側の主人公……いや一周回って表側の主人公になってるのがGALAXの管理人やってる累だと思う。  1クールという事もあるんだけど、中盤に差し掛かってはじめ達ガッチャマンと累を上手くかち合わせたのは上手い流れだと思う。はじめの魅力的な所って、あそこで正体を明かせるところ。引きずらない。  ゼロ年代的ディスコミュニケーションヒーローってのはお互いに知らないままそのままずるずる終盤まで持たせて行っちゃう所なんだけど、はじめはあのタイミングで正体明かしている。顔を知らないままの「別の正義」ではなくて、合わせた上でどう手を組んでいくかって流

  • 『風立ちぬ』 - 内田樹の研究室

    宮崎駿の新作『風立ちぬ』を観てきた。 宮崎駿は「どういう映画」を作ろうとしたのだろう。 もちろん、フィルムメーカーに向かって、「どういう映画を作りたいのですか?」とか「この映画を通じて何を伝えたいのですか?」というような質問をするのは意味のないことである(「言葉ですらすら言えるくらいなら映画なんか手間暇かけて作りませんよ」という答えが返ってくるに決まっている)。 でも、映画の感想を述べる立場からすると、このような問いを自問自答してみるというのは、決して無意味なことではない。 映画というのは、それについて語られた無数の言葉を「込み」で成り立っているものだからだ。 お門違いなものであれ、正鵠を射たものであれ、「それについて語る言葉」が多ければ多いほど、多様であればあるほど、賛否いずれにせよ解釈や評価が一つにまとまらないものであるほど、作品としては出来がよい。 私はそう判断することにしている。

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  • 評判は?1分ねころぶ即効高血圧下げる「福辻式DVD」 | Gニャース

    アスカ鍼灸治療院の院長、福辻鋭記氏による、1分寝転ぶだけで高血圧を下げるという方法の効果が気になりますね。 Amazonレビューで口コミを調べると、効果には個人差があるようです。なお、Amazonでは再入荷見込みが立っていないようです。 2012年から発売開始の商品で、販売元は株式会社吉祥寺ネット一番。昔から福辻式DVDシリーズをはじめ多数の商品をプロデュースしている会社です。 購入を検討されているなら、こちらの公式サイトをすみずみまでチェックしたほうがいいですね。(*ネタバレはありません) もし、あなたが1分ねころぶ即効高血圧下げる「福辻式DVD」に関して有益な情報をお持ちでしたら、下記コメント欄にてお知らせください。

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  • The Red Diptych

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  • http://book.asahi.com/ebook/master/2012092800004.html

  • Marginal Soldier: セックスなんてくそくらえ

    2012年9月10日月曜日 セックスなんてくそくらえ ネットで、「意見」を言うことは誰にでもできた。ネットで「議論」をすることは誰にでもできた。誰しもが自由なネットを謳歌していた。誰しもが平等なネットを称揚していた。まったく、お話にならなかった。まったく、冗談ばかりだった。 ネットを介した意見や議論こそ無意味である、もはやそう言わなければ何もはじまらなかった。あらゆる知力を用いて、これをすべて無価値と断じなければならなかった。 ネットによって、私たちのつながりはますます希薄に拡散していった。そこで見られる正直さは、ほんとうのことを隠して形式的な率直さを褒め合うだけのゲームになった。ネットの平等な関係性は、嫉妬由来の悪意をいくらでも、誰に対しても投げつけてよいのだという手前勝手な卑怯さをもたらしただけだった。ネットがもたらした利点はことごとくが裏目に出ていた。そして馬鹿な若年層と中高年と

  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

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  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「千と千尋」はなぜ「湯女」なのか

    人は証拠や論理よりも、自分の信じたいことだけ信じる、という話の別例。 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に関しては柳下毅一郎の対談映画欠席裁判』その他で書いてきたとおり、娼館を舞台にした物語である。 しかし、そう指摘されると怒る人が多いんだ、これがまた。 主人公は「湯女」として働かされるのだが、国語辞典でも百科事典でも何でもいい。「湯女」という言葉を引いて欲しい。 たとえば『日大百科全書』にはこうある。 「温泉場や風呂屋にいて浴客の世話をした女性のこと。一部は私娼(ししよう)化して売春した」 『大辞林』にはこうある。 「江戸時代、市中の湯屋にいた遊女」、 『岩波古語辞典』だと「風呂屋に奉公し、客の身体を洗い、また色を売った女」。 「そういう見方もある」だの「そういう解釈もある」だのというレベルではなく、「湯女」とは「娼婦」を意味する名詞なのだ。 ただし、昔から風俗においては初潮前の少女は見

    ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「千と千尋」はなぜ「湯女」なのか
  • マキタスポーツがあるバンドのある曲の出現をすでに予言していた件 - シン・くりごはんが嫌い

    ハッピーMusicという番組を毎週楽しみに見ている。 この番組は格的なロックバンドから、西野カナ的な会いたくて震える系の音楽まで、わりとはば広くダイジェストのように紹介していて「へー、いまこんなのが売れてるんだぁ」とか「こういうバンドがでてきたんだぁ」と、最近の音楽の動向について知れるのだが、だらっと見てたら、とても衝撃的なサウンドが飛び込んで来て、すわ!なんだこれは!とすぐに動画を検索した。 まぁ、四の五のいわずにこちらをごらんください。 もうこの手の楽曲については何も言いたくないのだが、これの何が衝撃的だったかというと、明らかにこの曲で分析されたことをそのまんま再現していたからである。 十年目のプロポーズ アーティスト: マキタ学級出版社/メーカー: FUTABAMUSIC発売日: 2011/09/14メディア: CD クリック: 3回この商品を含むブログ (4件) を見る すでにテ

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  • JMM | 村上龍電子本製作所

    ◆ �from 911/USAレポート (隔週土曜日配信)◆ アメリカ・ニュージャージー州在住の作家、冷泉彰彦氏による最新アメリカ時事レポートを配信中 ※過去アーカイブは編集中です ◆ �内部被曝通信 福島・浜通りから (不定期配信)◆ 福島第一原発から23キロにある南相馬市立総合病院の非常勤内科医、坪倉正治氏による医療レポートを配信中 →過去アーカイブはこちらからご覧いただけます ■メールマガジン新規登録 【登録無料】 メールアドレスを入力のうえ、登録ボタンを押してください。

  • 「マイナーになること」は、超越性の創発の話 - Freezing Point

    フェリックス・ガタリ的な「マイナーな存在になること」とは要するに「父になること」の拒否、もっと言えば責任逃れの言説でしかなかったのかもしれない。 2012-03-12 21:27:36 via web 特異化や「lignes de fuite」(漏洩線)が逃避でしかない、というのは、彼らが日で流行した80年代以来の典型的な批判だったはずです*1。 「マイナーになること」*2で考えなければならないのは、まさにメタとオブジェクトの関係でしょう。以下、私の問題意識のメモです。 80年代の流行では、「スキゾ」を水平方向だけで語り、垂直方向の原理については何も語らなかった。浅田彰は快楽主義で良かったが、それは彼一人がうまくいっただけで、原理的には何のヒントにもなっていない。 硬直したツリーが解体されただけで、時間性を含んだ形で縦軸を設計しなおせていない。だから神学的前提に基づいたメタ言説の乱立にな

  • 上杉隆氏の華麗なる弁論テクニック - 未来私考

    以前より注目を集めていた町山智浩氏と上杉隆氏の公開討論「ニコ生×BLOGOS番外編「3.14頂上決戦 上杉隆 VS 町山智浩 徹底討論」 - ニコニコ生放送」がとても面白かった。上杉隆氏については今までTwitterでの断片的な発言や彼の周辺をめぐる言説を見て、単純に不誠実な人だなという印象しかなかったのだが、生で彼の弁論術を見て、なるほどこれは一種の才能であると敬服せざるを得なかった。なかなか貴重な体験だったので、せっかくだから彼の弁論術について私が感じいった部分を少し要約してみたいと思う。 1を聞かれたら10答える 彼の弁論術を支える基は、その言葉数の多さである。ごくごくシンプルな質問であっても、一見無関係なディテールから描き出し、質問の核心に触れることを巧妙に避けつつ、全体としてみればその質問に対する回答として推論可能な形に落としこむ手口は鮮やかの一言。 この戦術の効果は非常に大き

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  • 「専門家は〜してない(からイカン)」的な何かと想像力の話(あと言語学はなめられているか) - 誰がログ

    話の背景というか発端についてはばらこさんの以下のエントリをお読みください。 物理学者は摩擦をスルーすることが文脈か? - ばらこの日記 あとそれに続くエントリもおすすめ。 素人は黙るな。あるいは信頼できる論者について、お前がいうな、的な。 - ばらこの日記 僕が付け加えられることはあまり無いのですけれど便乗して過去に書いたものの宣伝でもしてみようかなと思います。というかほとんど断片的な愚痴の集積です。 まず、言語研究者は文脈を考慮しないか そんな適当な研究したらゼミ・研究会レベルで真っ先にツッコミが入ると思います。文法研究の論文とかで文脈との関連が取り上げられていなかったら、それは無視されているのではなく、検討した結果(それほど)関係無いので取り上げないということが多いでしょうね。「大きな問題なので改めて論じる(≒難しいので後回し・誰かやってくれないかな)」ってこともありますけど。 もちろ

    「専門家は〜してない(からイカン)」的な何かと想像力の話(あと言語学はなめられているか) - 誰がログ
  • 【座談会】現代アートの病理と救済――コミュニティアート、ネットカルチャー、ポストヒューマン - sugitasyunsukeの日記

    現代アートをめぐって、下記のメンバーで座談会をしました。 テーマは、現代アート、地域系アートプロジェクト、ネットカルチャー、floating view、カオス*ラウンジ、拡張現実、AR詩、pixiv、東日大震災と喪の問題、郊外論ブーム、アートと金銭問題、倫理と責任……。そして現代アートに込める希望・祈り・愛。 ぜひ、ごらんください。 【参加者】 藤田直哉:SF・文芸評論家。http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/ ni_ka:詩人。モニタ詩やAR詩を発表。http://yaplog.jp/tipotipo/ 佐々木友輔:映像作家。企画展「floating view 」主催。http://www.geocities.jp/qspds996/ 杉田俊介:現在、主夫+パートケアワーカー+批評家。 ■ 地域系アートプロジェクトの現在 杉田俊介(以下杉田):日は、現

    【座談会】現代アートの病理と救済――コミュニティアート、ネットカルチャー、ポストヒューマン - sugitasyunsukeの日記