ひとりきりになんかさせない――これははみだして生きる人々への、と、ある一つの賛歌コミック。 SF世界観の中、突拍子もない人々が躍動する! ささやかな超能力をもつ少女、即身仏になってフリマアプリで売られたい兄、騎馬戦に命を賭ける少女達とロボット……《俺マン》《このマンガがすごい!》にランクインし、マンガ、カルチャー、アート各方面から評価を受ける著者のすこしふしぎな連作。
ひとりきりになんかさせない――これははみだして生きる人々への、と、ある一つの賛歌コミック。 SF世界観の中、突拍子もない人々が躍動する! ささやかな超能力をもつ少女、即身仏になってフリマアプリで売られたい兄、騎馬戦に命を賭ける少女達とロボット……《俺マン》《このマンガがすごい!》にランクインし、マンガ、カルチャー、アート各方面から評価を受ける著者のすこしふしぎな連作。
人には、どの人にもある「思考のクセ」が存在しています。 そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。 例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。 これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。 当然これは、金儲けにも利用できます。 数年前、アイオワ州スーシティーのスーパーマーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。 ファスト&スロー (上) このように、心理に関する知識は、成果を大きく左右するこ
こんにちは、教育系のスタートアップでCTOをしていたヒガシ(@suica_versa)と申します。 表題の通り、私は約6年前から教育機関向けのシステム開発を行うスタートアップでCTOとして働いていましたが、7/10付けで破産開始決定が申し渡されました。 破産に伴い、取引先をはじめ関係各所には大変なご迷惑をおかけしていることを経営メンバーの一人として、謝罪いたします。 このnoteでは、なぜ破産に至ったのか?破産の手続きってどういう内容?破産するとどうなる?という、スタートアップではなかなか語られない点について同じ轍を踏まないよう共有いたします。 ただし、まだ本件については進行中ですので、ある程度内容は省いている点をご容赦ください。 【免責】 当記事は私が所属していたDoorkel社の正式な文章ではございません。内容については時系列含め不正確なものも多々ございますので、あくまで1社員の視点か
以前からずっと思っていたことなのですが、どこかで書いておかないと忘れちゃうなと思っていたので、備忘録代わりに。 結論から先に言えば「無目的なインプットをやってこなかった人は、肝心カナメの時期にアウトプットできなくなる」という話です。どうしてそういうことになるのか、順に説明しましょう。 まず、いわゆる「勉強」について、ここでおそるべき一つの法則を提案したいと思います。それは「アウトプット=インプットの法則」です。一体どんな法則なのかというと「人生全体で見てみれば、アウトプットの量とインプットの量は同じである」ということです。アウトプットする人はインプットしているし、インプットしていない人は、どこかで枯れる」ということで、実にシンプルな法則。 実名を挙げるのはさすがに憚られるので、ここでは差し控えますが、一時期にベストセラーを連発して飛ぶ鳥を落とすような勢いだったのに、ぱったりとアウトプットが
人気お笑いコンビ「笑い飯」の哲夫さん。 漫才師としてお笑いの第一線で活躍を続けるかたわら、実は10年前から子ども向けの「学習塾」を“密かに”経営してきました。 ただ、「ええことしている感が出たらやばい」と、最近まで公にしてきませんでした。 哲夫さんはなぜ塾を経営しているのか? 教育にかける思いを聞きました。 (大阪放送局 ディレクター 鍋田勇輔) M-1の優勝賞金 元手に“塾”開校 「笑い飯」は2010年の「M‐1グランプリ」のチャンピオン。 哲夫さんと相方の西田幸治さんが交互に連続してボケあう「Wボケ」というスタイルが人気で、「奈良県立歴史民俗博物館」や「鳥人」という独創的なネタは、お笑いファンの間で今でも語り草となっています。 そんな哲夫さんが2014年から経営する大阪・淀川区の学習塾を訪ねました。 開校資金には「M-1」の優勝賞金を充てたといいます。 哲夫さん 「(事務所の)社員さん
今日、父が死んだ。自殺だった。 父と同居していた母によると、今年に入ってから、父は毎日のように死にたいと訴えていた。八十二歳となり生きる意欲や気力がなくなり、体力の低下や体調の悪さとともに何もかもが辛いのだという。 会いに行った時には、死にたくなる辛さの一つとして、「夜中に口の中が渇く」というのを挙げていた。なんでそんなことで死にたくなるのか理解できなかったが、話を聞くと、寝ている二階から降りて台所まで行き、水を飲んでまた二階に上がるのが辛いようだった。「だったら、寝室に飲み物を置いておけばいいじゃないか」と提案すると、そこで初めて気づいたらしく、水筒がいいのか、ペットボトルがいいのかなどと、母と相談し始めた。 その時は、父が抱えている様々な問題は、個々に解決できる問題であって、判断力が衰えたため、自分でどうしていいか分からなくなっているだけのように思われた。精神科に通っていたので、病院で
こんにちは、幌です。 毎度こんなところまで 見に来てくださりありがとうございます。 「針と羊の舟」という漫画の連載が終わりました。 これはKADOKAWAから2ヶ月に1度刊行されている 「青騎士」という漫画雑誌に掲載されていたもので、 ペットロスの男子大学生が 小学生の女の子に羊毛フェルトを教わる漫画です。 カドコミで第一話が無料で読めるので 興味があればどうぞ。 商業誌での漫画制作自体が初めてだったのですが、 それがそのまま連載になってしまったことは 良かった点も悪かった点もあります。 手探りで始めた商業誌連載を終えて、 色々と考えていたことを書いていきます。 まず前半では同人活動と商業誌連載で感じた違い、 後半では今回の連載の大まかな反省点について 紹介していこうと思います。 多少長くはなりますが、noteなんて読みに来るのは 読書習慣がある方でしょうから全く問題ないですね。 では行っ
とても怖い小説だ。語り手の“私”は作家で、もともと地方の実家に住んでいたが、筆一本で生活できるようになって東京へ引っ越してきた。それから三年近くが経つが、思うように小説を書けていない。書けていない、ということについて書き続ける小説のようでもある。 何が怖いかというと、もちろん作家の書けなさそのものがとても怖いのだが(作家にとって書けないということ以上に怖いことなどきっとない。ほかのどんなエピソードも、自身の作品にしてしまえるとわかれば怖さは半減する)、それ以上に怖いのは、語り手がその“書けなさ”を見つめ続ける視線である。巨大な穴、莫大な空虚を、それそのものだけを見続けているかのようである。 もちろん、いくつかの事件はある。冒頭で掛かってくる母からの電話で、“私”は行方不明のGという人物を探してもらえないかと頼まれる。Gは母親の友人の息子で、作家志望だった。“私”の記憶は曖昧だが、どうやら以
昔は、書店に行くと途方もない絶望感に襲われることがあった。この膨大な数の本を、死ぬまでに読み尽くすことは絶対にできない――。その事実にひどくがっかりし、焦りが募った。だが、今はもう諦めの境地に達し、書店で気になった本を次々と手にとって眺めてみるのは、ひたすら幸福なひとときである。 本を読み始めた二十代半ばの頃、自己啓発本を愛読した。ダンサーとしてメジャーデビューを目指す道の途中で、強くポジティブでストレートな言葉に背中を押され、勇気をもらっていた。本のなかに自分の悩みの解決策を探し、前進するための力を求めていた。 自己啓発本は今も大切な存在だが、最近は、未来ではなく過去に潜ってゆけるような文学作品に触れることも楽しい。 『きことわ』はまさにそんな作品だった。かつて同じ時間を共有したふたりの少女が、二十五年のときを経て再び会う。夢と現実、記憶と幻想が混じり合うような神秘的な雰囲気が物語全体に
デビュー3作目にして本年度の三島由紀夫賞の候補作となった『息』が、2023年5月31日に単行本として発売される小池水音氏。本格的に作家の道を歩み始めた小池氏の書くことに対する矜持、そして、「仕事」に対する想いを語ってもらった。 #1#2#3 小池水音/Mizune Koike 1991年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、出版社に入社し、ライフスタイル誌の編集者として働く。2020年第52回新潮新人賞を受賞、小説家としてデビュー。 筆が進まない時は絶望感すら感じる この連載1回目で、デビュー作となった『わからないままで』を書き上げるのに約1年かかったと明かしてくれた小池氏。2作目はデビュー翌年の2021年に、3作目は2022年にと、新作を発表するのは、今のところ1年に1作のペースとなっている。それは小池氏が、平日はライフスタイル誌の編集者として働いており、執筆に充てられる時間に制
2020年、初めて書いた小説『わからないままで』で第52回新潮新人賞を受賞し、デビュー3作目となる『息』が、本年度の三島由紀夫賞の候補作となった小池水音氏。手がけた3作品に共通するのは、身近な人の死といった「喪失」と家族。それらをテーマに書かざるを得なかった小池氏の体験と想いとは? #1 サッカー部の活動が中心だった中高時代 美しい日本語を丁寧に紡ぎ、豊かな表現力で読む者を魅了する作家、小池水音氏。多くの純文学作家がそうであるように、小池氏もまた、幼い頃からかなりの読書家だったに違いない。そうたずねると、「中高時代は部活三昧で、いわゆる文学少年ではなかったですね」という答えが返ってきた。聞けば、中高一貫校時代はサッカー部に所属。強豪校ではなかったものの、高校三年生で引退するまでは、部活に明け暮れた毎日だったという。 「中学に入るまで、サッカーを本格的にやったこともなければ、プロの試合を熱心
――新潮新人賞史上最年少、17歳(選考会当時)での受賞となりました。 受賞作の「海を覗く」は、高校2年生の美貌の青年・北条司と、彼に惹かれる同級生の速水圭一、それから速水が所属する美術部部長の矢谷始と、矢谷の予備校の同級生で非常に醜いと描写される棚橋美穂らが織りなす群像劇ですが、観念論的な「美」についての会話が差し挟まれたりと、普通の青春小説とは随分異なる印象です。なぜこの小説を書こうと思われたのでしょうか。 とにかく三島由紀夫が好きで、あんな美しい文章を書いてみたいと思った、それにつきます。また、自分が美醜について、どう感じるのかを探りたい、言語化したいという思いもあったので、観念的な会話の部分は書いていても楽しかったです。 はじめは速水と北条だけの物語にするつもりだったんです。美しい人物と、その美に惹かれるのであれば美術部の所属が一番かなと、まず二人の人物を設定しました。 それから組み
一 海を見た人間が死を夢想するように、速水圭一は北条司に美を思い描いた。二人が交流を深めたのは高校二年生の春のことだった。始業式直後に隣の席に座った男の横顔の精緻さを、速水ははっきりと記憶している。秀でた額と一直線に筋が通り先の尖った鼻。控えめな唇の艶やかな赤が白い肌に浮かんでいた。その横顔は速水の知る中で最も人間から遠い美、最も単純な美だった。人間というより、人間の形をした石像のようだった。そんな単純な美貌が速水に絵画を眺めるときのような恍惚を与えたが、彼は美術部の一人で芸術を知っていたから、その美に介入することの愚かさも知っていた。それは広く雄大な海がたった一滴の血液で、その青さを損なうような、失意にも似た感覚だ。美は自己や客体といった要素が一度でも介在すると一瞬にして瓦解し、二度と美として顕現しないと速水は信じていた。たとえその要素がどれほど高尚な美徳でも悪徳でも、久遠の美に立ち入っ
ゆっくり湯飲み太郎 @di6ahve @Kobone_Tomo うーん、甘酸っぱいオーケンのグミチョコみた後みたいな気持ちになった、そう高校生の時、俺たちは映画を真剣に観てた
そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて
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