隠れ里を訪ねる3回目は藤沢市大庭。 柳田國男「山島民譚集(三)」に 「隠れ里という地名は探してみればほかにも多くあるようである。その二三を例示すれば・・・」 として、「相模高坐郡藤沢町大字稲荷字隠里」の名があがっています(『柳田國男全集5』ちくま文庫 pp.432-433)。 藤沢市の図書館で地名関連の本を探してみますと、 日本地名研究所編『藤沢の地名』(藤沢市 平成2年第2版)に次のようにでています。 (引用開始) 隠里は大庭景親以来、江戸時代の初期まで大庭の領主が住んでいた大庭館があったところといわれています。ここは入り口が狭い袋状の谷戸になっており、前の道からは見えないようになっています。(中略)このあたりの集落は城(たて)と呼ばれていましたが、現在ではの南側一帯は住居表示によって城南(じょうなん)となり、城(たて)、すなわち館(たて)の意味が失われました。pp.153-154 (引