ウイグル 抑圧の実相 中国政府によるウイグル族弾圧は「ジェノサイド(民族大量虐殺)」か、それとも中国が主張する「でっち上げ」か。現地や関係者を訪ね、見えてきた実相は…。
30年前の天安門事件は、中国共産党の強権的な政治の原点でもある。 NHKスペシャル「天安門事件~運命を決めた50日」の取材チームは、当時の状況を掘り起こすため、多くの関係者を取材した。 中でも、事件で失脚した当時の共産党トップ、趙紫陽総書記の元秘書、鮑(注1)トウ氏の証言は、政権の最奥部で事件を間近に見た1人として歴史的価値が高いものだった。事件は、中国をどう運命づけたのか、鮑トウ氏の証言を中心に改めて振り返る。(文責:中国総局記者 奥谷龍太) (注1:鮑トウ氏の「トウ」=丹につくりは彡) 趙紫陽総書記の元秘書だった鮑トウ氏は、天安門事件は「(注2)トウ小平の陰謀」だと言う。 天安門事件が起きる前の1980年代の中国は、共産党主導で改革開放が進み、経済の改革だけでなく、政治改革もゆっくりとだが進んでいた。 (注2:トウ小平の「トウ」=登におおざと) 1982年から胡耀邦、1987年から趙紫
1609年三月、島津軍が琉球王国に侵攻し奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄本島と次々攻略。琉球王国軍の抵抗むなしく、四月四日、首里城が陥落、尚寧王は降伏し、独立国家琉球王国は、引き続き中国からの冊封体制下にありつつ、徳川幕藩体制の中に組み込まれる両属体制時代に入ることとなった。「薩摩島津氏の琉球侵攻あるいは琉球出兵」として知られるこの事件について、簡単にまとめ。 主に上里隆史著「琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻」に従いつつ、記事末に挙げた琉球史関連の書籍・論文を参照。年号表記は和暦、中国暦、西暦を併記すべきところだが、冗長になるので一律西暦表記している。(参考、日本:慶長十四年=明・琉球:万暦三十七年=西暦1609年) 徳川政権の事情秀吉死後、実権を握った徳川家康にとって最大の懸案が秀吉による朝鮮出兵の戦後処理だった。1599年の倭寇禁止令で東シナ海の治安回復に取り組む姿勢をアピー
2014年11月29日、台湾では統一地方選挙が実施される。第2期馬英九政権がちょうど折り返しを迎えた中でその評価が問われる選挙となりそうだ。 という真正面からの話は別にしてちょっと気になる話があったので紹介したい。ポイントは「中国のアメとムチは効かないのか?」、だ。 ■野党が優勢っぽい、統一地方選挙について 一応は統一地方選挙について簡単な説明を。 直轄市の市長選、通常の市・県の首長選、直轄市市議会選挙、通常自治体の議会選挙が一気に行われる。 最大の注目は台北市長選挙、無所属の柯文哲氏が快進撃を続け、ライバルとなる国民党の連勝文氏に世論調査で10ポイントもの差をつけてリードしている。連勝文氏の父親は元国民党主席の連戦氏。総統選では2度にわたり陳水扁前総統に敗れ「連戦連敗」と揶揄された人物ではあるが、国民党の重鎮であることは事実。台北市長選挙でプリンス陳勝文氏が敗れるようなことがあれば、台湾
香港でひと月以上も続いている今回の民主化運動の主役は、学生などの若者である。ノーベル平和賞を獲得したマララ・ユスフザイらとともに、タイム誌に2014年の「世界で最も影響力のあるティーンエージャー25人」に選ばれた黄之鋒(ジョシュア・ウォン)のみならず、生中継のカメラを前に政府高官との2時間の論戦を見事に戦った「学連」幹部の5人など、若者のパワーは大人を凌駕している。もはや昨年来、真の民主主義を中国政府が拒否した場合にはセントラル地区の金融街で座り込み抗議をするという「オキュパイ・セントラル」を発案・主導してきた学者たちなどは、運動が始まるや否やすっかり影が薄くなってしまった。 香港の若者の北京への反発は特に強い。香港大学民意研究プロジェクト(港大民研)の今年6月の調査によれば、自身を「香港人」と称する者は30歳以上で62.3%であったのに対し、18~29歳では86.7%に上った。逆に「中国
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香港では何万人もの人々が民主的権利を要求し、催涙ガスの充満するセントラル(中環)地区の道路を「占拠」している。 中国政府は香港市民に対し、2017年の行政長官選挙は自由選挙だと約束していた。ところが実際には、候補者になるためには、選挙によらずに選ばれた親中国派の指名委員会による慎重な審査が前提で、香港市民には選択肢がない。「親中国派」、つまり共産党寄りの人物にしか、候補者となる資格が与えられない。 中国の指導者たちが香港の反抗になぜ困惑するのかは、何とか理解できる。香港が英国の植民地であった当時、香港総督は英国が一方的に任命したが、誰もこれに抗議しなかった。 植民地時代は政治に口を挟まなかった 実際に植民地時代の香港人たちは、安全で秩序の保たれた環境で物質的繁栄を追求するのと引き換えに、政治に口を挟まないことで納得していた。この姿勢は、現在の中国で教育を受けた階層が共産党支配を甘受する姿勢
◆いや、急に新書一冊8日〆で仕上げることになり、サイトの方にあまりかまけてられないのですが、さすがに周さん失脚が発表になったので、ちょっとは書いとかないとね。 ◆新華社北京電によれば、7月29日、ついに周永康が共産党章程と中央規律検査機関事件調査工作条例に基づき、「重大な規律検査違反」によって、立件にむけた取り調べを行うと党中央が決定しました。周永康同志じゃなくて、周永康と呼び捨てです。つまりすでに党籍剥奪されているんです。 ◆で、フェニックスとか、もう予定稿全部用意してましたぜ、ってくらい素早く全面的に特別報道やっとります。だけで百度で検索したら、検閲に引っかかる記事もあるようです。 ◆周永康って誰?という人に、簡単にご説明を。 胡錦濤政権時代の党中央政治局常務委員です。そのころ政治局常務委は9人いました。習近平政権では7人に減りましたが。共産党は集団指導体制と呼ばれ、党総書記を中心とし
ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ 中国 - Y!ニュース http://t.co/vSmqYlmd6v うおおおおおおこの事件ついにここまで来たのか! これは…また…戦時徴用船舶史の、もうひとつの地獄の釜のフタが開くで… 2014-04-20 19:24:18 ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ事件:1936年に当時の大同海運(現在の商船三井)に貨物船を貸し出した中国の船会社があったが、37年の第二次上海事変の勃発に伴い38年に返却されるはずだったその船を大同海運が(軍の指導の下)返却せずそのまま軍の徴用船とされ占有した事件が原因。 2014-04-20 19:35:30 ktgohan @ktgohan …少なくとも中国側はそう解釈している。しかも途中から傭船料も踏み倒したという主張であり(実際その通りなのだろう)、おまけに2隻の貨物船は移転
日本に関連する国際報道を見ていて、たまに日本でさして話題にならないニュースに出くわす。海外の関心と日本の関心にズレがあっても不思議ではないが、多少気になるときは、ブログに記すようにしている。今回のそれは、先月末から今月にかけて実施された中国海軍の演習である。 国内でニュースにならなかったわけではなかった。たとえば、2月7日共同「中国海軍が実弾訓練、西太平洋で」(参照)はこう伝えていた。 中国国営、新華社通信によると、中国海軍南海艦隊の艦艇が西太平洋の海域で7日、実弾射撃訓練を実施した。遠洋での武器運用能力を確認することなどが目的という。 同通信は「中国海軍が公海上に設けられた臨時の軍事訓練海域で訓練することは国際法に合致している」と主張し、海軍艦艇は今後も西太平洋で訓練を続けると強調した。 訓練には揚陸艦やミサイル駆逐艦など3隻が参加した。3隻は1月26日、南シナ海の南端にある「曽母暗礁」
シリコンバレー在住。著書に『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』(共にTOTO出版)。7月に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』(プレジデント)を刊行。 日中国交正常化40周年 どう中国と付き合うか 2012年9月29日は、日中共同声明が出され両国の国交が正常化してらから、満40年を迎える。この間、経済の相互依存度は急速に高まる一方、政治や国民感情は親密・対立を繰り返してきた。人間でいえば、不惑の年を迎えたにもかかわらず、足下では領土問題を巡り、両国の国民感情は悪化している。世界第2位と3位の経済規模を持つ、両国の対立はアジアにとっても、世界にとっても、悪影響を及ぼすことは間違いない。長期的な展望に立ち、両国の関係をどう改善していったらいのか。各界の専門家・識者が、中国とどう付き合うかを提言する
女子の生き方 / 文学・思想・美学論 / 中国、日中関係 / 着物日記 / 仕事論 / 日々のこと / 世の中のこと / 和のこと / 猫 / 本や映画や美術展感想 / お仕事ご報告 / 2013年 / 6月 / 5月 / 3月 / 1月 / 2012年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2011年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2010年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 中国・反日デモ暴徒化の背景と、日中関係の今後~~最も基礎から解説! 2012/09/18 ツイート 中国で連日強烈な反日暴力行動が続き、多くの方か
フェイスブックにのった中国人Hao Liさんの記事を転載します。ツイッターからリンクをはりましたが、フェイスブックに入れない人もいるでしょうから、私のブログでお読みくだされば幸いです。 以下は、原文のままです。 中国国内今の状況を皆さんに説明します 今日、尖閣諸島問題が発端となった大規模な反日デモが、中国全土の主要大都市で起きた。日系、もしく日本テーマとした商業施設や、日本車など物的の被害も多く発生。 これに対して、中国版ツイッター「微博」で大きな話題となり、デモの様子や被害の様子も、微博で生中継され、多くな有名人や知識人を始め、全国からデモの妥当性を疑問する声と暴力行為を非難する声が上がりました。そして、今回のデモは民衆自発的ではなく、国内問題から民衆の注意力を転移する目的で、政府主導ではないかとの認識も広がり、明日上海で予定されるデモに不参加の呼びかけも始まってます。 このような動きは
現下の中国についてどうなんですか、ブログ書かないんですかと問われて、まあ、それほど予想外のことはないし、実は予想していることは別にあるんだけど書くと物騒なんで、どうしようかなと思っていたけど、ちょっと概要的な部分をメモしておきますか。 まず、今回の中国の反日暴動の原因なのだけど、これはいうまでもなく政治的な裏がある。こんなのは陰謀論とか部類にも入らないイロハな話だけど、問題はどういう政治的な構図なのかというより、どういう具体的な力学というのが、まだはっきり見えない。 構図については大ざっぱに言えば、このところ勢力を固めて院政が敷けるかと思っていた胡錦濤と共青団へのバックラッシュであり、太子党や軍、地方勢力といった個別利権の政治勢力との対立がある。ではどういうふうに対立しているか。 この部分についても存外に単純で、中国共産党第18回大会で、現行9名の政治局常務委員を共青団に有利な7名体制にす
(2012年8月29日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 「阿牛*1」と呼ばれる香港の活動家は、最近の皮肉な状況をちゃんと理解している。この8月の数日間、中国政府当局は彼を自分たちの仲間の1人、すなわち国家主義者の英雄だと持ち上げた。彼の率いる総勢7人のグループが東シナ海に浮かぶ、係争中だが日本が支配している島々に上陸したからだ。 ずんぐりとした体形の55歳の男性が、中国の国旗を片手にボロボロの漁船から釣魚島(日本では尖閣諸島として知られる)の最も大きな島に上陸し、待ち構えていた日本の海上保安庁の職員と向き合う写真が中国の国営新聞の1面に掲載された。 中国本土への立ち入りを禁じられた反共主義者 しかし、これらの新聞が報じなかったのは、この曾健成という名の活動家――阿牛というあだ名は父親から受け継いだという――が急進的な民主活動家で、中国本土への立ち入りを禁じられている人物であることだ。 「
與那覇潤先生のご著書『中国化する日本』には隠されたモチーフ、裏のテーマ、真の意図などがさまざまに埋めこまれていて分かりにくいので、先生のツイートを検索して一望できるようにしてみました。検索から漏れてたり、関係のないものが混入していることがあります。「拙著」「意図」「狙い」「試み」などでは検索してないので、まだ他にも出てくるかもしれません。 これだけ多種多様な隠れモチーフや裏テーマなどをぜんぶ盛りこんで、まったく破綻させることなく一冊のご本にまとめられるご手腕には敬服です。 https://twitter.com/jyonaha/status/70144604917338112https://twitter.com/jyonaha/status/105231151366541312https://twitter.com/jyonaha/status/127307515158466560htt
2012年2月14日、学習時報に掲載された中国共産党中央統一戦線工作部の朱維群・常務副部長の論文「現在の民族分野に関する何点かの思考」が注目を集めている。 中华世纪坛搞咩? / ANTHONY ■朱維群が唱える中国民族政策の転換 朱維群は1947年生まれ。 人民日報社記者を経て、1991年に中国共産党中央弁公庁に転任。1998年から副部長、2006年から常務副部長(閣僚級)の地位にある。 昨年12月には「一部党員は事実上、宗教の信者となっている」との論文を発表。たとえ回族など宗教と不可分の少数民族であろうとも共産党員である以上は信仰は許さない、一般市民とつきあう時は宗教のまねごとをせよ、との内容で話題となった。 (関連記事:共産党員は宗教を捨てよ=たとえチベット族、ムスリムであろうとも―中国(水彩画)) ■中国の少数民族政策 今回の論文「現在の民族分野に関する何点かの思考」はチベット問題、
2012年1月19日、米国に事実上の亡命を果たした中国の作家・余傑は、この1年あまりの体験、当局による拷問や監視などを克明に描いた文章「中共の暴政を暴き、自由世界へ―わが出国声明」を公開した。 余傑は1973年生まれの作家。大学時代から政府の監視にも屈せず、反体制的な著作活動を展開してきた。ノーベル平和賞受賞者・劉暁波の友人でもある。劉暁波のノーベル平和賞受賞に伴い、中国政府が反体制知識人、人権活動家の取り締まりを強化し、余傑は過酷な拷問を受けることとなった。 2012年1月11日、米国にわたり、事実上の亡命を果たした。今後、正式に亡命を申請する方針だという。渡米後は活発な発言を続け、日本メディアを含む各国メディアのインタビューに応じているが、最も詳細にこの1年間を振り返ったのが今回ご紹介する「中共の暴政を暴き、自由世界へ―わが出国声明」である。 延々と続く克明な拷問の描写、執拗なまでの中
例えは変だが、ある意味では東南アジアの「クルド人」と考えればいいのかもしれない。 国境のミャンマー側では1990年代まで「シャン族独立運動」が活発だったらしい。そのリーダーは「クン・サ」と呼ばれた男で、「張奇夫」なる中国名まで持っていたそうだ。 張奇夫は1934年生まれ、2007年にヤンゴンでその数奇な人生を終えたという。今回のテーマはこの謎多き「張奇夫」なる麻薬王である。(敬称略) 前々回お伝えした通り、筆者がミャンマーに関心を持ったきっかけは、ある中国の友人の一言だった。念のため、彼の発言を再録させていただく。 「中国はミャンマー情勢を内心強く懸念している。あまり知られていないが、ミャンマー北部には中国系ミャンマー人が住んでいる」 「彼らは独立心が強く、様々な問題を起こしている。今後ミャンマーで政治改革が進めば、ミャンマー国内はもちろんのこと、中国にも悪影響が及ぶことをとても心配してい
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