関連リンク ブログ1・路上ネイチャー協会 ブログ4・反-反写真 ホームページ・itozaki(仮設Fc2版).com/ ブログ2(休止)・2コマ写真 電子メール・itozaki.kimioアッとgmail.com (*写真と本文は関係ありません) ぼくはつい最近まで、芸術と哲学はまったく別物だと思っていた。 いや、つい最近であるところの現在も、芸術と哲学は同一だと思ってるわけではなく、その区別が曖昧になってきているのだ。 そこでとりあえず、ぼく自身が捉えていた「哲学」と「芸術」の違いについて、整理してみようと思う。 ここで言う「哲学」とは、哲学者の中島義道さんが著書で示した「哲学観」である。 もちろん、「哲学観」を規定できるのは一人中島義道さんではないから、もっと別のいろいろな「哲学観」があるかもしれない。 さらに、素人のぼくごときが、専門家である中島義道さんの「哲学観」をどれだけ理解して
デュシャンは「芸術的価値」に疑問を表明したかったのでしょうかね?。 「美」には固定的な要素と変動し続ける要素があるように思えます、固定的な要素と は遺伝子的に用意された「快」につながるものであり、変動し続けるのは情報を求め 続ける「知」の欲求かな?・・・と 改めて考えてみると、柳宗悦の民芸運動は輸入品だった芸術が「美」そのものを価値 とすることへの反発だったのかなあ?・・・と、だとすればスゴイ人かもしれない。 >デュシャンは「芸術的価値」に疑問を表明したかったのでしょうかね?。 デュシャンは物事をハッキリ明示したわけではなく、だからさまざまな解釈の可能性があるのだと思います。 理論的ではないが、解釈の幅を持つ豊かな言葉、ということでしょうか? だからデュシャンについては「正しい解釈」というのはナンセンスで、「面白い解釈」とか「役に立つ解釈」を目指すのが妥当なんじゃないかと思います。 ぼくの
関連リンク ブログ1・路上ネイチャー協会 ブログ4・反-反写真 ホームページ・itozaki(仮設Fc2版).com/ ブログ2(休止)・2コマ写真 電子メール・itozaki.kimioアッとgmail.com 金沢21世紀美術館は「権威ある美術館」とされているが、ぼくはその一角のちょっと権威から離れた「デザインギャラリー」と言うスペースで個展をやっている。 つまり、ぼくの作品は「アートの権威からちょっと外れた作品」という扱いをされているわけだ。 いや、今回の個展に限らずぼくの作品は、どこでも誰からもたいていはそんな感じの扱いを受ける。 それには良い面と悪い面の両方があって、良い面と言うのは「堅苦しくなく誰でも気軽に楽しめるから人気がある」と言うことで、悪い面は「専門化にはほとんど相手にされない」ということだ。 まぁ、「専門化が相手してくれるとなんか良い事があるのか?」とか、「そんなにア
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